1996.8-9
- 1996.8.12
- 三鷹特別委員会との交渉。全くの平行線に終わる。
- 1996.8.22
- 「説得調査班」が寮内に入り、学部文書2枚を各部屋に撒く。
駒場寮委員会の依頼を受けた弁護士によって、教養学部宛に法的措置を自重するよう促す「申入書」が内容証明付きで郵送される。
ここには、もし学部当局が法的手段に訴えるならば、駒場寮委員会としても、学部当局側がこれまで駒場寮生に対して行なってきた人権侵害などの「個人」による法的責任の追及に打って出る、という一種の「脅し」が含まれていたらしい。
→でも、結局法的措置の手続きを始めましたね。
- 1996.8.30
- 「学生の皆さんへ9」が配布される。
- 1996.9.10
- 学部当局の申し立てに基づき、駒場寮内に裁判所の執行官が立ち入り、「占有移転禁止の仮処分」のための検査を行なう。
寮の周りをロープで囲み、多数の警備員を動員し 配置するなど、この日に照準を合わせて綿密な計画が立てられていたことが伺われる。
(ちょうど後半の試験期間が終わった直後に行動に出た、というのもセコい話ですが)
これはかねてより掲示などによって学部当局が予告してきた、いわゆる「法的措置」の足掛かりとなるもので、今回の仮処分によって、寮生の同定を行ない、裁判のための布石を敷くものと思われる。
こうした法的措置に対しては、学生側は、大学の自治を放棄するものであり、あくまで話し合いで決着させるべきだ、と主張してきたが、結局それを学部当局はつっぱねたという形になった(ものの、同日掲示された「告示」では、「今後も継続してゆくことに変わりはない」と弁明?している)。
この日の立ち入り調査によって作成された「執行調書」が「いろは」にて公開されており、ここにも転載しておく。
- 1996.9.11
- 10日の「占有移転禁止の仮処分」措置に抗議する、駒場の諸学生自治団体による共同記者会見が北寮前で行なわれ、抗議声明が発表される。が、集まったマスコミ関係者は少なく、会見には来なかった(らしい)朝日・読売等でも記事にはなったものの、事実誤認を含め、学生側の意に沿うものとはなっていなかったようだ。
会見後には101号館へ抗議に赴くが、入口前に待ち構える三鷹特別委の教官と職員たちにはばまれ、平行線の議論に終始する。
- 1996.9.14
- キャンパスプラザ建設小委員会による、サークル向けのキャンパスプラザ説明会が11号館にて開催される。
- 1996.9.19
- 教授会が開かれるが、そこへ学生側が教官の支持を得るべく議場での発言を求めたらしい。そこでひと悶着あったらしく、学部当局は「猛省を促す」という掲示を後日出している。
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