-1996.7-
- 1996.7.4
- 夏の寮祭(9日まで)。
寮祭の企画のひとつとして「東京大学の自己言及」なる自由討論会が開催される(内容は『情況』1996.12にて読むことが出来る)
前半は午後7時からで、場所は生協食堂1階。後半は夏の寮祭が行なわれている駒場寮前で、個別的に勝手に話し合ってくれ、と言うもの。
パネラーには、駒場寮OBの二人に加え、教養学部教官として舩曵 建夫氏(文化人類学)と野矢茂樹氏(哲学)のふたりも。舩曵さんは、いわゆる「知の三部作」の編者のひとりで、特に「知のモラル」へは学生から散々非難されたという経緯もあり、またそれに応えようとした、という結構マトモな人なので、この企画に参加したらしい。あと、野矢さんはかつては三鷹特別委員のひとりだったはずで、その関係もあって参加の運びとなったようだ。ちなみに、この両氏の関係は、教養学部報(6月に出たやつです)での舩曵さんの野矢さんの著書(「哲学の謎」講談社現代新書)への書評にちょっと伺えます)。
野矢さんの立場をまとめてしまうならば、例えば郷愁の対象ともなりうるような古い建物が駒場の中にあることに個人的には肯定しているのですが、しかし実際に駒場寮がこのままの形で残るのか、に関しては非常に悲観的である、ということになるだろうか。
また今の学生の廃寮反対運動のあり方には危惧を呈す、と言うか心配「してくれて」いて、"nothing or all"ではなく、もっとずる賢く、名を捨て実を取る、という方向に向かった方がよいのではないか、という趣旨の発言をしていた。
加えて、先の教授会における「学部長に法的措置を一任する」ことの決まり方には気分が悪くなった、というようなことを述べていた。
というように、比較的学生の主張に対しても一定の理解を示しているのだが、学生側の批判としては、それではあなたはその横暴を極めつつある学部執行部に対して、それに宥和的な教授会の一員としていかに行動するのか?、たとえ批判的な見解を持っているにしても、それでも自分は「静かな生活」を望むゆえ傍観する、それでいいのか?、という、ある種の期待を織り混ぜつつの質問がなされるわけで、結局それに対しては明確な返答はなされなかったような気がする(自分にできることには限度がある、というとても率直で正直で、それゆえにとてもずるい回答はあったのだが)。
- 1996.7.11
- 「説得調査班」が動員されるが、寮生らが101号館前で待ち構え、寮内に入れさせなかった。
駒場寮の7月定例総代会が開催される。
先月の教授会で学部長に法的措置を一任することと明寮の解体(あるいは破壊)が決められたのだが、今回の議題は、この決定自体を非難するのが一点、そしてもう一点は、それが採決もされずに決められたというその手続きを非難することにあった。
教授会内部の議論の「仕方」にまで口を差しはさむのは、さすがに「内政干渉」ではないか、という意見も出たのだが、法的措置にせよ明寮解体にせよ、(おそくは)寮生・学生に密接な関連がある議題において、その当事者の与り知れないところで(このこと自体問題だが)、このようなまでに非-主体的な物事の決まり方がされるのは看過できない、という意見が大勢を占め、この見解に沿った寮委員会提案が批准された。
- 1996.7.15
- 学生自治会の学部交渉(駒場寮自治会の枠は消滅)。
キャンパスプラザ説明会が開催される。
- 1996.7.16
- 「説得調査班」動員(前回と同様に阻止される)。
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