時系列的整理/1996年6月


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-1996.6-

1996.6.3
午後、学部当局は教職員らからなる「封鎖部隊」が駒場寮内に「侵入」させ、各部屋のドアに木材をあてがい釘を打ちつけ封鎖しようとする。
また、その一方で、学部当局の「別動隊」が、寮の裏一帯に敷かれていた南ホール・プレハブからの電気コードを一部切断し、また電気ドラムを一部学外へ持ち去った。
この学部当局の措置は、先月下旬の「盗電」行為を禁止する旨の掲示を実行に移したものであり、この日の夕方には、「窃盗行為」をやめさせるため、また安全上の理由もあって、寮への電気供給を遮断したことを周知する掲示が新たに出されている。
それはともかくも、かくして、駒場寮内は再び暗闇に閉じ込められるに至った。

かような措置に対して、寮生はいつものように101号館へ抗議に出向くが、学部当局はドラムを持ち去ったことに対しては、「盗電」の代金の担保として差し押さえた(…じゃあ電気代を払えば済むことなのか?)、あるいは窃盗行為を防ぎ安全を図るため、などと回答し、結局返還の求めには応じなかった(まあそこまでやってしまうほどに、並々ならぬ覚悟があったのだろうから、はいわかりました、と返すわけもないのだが)。
寮への電気供給復旧作業は、この日の夕方から既に始まっていたが、この日復旧できたのは北寮の廊下と寮務室・寮委員長室などにとどまった。

夜になっては、南ホールにて寮生大会が開かれ、今後の方針が話し合われた。
1996.6.4
駒場寮への電気供給の復旧作業が、(なぜか)夜の9時から行なわれる。
この復旧措置によって、従来は部屋単位で個別的にコードを引いて電気を供給させていたのが、今回、寮全体への電気供給が行なわれるよう改善された(皮肉にも)。そうしてこれまで廊下の蛍光灯がつかないままになっていた中寮の1階にも電気が供給されるようになりさえしたのであった(ただし、電圧が充分でなく、また安定していない)。
復旧作業は夜中の2時頃まで続いたが、見事寮内の電気が復旧した時には、人々から自然と拍手喝采がまきおこったことはいうまでもない(「ざまあみろ!」との言葉とともに)。

さてかようにして、今回の学部による、端から見ていても犯罪性(窃盗、器物破損など)があまりに濃厚な電気遮断の措置は、なんとも呆気なく覆されてしまった。おもわず笑ってしまうぐらいに。
おそらくは、学部としては、多少(では普通済まないと思えるのだが)強硬な手段にうって出てでも、駒場寮への電気供給をカットしたかったのであろう。しかし、一旦は遮断をしても、その1日後には直ちに電気を復旧されてしまい、残ったのはその「強硬な手段」への非難のみ、とは、なんとも報われない措置であったと言わざるを得ない。

それと、今回の学部の措置に抗議するハンガーストライキが、正午よりはじめられる。
1996.6.5
駒場寮自治会及び駒場寮委員長は、弁護士とも相談の上で作成した「通知書」を市村教養学部長宛に(たぶん内容証明付で)郵送する。
こうした通知書を出しておくことは、裁判などになった時に重要であるからだそうだ。

自治委員会では、電気・ガスの復旧と誠実な交渉を要求する特別決議が採択された(学生自治会正副委員長、駒場寮委員会、学生会舘委員会議長、オリエンテーション委員会委員長の共同提案による)

また、南ホールの利用に関する説明会を学部は再び、今度は秘密裏に行なおうとするが、またしても失敗したそうだ。
1996.6.7
午後4時頃、教官らが退去して南ホールへ押しかけ、駒場寮への電気供給を遮断しようとするが、果たせず。何でも、コンセントにグリースを塗り込んで電気をとれないようにしようとしたらしい。
転じて寮生は101号館へ抗議活動。入口のところで睨み合いがしばらく続く。
1996.6.10
キャンパス・プラザ建設計画説明会が開催される。
1996.6.14
廃寮反対全国集会が開催される。
全学投票の主文2について、再投票が開始される(20日まで)。
1996.6.20
教授会において、明寮の取り壊しと「法的措置」(その内実は明確にされないままに)を学部長に一任することが承認される。
これを受けての駒場寮委員会のビラでは、この「一任」を1933年のナチス政権下での議会における全権委任法の成立になぞらえつつ、教授会の主体性の放棄であるとして、至極まっとうな批判を展開している。
1996.6.21
全学再投票の結果が判明。
主文2について、批准が過半数を越えたが、規定数までは達しなかったため、今回の投票では批准とも批准せずとも確定しなかった。
1996.6.27
代議員大会が開催される。
人が来なくて結構悲しい状況だったらしい。
1996.6.28 から 1996.6.29 にかけて
駒場寮委員長選挙。
28日は不在者投票の日で、29日が本投票。
立候補者は一人で、信任投票となる。
開票結果は、有効投票がすべて信任、という前代未聞の完全支持。
(同時に、前代未聞の投票数の少なさでもあったのだが、これはまあ仕方ないよねえ、と同意を求めてみる)

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