時系列整理/1996年10月


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-1996.10-

1996.10.15
「学生の皆さんへ10」が配布される。

駒場寮委員会寮委員長選挙の投票日。候補者が一人のみであったため信任投票となり、圧倒的多数で「信任」される。

1996.10.17
教養学部教授会開催に際しての教官向けのビラ配布活動が、学生自治会及び駒場寮委員会によって102号館前にて行なわれる。
1996.10.26
駒場寮定例総代会。
9月10日の「法的措置」の実行への非難と、それを学内世論として高めてゆく、という方針が確認される。また寮運営に関する議題も幾つか。

(余談的に興味深いこととして、)駒場寮がこの冬をいかに乗り切るのか、についての問題が議論された。
駒場寮には暖房施設として全部屋にスチームが張りめぐらされていて、 従来は、冬場にはのぼせかえるほどに暖かい環境を享受できた。しかし、教養学部当局による「廃寮宣言」がすでに出されている今年の場合、よもや当局が暖房を稼働させてくれる見込みもなく、寮生自身の力によって寒さに立ち向かわねばならなくなっている(大ゲサ)。そこでさらに問題なのは、電力供給が不安定なために、それじゃあこたつにでも頼ればいい、というわけにはいかない点にある。大抵の電熱系暖房機具は(駒場寮の電気事情にあっては)大きな負担をかけるため、各部屋が一斉に使うようなことがあるととてももちそうにない。
そこで寮委員会の提案した対策は、寮委員会がまとめて購入した石油ファンヒーターを希望する(正式の)寮生に貸与する、というものであった(ただし灯油は個人負担)。
この提案は総代会にて了承されたが、一方でこれによる寮財政への圧迫も懸念されていた。
そうして月並な締めの言葉を云うならば、この年の駒場寮の冬は例年以上に厳しそうである、となる。

1996.10.31
駒場寮委員会を代理する弁護団が、一連の占有移転禁止の仮処分の決定 から強制執行、調書提出に関しての不当性を主張する、異議申し立てを行なった。
その「異議申立書」の全文を転載しておきます。

(9月10日の仮処分実施以降、10月中旬までの大まかな動向について)

今回の「占有移転禁止の仮処分」によって、具体的には駒場寮に何が起こったのか、と云えば、実際のところ「いま」住んで暮らしたりサークルで使ったりするのには、何の変化もない。むしろ、「公示書」 にある通り、「債務者に限り、使用を許した」のであって、裁判所のお墨付きで堂々と駒場寮を使えることとなった、とさえ云える(学部は従来、駒場寮に住んだり使ったり、入ったりするだけでも「違法」である、と呼びかけてきたのに対し)。

 しかし「債務者に限り」と留保がついている以上、使用できるのはその債務者に晴れて「選ばれた」例の「20人」に限られることとなりそうなのだが、そしてこの間に出された学部の掲示によれば、駒場祭の準備には使えません、とあるのだが、駒場寮委員会の、その弁護団のアドバイスに基づく見解によれば、20人以外の寮生・サークル生はもちろん、寮外生であっても駒場寮を利用することが法的に保障されている、ということになる。

 それはどういう論理に拠っているのか、と云えば、裁判所はかの仮処分の執行にあたっての立ち入り調査で、駒場寮が実質的に駒場寮自治会によって管理・運営されていることを認めた、つまりはその占有権を認めたのだ、という見解の下に、そうであるのならば、その駒場寮委員会(あるいは駒場寮自治会)が認めるならば先の「20人」以外の人々だって、駒場寮に住んだり使ったりしてもよい、ということになる。

 また駒場寮委員会は、今回の仮処分の執行に至るまでの、学部当局の手続きのいい加減さを指摘し、批判のビラを配布している

【その主な批判点】

駒場寮廃寮反対運動の中心的なメンバーである(と学部当局によって見倣された←実際にはそうでない人も含まれるという)「20人」をめぐる問題。
つまりは、その債務者「20人」という学部当局の申し立てが寮の実情とは(意図的にか?)異なっている点、
および、その「20人」が「政治的」な「見せしめ」のために「選ばれた」のではないか、という点。

仮処分の申請にあたって学部当局が裁判所に提出したという「疎明資料」における、駒場寮に関する記述のあからさまな「空前絶後」の虚偽・デマについて、およびその追及に対しての職員の対応をめぐって。

 かようにしてこの当時の駒場寮の動きは、学部当局による「法的措置」を批判しつつ、駒場祭へ向けての利用者増加を促進させる、ということに集約されるかと思われる。


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