第5部 駒場寮「廃寮」計画の背景

 駒場寮「廃寮」計画の直接的な発端は旧三鷹寮敷地の不効率利用指定(注七)である訳ですが、しかしこの問題はそれだけで理解出来るほど単純ではありません。学部当局は何故、そこまで「廃寮」に拘るのか。その背景についてもう少し掘り下げて考察する必要があります。

1 政府文部省の学寮政策

 ここでは、駒場寮の「廃寮」計画が、決して東大駒場だけの個別的出来事ではなく、政府文部省の指示する学寮政策に沿って生じた事柄であること、従って国の学寮政策の流れの中で駒場寮の「廃寮」を理解することが必要であることを見ていきたいと思います。

1-1 敗戦直後〜五十年代

 敗戦直後は民間の下宿の借り上げや工員寮、兵舎の転用などでしのいでいましたが、五十年代を通じて大体現在のような学寮の制度が整うようになります。この頃の学寮は厚生施設としての側面が重視されていました。これは当時の絶対的な宿舎不足から、とにかく住むところを確保することの必然的要請でした。
 しかし朝鮮戦争をテコにして日本資本主義が復活し、次第に高等教育に対する産業界/財界の要請が強まってきます。産業界/財界の利害に合致する学寮政策の検討のため、政府の諮問機関(中教審)が設置されます。

1-2 六十年代

 六十年代に入ると、高度経済成長を始めた日本資本主義の要請や政府諮問機関の答申が、産業の発展のための人づくりをするための学寮という位置付けをするようになります。同時に、六十年安保闘争の政府・産業界の総括として、高等教育をよりしっかりと管理せねばならないということが導き出されてきました。
 これら二つの考え方から「教育施設としての学寮」という学寮政策がとられるようになります。国家に忠実に奉仕し、その発展に貢献する人材を生み出す装置として学寮は位置付けられるのです。
 他方で、高度経済成長を通じて、教育を金で売買出来る商品のように見做す考え方が強まってきます。国家のための教育装置としてだけでなく、「受益者負担主義」を注入する装置としても学寮は位置付けられます。
 前者の考え方は「○管規(注八)」に、後者の考え方は「二・一八通達」に反映されています。しかしこれらの方針は全国学園闘争の前に頓挫したのです。

1-3 七十年代以降

 全国学園闘争を目の当たりにした政府・産業界は、学寮を教育装置として利用することを断念し、徹底した管理強化路線をとることになります。
 それは有名な71年の中教審第22回答申が如実に物語っています。
『・・そして今日では、多くの学寮は、学生にとって教育的に有意義なものでないどころか、さまざまな紛争の根源地とさえみられるような不幸な状態にある。』
 同時に出てくるのが財政再建−臨調・行革路線です。教育財政に於いても、「教育投資論」が見直され、先端産業への重点投資、他の部分への民間資本導入、教育を受けるものへの負担増が考えられるようになります。教育装置として学寮を利用することに失敗した政府・産業界は、「受益者負担主義」を振りかざして寮生からの収奪強化を図ることになります。新々寮六条件に見られるような負担区分徹底化の方針は、このようにして引き出されたものです。

新々寮六条件(1975年)
 一,食堂なし
 二,居室個室化
 三,大学当局の入退寮選考権
 四,経費の負担区分明確化
 五,新々寮の定員は建て替え対象寮の実定員
 六,管理運営権規則明確化

 79年には会計検査院の全国学寮一斉調査が行われ、そこで『78大学230学寮中、59大学158学寮が負担区分を「守っていない」』とされて負担区分導入攻撃が始まり、駒場寮にも負担区分導入攻撃が仕掛けられます。その結果駒場寮では「八四合意書」を以て負担区分導入での決着が図られることになります。こうして、それまでは100円の寄宿料と寮自治会費だけだった寮生負担が一気に跳ね上がることになります。

1-4 混住寮化政策

 留学生のための宿舎確保が混住寮化政策として政府文部省の方針となるのは八十年代の留学生受け入れ十万人計画以降です。ここでは私たちの関心事に引き付けて、寮自治という観点から混住寮化政策を見てみたいと思います。
 混住寮とは、留学生が入居することを念頭に置いた新々寮の一形態であると言うことが出来ます。現在、駒場寮「廃寮」でその代替施設と言われる三鷹宿舎がまさにその典型です。
 基本的には新々寮ですから、寮自治は存在しません。大学当局による入退寮選考をはじめ、管理強化が貫徹されています。負担区分明確化や管理運営規則明確化も当然なされています。定員は、旧寮の実定員+留学生枠ということになっており、決して定員が増えた訳ではありません。なお、三鷹宿舎が全く新しいコンセプトであるという誤解がありますが、混住寮化政策の流れで予算化されたに過ぎません。
 留学生にとって個室の方が快適であるから混住寮の整備が重要だという意見があります。欧米からの留学生は生活様式の違いから相部屋を嫌うという意見があります。しかし実際には欧米にも相部屋での生活スタイルがあることは誰でもご存じでしょう。ルームメイトという単語があるように、アメリカなどでは高校生時代から友人とアパートを借りて共同生活することも往々にしてあります。留学生が生活様式の違いから相部屋を嫌うというのは根拠がありません。むしろ、せっかく日本に来たのだから、書物からは学べないことを学ぶことも留学生にとって重要です。多くの留学生が日本人との交流を望んでいる訳ですが、個室化することはそれを逆に阻むことになります。留学生をダシにして個室化を合理化することは出来ません。
 また、経済的理由から安価な宿舎を最も必要としているのはアジア諸国などの「発展途上国」からの留学生(とりわけ私費留学生)です。彼らに選択の余地を与えることなく一律に個室化し、さらに負担区分を明確化して受益者負担主義を徹底化させることが果たして本当に彼らにとってよいことなのか、大いに議論の余地があるでしょう。留学生を「受け入れる」という美名の下、実際には経済的に苦しい留学生からも日本人と同等に収奪していくための装置として混住寮は機能します。管理運営規則明確化にしても、留学生が日本人学生と共同して主体性を発揮することを予め封じ込める役割を担うことは否定出来ません。

1-5 まとめ

 以上、戦後の政府文部省の学寮政策を社会的背景も踏まえながら概観してきましたが、結局、政府文部省の学寮政策の中で駒場寮「廃寮」はどこに位置するのでしょうか。政府文部省による位置付けが厚生施設から教育施設に変化し、しかし教育施設としても機能しないことが判明するや、負担区分導入によって経済的困窮者からも収奪する集金装置へと変質していった学寮政策の流れに、駒場寮も基本的に乗ってきたと言えるでしょう。そして、旧寮を潰して新々寮化するという方針に沿って、そして混住寮化という新たな装いをまといつつ、三鷹宿舎への統廃合=駒場寮「廃寮」計画は作られたのです。駒場寮「廃寮」は、決して旧三鷹寮敷地の没収を回避するという東大駒場の個別的事情のためだけに不可欠であったのではなく、学寮政策にうまく乗りつつ予算を取りたい学部当局の思惑と、予算をネタに余計な旧寮を潰したい政府文部省の狙いの接点であると言うことが出来ます。

2 キャンパス「再開発」としての駒場寮「廃寮」

 駒場寮「廃寮」は「キャンパス整備計画」の前提とされています。従って、その「キャンパス整備計画」が何を目指しているのかを考えることによって、何故駒場寮が潰されねばならなくなるのかが明らかになると思います。

2-1 面積で考える

 大学当局が「駒場寮の「サークル機能」の代替」と称している「キャンパスプラザ」には寮食堂南ホール代替分がありません。従って、これまで南ホールで行われてきた活動(主として音楽活動・劇団などの活動)は保障されないことになります。しかも代替すら保障しないまま南ホールを潰そうとしているのです。また、会議室や印刷室等の寮委員会管轄スペースは608m2ですが、「キャンパスプラザ」でも同程度の共用スペースを設けた場合、その他のスペース全部を部室に割り振ったとしても1000m2にしかなりません。
 学部当局は人気取りのために「まして学生自治の基礎であるクラスのためのスペースも確保されるべきではないでしょうか」などと言っていましたが、駒場8000学生のクラス活動のスペースを確保するとなれば、部室の入る余地がないことは明白でしたし、実際に「キャンパスプラザ」なるものが蓋を開けて開館するときには、クラスのためのスペースなどどこにも確保されていませんでした。人気取りのために実現する気もないようなことを並べ立てることを平気で学部当局は行ったのです。
 さらに問題なのは、音楽サークルを中心とする部室棟である「旧物理倉庫」や焼失した生協脇プレハブ棟の代替スペースは確保されるのかということです。部室の入り得る施設は「キャンパスプラザ」A・B棟と学館代替分だけです。旧物理倉庫と生協脇プレハブの合計470m2のサークルスペースは消滅することが分かり切っているのです。
 このように「キャンパス整備計画」は面積的には学生の自主活動施設の激減を招くこと必至です。

2-2 学生自主管理の運営形態を剥奪する「キャンパス整備計画」

 学寮政策が新々寮化と引き換えに寮自治を剥奪するものであるのと同様、サークル棟等の学生関連施設も建て替えの代わりに学生自主管理の運営形態をなくすということが行われています。これを抜きにして予算化されることはありません。これも政府文部省の基本方針です。
 駒場寮を潰して「キャンパス整備計画」が進行した場合、学生の自主管理が奪われるのは駒場寮にとどまりません。学生会館の建て替えも計画に含まれていますが、学館廃館を免れたとしても現在のような学生による自主管理を維持することは極めて困難でしょう。
 「キャンパス整備計画」はイレモノを通じて学生の自主自治活動そのものをターゲットとする攻撃に他なりません。学生自治潰しのレールを敷き、学生の自主自治活動を学部当局の管理下に置くことによって本来学生の自主性の発露たるべきクラス・サークル活動までも管理を受容し順応するための装置としてしまおうという狙いがあるのです。

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