第6部 社会の中の東大・駒場寮

 東大も駒場寮も、社会から超越して存在している訳がありません。ここでは実際にどのような関係を築いているのか築こうとしているのかを考えてみたいと思います。そしてそれは「社会に対する責任」などと言って「廃寮」を正当化しようとしている学部当局の振り撒く社会観への具体的アンチテーゼとなるでしょう。

1 学内と学外を結ぶ自主的な交流の拠点

 駒場寮には多くのサークルが部室を構え、東大生に限らず出入りしてきました。そして友人の友人とも友人となれる場を提供してきたのです。同時に駒場寮は居住空間でもあります。三鷹宿舎のように個室化されて寮生同士ですら分断されている場所ではこうした交流は出来ません。また、学外でも活動するサークルが寮内に存在することによって、ともすれば東大の中で自己完結してしまいがちな一般寮生でもさらに学外に関係を築いていくことを可能にする場でもあります。このような場所が極めて少ない現代社会に於いて、こうした有機的な交流は駒場寮であるからこそ可能であるといえます。
 また学寮間の繋がりを通じて、他大学学生との交流も行われています。駒場寮という受け皿がなければそのような学生同士の交流も難しいでしょう。
 さらに、駒場寮には仮宿泊制度というものがあり、一泊200円で学内外に開放しています。終電に乗り損ねた東大生はもとより、東大生以外の学生にも多く利用されています。駒場寮を当てにして東京に来る地方の人も少なくありません。学部当局による「廃寮」宣言後も多くの人々に利用されています。
 渋谷まで徒歩10分の場所に月5000円(+1500円)で住めるということは非常に特権的です。我々はその特権性を学内に限らず広く開放する姿勢をとってきましたし、今後もその姿勢は変わりません。

2 広域避難場所としての駒場キャンパス

 駒場キャンパスは災害時の広域避難場所に指定されています。東大が地域住民に一番関係あるのは、実は広域避難場所であるということでしょう。駒場キャンパスのカバーする範囲は下北沢にまで及んでいます。阪神大震災からはや四年が経過しました。この東京でも、いつ大災害が起きてもおかしくありません。
 災害時の広域避難場所である以上、数千・数万の住民が避難してくることに対応することが可能でなければなりません。東大が最も地域社会に責任を負うべきことはまさにこの点であると言えます。具体的には食糧・飲料水の確保、宿泊場所の確保、緊急時の医療体制の整備などが挙げられます。その中で特に飲料水の問題について、駒場寮問題と関連させて触れたいと思います。

 駒場寮裏、駒場キャンパス東端に一二郎池という池があります。放置されているので濁った水溜まりのようですが、実は10立方メートル/分(一日4000人分の飲料水を確保出来る水量)の湧水を誇る湧き水なのです。この一二郎池の湧水が「キャンパス整備計画」によって涸れるのではないかと危ぶまれています。学部当局は「枯渇の心配はない」と言っていますが、環境アセスメントも行っていません。湧水は湧水地点だけをいじらなければ枯渇しないというものではありません。周囲のちょっとした環境の変化によって枯渇してしまう場合が多々あるのです。「キャンパス整備計画」の第一歩である「キャンパスプラザ」建設地は湧水地点の直ぐそばで、影響がない方が不思議なくらいです。そのような危険性を知りながら学部当局は「キャンパス整備計画」を推し進めようとしています。これでは「社会に対する責任」を云々する資格なしと言う他ありません。学部当局は「キャンパス整備計画」を撤回し、直ちに環境アセスメントを行うべきです。
 環境アセスメントを行わないまま、「キャンパスプラザ」建設地の樹木はことごとく伐採されてしまいました。湧水への影響は甚大なものがあります。今後、北中寮にまで取り壊しの手が伸びれば、湧水は確実に枯渇してしまうことでしょう。

3 緑地保全という観点

 駒場キャンパスが都心にあって樹木の豊富な類い希な場所であることは間違いありません。その樹木の種類も豊富であることが95年度の基礎科学科研究グループの調査で明らかにされています。「キャンパス整備計画」でこの緑豊かな駒場キャンパスはどう変化するのでしょうか。ここでは単に緑が多い方がいいというだけでなく、その緑が駒場の自然に果たしている役割を考えてみたいと思います。
 学部当局は「貴重な樹木は最大限に保護される」と言っていました。しかし、この言明に反して、「キャンパス整備計画」第一弾の「キャンパスプラザ」建設予定地の樹木はことごとく伐採されてしまいました。建設予定地には体育館よりも高いメタセコイヤ(日本にはあまりなく貴重)の大木があったのですが…… つまり「キャンパス整備計画」はまずこのメタセコイヤの大木の伐採からスタートした訳です。「貴重な樹木」は、貴重か否かそれ自体が計画の都合によって恣意的に判断されることになったのです。
 私たちの考えるところ、これらの樹木が駒場の自然に果たしている役割は二つあると思います。一つは小動物に生活の場を提供しているということです。駒場キャンパスにはタヌキが棲息していますが、このタヌキも「キャンパス整備計画」によって絶滅するでしょう。もう一つはアスファルトだらけの都会にあって、駒場の樹木が雨水を涵養する役割を果たしているということです。これは大雨の時に急激な水の流出を抑えているというだけでなく、一二郎池に安定した湧水を供給することに役立っていると考えられます。二でも述べた通り、一二郎池の湧水は災害時の飲料水確保という観点からも非常に重要です。緑地保全は単に緑が豊富な方が安らぐといった安直な理由からではなく、以上のような理由から重視されるべきです。

4 税金の無駄遣い

 12億の巨費を投じて、まだまだ使える駒場寮建物を当の寮生が反対しているにもかかわらず取り壊し、「キャンパスプラザ」を建てた訳ですが、ではそれによって一体誰が得をしたのでしょうか。ここでは、駒場寮「廃寮」と一連の「キャンパス整備計画」が税金の無駄遣いとして叩かれている大型公共事業タイプの計画であることに着目し、国民の税金が駒場でもゼネコンを潤すということでいいのか、考えてみたいと思います。
 最近のキャンパス「再開発」は大きなイレモノを次々と作ることが行われています。これは、視点を学外に移すとこう理解することが出来ます。すなわち、文教予算に託つけてその実ゼネコンに税金が注ぎ込まれているということです。文教予算の貧困が言われていますが、大学の場合、イレモノよりむしろナカミの方が重視されるべきです。しかし大学は貰えるうちに貰おうという卑屈な態度でイレモノを欲しがっているようです。そこに付け込んで政府文部省は様々な条件を課してイレモノを与える。ご多分に漏れずそこにもゼネコンが寄生する構造があるのです。政府は文教予算という名目で堂々とゼネコンに金を流すことが出来る訳です。
 キャンパス「再開発」によって最近では、銭高組(一号館改修、十五号館三期工事)や清水建設(数理科学研究科)がその恩恵に与かっています。駒場寮は堅牢な建物ですから解体工事にも多額の費用がかかりますし、破綻した「(旧)CCCL計画」も総工費100億円(内国家予算60億円)と言われています。「(旧)CCCL計画」は専ら学生関連施設の建設計画ですが、「キャンパス整備計画」は、体育科研究室の移転(体育館も併設)をはじめとして、大規模な教室棟・研究棟の統合を含みゼネコンに莫大な儲け口を提供しています。軍事予算増とは裏腹に福祉予算を切り捨て(しかも汚職まで!)、文教予算の内実がゼネコンを儲けさせるものであるとすれば、到底認めることは出来ません。

 もう一つ、税金の無駄遣いの例を挙げることにしましょう。前述の「法的措置」執行前後から、大学当局は多数のガードマンを導入して、明寮の封鎖等を行ってきました。ガードマンを雇用する警備会社に支払う金は、もちろん大学予算=税金から支出されます。ガードマンの大量雇用により、97年度の教養学部研究教育費は一律5%削減されました。この措置は、教授会の承認すら得ていない、学部長の独断で行ったものです。これは、予算の流用を禁じた「財政法」違反に当たるとすら言えるでしょう。

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