しかしそのような「法的措置」による解決自体への不当性・その主張内容の荒唐無稽さにもかかわらず、国(学部当局)は、1997年10月1日に今度は、「北中寮の明け渡し」を求める本裁判をおこしました。主張内容もデタラメながら、またしても学部当局の体質("学生はあくまで当事者ではなく、決して話し合う対象ではない")が明らかになりました。私たち駒場寮自治会は再三にわたって「裁判による解決をめざすのではなくて、話し合いで解決するよう」要求していますが、そのような要求も学部当局は全く相手にもせず裁判での強行的な解決をめざし続けています。このような学部当局の姿勢は絶対に許すことができません。
この学生投票は、1999年11月2日、浅野攝朗教養学部長および永野三郎学部長特別補佐に対し、駒場寮の「明け渡し」裁判を取り下げ、駒場寮問題を話し合いによって解決すること、及び駒場寮「廃寮」計画をいったん取りやめ、学生との合意に基づくキャンパス造りを行うことを求める要求書を提出したことに端を発します。大学自治の原則を破り、学生・寮生の意思を踏みにじって「廃寮」を強行してきた学部当局の不当性は誰の目にも明かです。しかし、現在においても不当な裁判を取り下げずに、破綻した理論のもと「廃寮」の強行を自己目的としている学部当局にたいし直接要求を行ったのですが、驚くべきことに当局はこの要求書に対し回答すらしなかったのです。
この、極めて不当な態度を改めさせ、「廃寮」計画の撤回を実現するために、駒場寮自治会は学生自治会・学友会学生理事会と共同で、要求書と同様の内容の主文を代議員大会へ提起、これが可決され学生投票が発議されました。
学生投票においてこの主文は、賛成2343・反対1341・白票431という結果をもって批准されました。さらに、14のクラスアピールも上がっています。このことは、当局による一方的「廃寮」宣言以降の全学生による公的な「廃寮」反対の意思表示であるという点で、特に強調される必要があります。本文でも述べてきたように、当局は「廃寮」の既成事実化のためのプロパガンダを連日繰り返し、しかも学生投票期間中にもこの学生投票を破壊するための嘘にまみれた文書を全学生に配ったにもかかわらず、「廃寮」に反対する主文が批准されたのです。「廃寮」宣言後4年が経過しても、未だに当局は学生の支持を得ることはできないのである。駒場寮を支持する世論が根強いことをここに具体的な数をもって大きく打ち出すことができたと言えよう。
このように、学生の意見は一貫して「廃寮」反対であり、話し合いによる解決を求めている。学部当局に求められているのは、批准された主文にあるように、今こそ「廃寮」計画を撤回し、学生との誠実な交渉につき、今後のキャンパスについて充分に話し合いを行って一つ一つ合意を作っていくことであろう。どんな餌で学生を釣ろうとしても、私達はきちんと物事の本質を見抜いているのである。不誠実な態度で計画を無理矢理推し進めようとしても、私達は決して許さないのである。
この学生投票をはさむ形で、2回にわたる証人尋問が執り行われました。圧倒的な傍聴者が法廷に駆けつけ、傍聴できない人間が続出したため、2回目の証人尋問では裁判所が整理券を配るほどでした。
第一回目の証人尋問は、1999年12月10日に行われ、成瀬氏と須藤氏が証人として法廷に立ちました。
成瀬氏は、寮生時代に体験した負担区分問題(脚注参照)について詳細かつ明晰に証言し、80年代まで一貫して大学当局は駒場寮の自治を認めていたこと、実体としても寮の管理・運営は寮自治会によって担われていたことを明らかにしました。そこにあったのは、学生と教職員との圧倒的な信頼関係です。また、当時の当局の駒場寮に対する方針についても言及されました。文部省の言うような「新々寮」については、当局は「新々寮は東大にはなじまない」と反対の意を明確に表明しており、さらには「駒場寮は柱・壁がしっかりした建物なので、改修すれば長く使える」と当局自身も認めていたのです。また、当時の東大総長も駒場寮を大事に使ってほしい旨寮生に要求しています。すなわち、当局は駒場寮を残し、寮自治を理解した上で駒場寮を存続させていく方針をとっていたのです。こういった経緯から考えても、合意書締結のほんの数年後に当局が突然「廃寮」を決定したのは、全く予想だにできない、考えられない暴挙であると成瀬氏は証言しました。
須藤氏の証言において、大学による「廃寮」決定手続きの不当性・大学当局が寮に対して行ってきた違法かつ不当な暴力行為についてが法廷でも赤裸々に語られ、また今日駒場寮が果たしている意義についても言及しました。
一方、駒場寮「廃寮」の実力者である永野三郎学部長特別補佐(もと三鷹特別委委員長)の証人尋問が1999年12月21日に行われました。法廷の場で永野は、都合が悪くなると「知らない」「分からない」(例えばガードマン費用の総額や費用、予算のシステムなど)とくり返すのみであり、「廃寮」を遂行することの理性的理由は何ら示すことができませんでした。ただひたすら「(計画をやめてしまえば)予算をとってきた方々に申し訳ない」とくり返すのみで、しかも「強い反対があれば計画を撤回する」という発言についても、「強い反対はない、と解釈する」「強い反対は、無期限ストライキが続くような状況だ」と開き直る始末でした。さらには、三鷹構想というのは、学生に対して「三鷹を潰すか駒場を潰すか選べ」という二択しか与えないものであることも判明した。まさに文部省の自治寮潰し政策の一貫だったのです。しかも、この選択肢に対する返答期間は、実はわずか2ヶ月しかなかったことも判明しました。当局の不誠実が公の場でも明らかになったのです。法廷での永野は、これまでの交渉で見せた姿勢よりもより官僚的な、事なかれ主義に徹していました。そして、予算の執行と自治寮潰しの本音が暴露されることにより、キャンパス再開発は単なるお題目に過ぎないことも明らかになったのです。そして、当局はこの破綻した論理のもと、今や「廃寮」の遂行を自己目的化しているのです。これが、当局の本性であるとはなんと学問の府にふさわしくない態度でしょうか。傍聴者からは時には苦笑すらこぼれたのです。
1999年度を振り返ると、非常に駒場寮存続運動の盛り上がった一年と言うことができます。学生投票の批准によって、「学生は一貫して「廃寮」に反対している」という事実を具体的な数字にして示すことができたし、裁判についても、少ないながらも3人の証人尋問を認めさせることができました。これら数多くの成果を勝ち得た原動力としてあげられるのが、やはりなんといっても寮生数の増加ではないでしょうか。自分のクラスに寮生がいることによって、寮問題をより身近に感じることができる等、学内での意識が向上するのは間違いないし、主体的に寮存続運動に参加する人数も増え、その結果私達の主張はより多くの人に伝えられるのです。その主張に共感した人が、さらに寮存続運動に参加するようになりこうして、寮存続運動はますますその規模も内容も充実させ続けているのです。
しかしながら、現在の学部当局は、このような大きな運動に真摯に目を向けるどころか、学内での解決を模索することもなしに裁判所に任せきり、というのが実状なのです。「学内の問題は学内で解決する」という大学自治の大原則に真っ向から反する当局のこの態度は、直接大学自治を否定する行為につながるのではないでしょうか。
ここで、もう一度駒場寮問題を裁判で扱うことの不当性をおさらいしましょう。第一に、裁判は大学自治を破壊するものであるといえます。この問題は学内の問題であるから、充分な議論を行って合意にたどり着くことが本来の解決なのではないでしょうか。学外の機関に問題解決を委ねるのは、自らの解決能力の否定、そしてお互いの信頼関係の破壊につながり、それはそのまま大学自治の否定を意味するのです。第二に、裁判では問題の本質に踏み込まず、単に「建物の明け渡し問題」に矮小化されかねないということが挙げられます。すなわち、駒場寮問題は、教育の機会均等や大学の自治など、非常に重要な問題を含んでいるにもかかわらず、そういった観点を全て無視し、さらには過去に結ばれた合意書やこれまでの自治の慣習を無視し、単なる法律の運用問題になりかねない。仮にこの問題を裁判所で扱うにしても、少なくとも、充分な事実調べを行い、法律の文面だけではなく、そもそもの立法趣旨・理念に立ち返った慎重な判断が行われなくてはならないのではないでしょうか。第三には、裁判は当局のさらなる「違法」行為を生み出すということが挙げられます。裁判中にもかかわらず、当局は同時に電気・ガス供給停止やガードマンを導入しての工事強行などの、実力的攻撃を同時に行ってきました。実力的な攻撃はそれ自体糾弾されるべきものですが、係争中のこのような行為は明らかに自力救済に当たります。さらには、明寮に対する強制執行の際にも、数々の暴挙がまかり通っています。
こういった明確な不当性があるにもかかわらず、学部当局は未だもって裁判を取り下げようとはせず、2000年3月28日には裁判所によって不当判決が下されるに至りました。もちろん、我々はこれまでも再三当局に対して裁判を取り下げるよう求めてきたし、広範な世論もこれを支持してきました。しかし、このような理性的な世論に関わらず、裁判は進行し、結果強制執行を含む不当判決が下されたのです。判決文の中でも、寮側と当局とで見解が大きく食い違うような事実関係に於いてでさえ、寮側の主張に対する反論さえないままに当局の主張が受け入れられるというような、駒場寮としては決して受け入れられる内容のものではありませんでした。駒場寮はこれに対して即時強制執行の停止を申請し、東京高裁はこれを受け入れました。強制執行の停止が受け入れられるためには、その為の正当な事由が、東京高裁から認められなければなりません。強制執行停止が認められるということは、少なくとも地裁での審理が不充分であった可能性があるということを、東京高裁が認めたことに他なりません。
とはいえ、結果如何に関わらず、裁判は駒場寮問題には全くそぐわないという事実に変わりはありません。私達は、結審での不当な判決を避け、あくまで話し合いでの解決を勝ち取るために、現在教授会に対して「学生の総意を尊重し、民主的な大学運営を行っていくのか、それとも大学の自治を投げ捨て、学生の意見を圧殺するような大学にするのか」を問うて、「廃寮」の取りやめ、裁判の取り下げを継続して求め続けています。それと同時並行して、裁判所に対しても署名を提出するなど、積極的な働きかけも行っています。
そして、裁判ではなく学内での理性的な話し合いによる解決を実現させる大きな原動力になるのが、まさにこの文章を読んでしまったあなたなのです。駒場寮は、1996年の一方的「廃寮」宣言から、驚くべきことに毎年毎年前年を上回る数多くの新入寮生を受け入れてきています、そしてそのことはそのまま駒場寮の正しさを証明し、駒場寮存続運動が大きく発展していることを意味するのではないでしょうか。この駒場寮存続運動を担う新たな力が、この文章を読んだ皆さんの中からから生まれることを、我々は切実に期待います。そしてこれからも断固駒場寮を守り抜き、寮自治の伝統を共に作り上げていきましょう。
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