第一章 学内問題を裁判によって「解決」することの是非

 学部当局は、駒場寮問題の学内での話し合いでの解決を放棄し、裁判によって解決するという姿勢をとっています。学内問題を裁判によって「解決」するとはどういうことなのでしょうか。
 大学は、教育・研究の場として、学問の機会均等や学問の自由を守るために大学内で意志決定するという自治を行ってきました。大学内の問題については大学構成員同士の話し合いによって解決するという、大学自治の原則は、1969年の「東大確認書」にも記されています。
 そもそも、大学の自治は、第二次世界大戦時に、日本帝国政府によって戦争協力を余儀なくされたという、学問の府においてあってはならない事態がおこってしまったという苦い経験から生まれたものです。戦時には、文系の学生は戦場に送り込まれ、理系の学生は兵器の生産に従事させられました。駒場寮も当時は、兵隊の宿舎として使用されるなど、戦争協力させられるという状況を経験しました。このように、大学に自治がなければ、政府に従属させられ、大学において自由に学問・研究を行うことはもとより、学ぶことさえできないという、学問の自由と学問の機会均等が全く保証されていない状態となってしまうのです。このような過ちを二度とくり返さないために、戦後、大学に自治が保証されたのです。
 駒場寮問題と大学の自治に関して考えてみると、学部当局は、学生との合意を踏みにじり、駒場寮の「廃寮」を一方的に決定・宣言し、電気・ガスを停止し、さらには大量のガードマンを導入して寮施設の取り壊しを強行するなどという、大学内の問題の大学自治に則った理性的解決を放棄し、実力で寮生を追い出そうという、学問の府にあるまじき蛮行を繰り返してきています。学部当局の行為の問題性は、このような大学自治の原則に反する無法行為にとどまりませんでした。
 1997年に学部当局は駒場寮の「明け渡し」を求める法的措置に踏み切りました。大学自治という、独自のルールを持った大学において、互いに意見の相違がある二者がいるとき、一方がもう片方を無理矢理したがわせるために大学外の権力を用いるということは、大学自治を自ら破壊する自殺行為に他なりません。先ほど述べたように、大学は、学問の機会均等と学問の自由を守るため、いかなる学外の権力にも独立して自己を規定する必要があるからです。学外の権力に対しては、大学構成員は一致して対峙すべきであるのに、学外の権力を用いて大学構成員同士が対峙するというのは、学外の権力の介入を許すことになり、そのような策動こそ、大学構成員が一致してはね除けていかなくてはならないのです。
 さらに、駒場寮問題は裁判所に「解決」を委ねられていることに由来する問題もあります。裁判所の決定は、国家権力を用いて駒場寮の「明け渡し」をいかなる形となろうとも遂行しうる権限を学部当局に与える可能性があるという問題です。具体的には明寮「明け渡し」断行仮処分の時に強制執行が行われ、寮生が暴力的に明寮からたたき出されたという実例があります。この強制執行の問題点については第四章で詳しく述べます。
 このような理由から、これまで、駒場寮委員会をはじめ、学生自治会や学友会からも裁判の取り下げと話し合いによる駒場寮問題の解決を求めるという決議がなされています。しかしこれまでそのような学生の声を無視して学部当局は裁判を取り下げずに今日まで問題が解決していません。高裁の判決が下ったという今こそ、裁判の判決に従って駒場寮問題を「解決」するのか、学内での理性的な話し合いによって解決するのかが問われているときだと言えます。
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