第四章 許されない強制執行

 本来、学内の話し合いによって解決すべき駒場寮問題が、なぜ現在法廷で争われているのでしょうか。それは教養学部当局が、寮生・学生を訴えたことが発端ですが、学生を民事訴訟に訴えるという東大史上前代未聞の暴挙に東大当局が及んだ理由は、寮生を「強制執行」という暴力的手段によって叩き出すためでした。このことは、とにかく判決さえ早く出せば良い、として裁判の審理を急がせ、駒場寮問題を所有権の問題だけに矮小化した国・東大当局の法廷での主張・振る舞いに如実に反映されています。
 しかし、強制執行は問題の建設的解決に何ら寄与しないばかりか、より権力を持つ側が意見を違える相手を「力」で消滅させることによって、まさに力ずくで自らの主張を押し通す手段なのです。特に、異なった主張を許容し、言論を民主的にたたかわせることが尊ばれなければならない大学で、また学生の生活と活動に極めて深く関わる寮の存廃に関して、当局が言論によってではなく「力」によって物事を押し進めようとすることは、大学の存在意義そのものを根底から揺るがすような愚挙なのです。特に、強制執行に後ろ盾を与えた論理が、寮を残すべきなのかという議論の結果ではなく、「学長が『廃寮』を決めたから」というものであれば、その「力」の行使には何ら正当性を見いだすことはできません。
 現在、学部当局は「強制執行の準備をしている」ことを公言し、強制執行、寮の取り壊しへとひた走っています。先日の寮存続の学生投票の批准で示された学生の意思を、さらに大きな言論の力に変えて、強制執行=暴力による駒場寮の消滅を全学生でくい止めましょう。

1 強制執行とは何か

 「強制執行」といわれても実際にどのようなことが行われるかはイメージしにくいかと思いますが、それはその名が示すように極めて暴力的かつ強引なものです。法的には債務者(訴えられている人)に建物を明け渡させ、それを執行官が確認するという行為ですが、97年3月及び4月に行われた明寮(生協食堂の向かいの空き地にあった)への強制執行は、寮生が自発的に明け渡す意思を事前から示していたにもかかわらず、執行官・ガードマンの違法行為・暴力行為が頻発し、周囲は騒然となり、学生に怪我人が出る事態となりました。

97年3月30日〈明寮フェンス工事〉
97年3月30日〈明寮フェンス工事〉寮内に寮生が残っていたにもかかわらず、フェンスを設置しようとした。中止を求め、学生がフェンスの資材上で座り込む
 明寮に行われた強制執行のことを少し描写してみましょう。執行官と三鷹特別委、そして数百人のガードマンは朝早くやってきました。まず、寮生は弁護士の立ち会いの元に執行が行われる必要があるので、弁護士が来るまで執行を始めないよう要請しましたが、「待つ必要はない」として執行は開始されました。実のところ、明寮に住んでいた学生の多くは債務者(訴えられている者)ではなく、当然非債務者に執行の効力は及ばないのですが、弁護士がいないのをいいことに非債務者まで無理矢理寮から引きずり出されました。これは誰の目からも明らかな違法行為でした。それと同時に、部屋の鍵をこじ開けて、荷物から備品までありとあらゆるものを寮の外に放り出しました。さらには部屋を木材で打ち付け、出入り不能にしました。非債務者が完全にその日の内に叩き出されなかったのは、弁護士が何とか間に合って執行の違法性を指摘してからのことでした。
 寮生は、明寮に関しては明け渡すことを決めていたのですが、違法行為がまかり通るような執行には抗議を行いました。それへの返礼は執行官は「執行妨害」と叫び、強制執行を依頼した学部当局は「全て執行官の責任」と責任回避し、ガードマンは殴りつけてきました。道路に叩き付けられ、脳震とうを起こす学生まで出たのです。これは「執行妨害への積極防衛」とのことでしたが、いかなる意味でも暴力行為が法的に正当化されることはありません。
 また、最初の執行の後で明寮の周りにはフェンスが張り巡らされ、寮の入口を数十人のガードマンが固め、その後しばらくは百人単位のガードマンがキャンパスに常駐し、駒場には異常な雰囲気が漂っていました。そして執行が完了した後、明寮は直ちに取り壊されました。

2 強制執行の問題性

(1) 暴力性

 強制執行には二種類の暴力性が内在しています。一つは強制執行の現場でふるわれる様々な直接的暴力(殴る、蹴る、引き倒すなど)であり、もう一つは民主的な話し合いでの問題解決を破壊するものとしての、寮生や学生の声を実力で寮を破壊することによって踏みにじり、「廃寮」を強行する暴力性です。
 もちろん直接的暴力は決して許されるものではありませんが、強制執行の暴力性の本質は後者の問題の理性的・建設的解決すべてを破壊する点にあります。いくら寮生が声を枯らして訴え、学生の寮存続の意思が示されても、学部当局が強制執行をして寮を破壊してしまえば「寮問題」は駒場寮と共に消滅するのです。十年近くに渡って寮生・学生は寮を残そうと、苦闘してきました。ストライキ・学生投票・署名が幾度も行われその賛同延べ人数は数万人に達します。何故寮を残すべきなのかも、多角的に論証され、実際に駒場寮が残しうることも明らかにされてきました。しかし強制執行は、そのような言論・議論を一切無視して強行されます。
 5月29日及び6月4日付けの
「学生の皆さんへ」では、「建設的対話」「活発な議論と話し合いの場」が呼びかけられています。しかし、強制執行を準備しながら、「対話」を語ることほど学生を馬鹿にした態度はありません。建設的対話・活発な議論・話し合いと、強制執行・直ちに寮を取り壊す、ことがどのように両立するのでしょうか。私たちはこの後に及んで、学生を欺こうとする学部当局の姿勢に許し難い怒りを感じます。

(2) 非人道性


97年4月12日〈第二次明寮フェンス工事〉
97年4月12日〈第二次明寮フェンス工事〉学生一人に対しガードマン10人以上がつかみかかり、身動きをとることさえも許さない。
 強制執行は寮を取り壊す、ということを意味しますが、同時に百名以上の寮生が住居を喪失することも意味しています。私たち寮生は、駒場寮を残すということが、現在居住している寮生の住居だけの問題ではないと主張してきました。しかし、経済的に非常に厳しい多くの学生が駒場寮に居住していることも事実なのです。97年の明寮の強制執行の際には、北・中寮に移ることができましたが、今度は完全に住む場所を失うことになります。寮委員会の統計によれば、寮生の三割程度は仕送りがなく、全寮生の仕送り額の平均も三、四万円という極めて低い数字になっています。それでも生活がなんとか維持されてきたのは、駒場寮の存在に全面的によっていたのであり、多くの寮生は叩き出されれば荷物を抱えてホームレス同然とならざるを得ません。学生であり続けるどころか、明日寝る場所もない窮状に陥るのです。
 学部当局は「入寮したから悪いのだ」というでしょう。しかし、駒場寮には経済的な理由を主なものとして、入寮するか、退学するかという選択肢の中で入寮してきた学生もいます。また、寮自治会の主張に正当性を見いだした故に入寮した学生に対して、自らの正しさを論証することなく「力」のみによって叩き出しを行うとき、入寮したことが「悪」であると果たして学部当局が言えるのでしょうか。
 駒場寮にかけられようとしている強制執行は、一般の民事訴訟の明け渡しでもやらないほど強行的、非人道的なものであり、大学が教育機関であり続けようとするなら、絶対にしてはならないことなのです。

(3) ガードマン費用

 明寮の強制執行の際には、数百人のガードマン(新帝国警備保障)が長期間動員されました。その後も、渡り廊下・寮風呂・寮食堂などの破壊の際にも、何度も数百人のガードマンが動員され、暴力が繰り返されてきました。このガードマンは東大当局が税金を用いて、雇い入れているものです。一人のガードマンにつき一日数万円を支払っており、これまで寮問題に投入されたガードマン費用は数億円にのぼります。話し合いで、合意の上で進めなければならない学内問題を力に頼った代償の一つが、この膨大な税金の浪費なのです。
 しかし東大当局はこの数億円の浪費が、正確にいくらなのか、どのような予算措置によってなされているのかを「公開する必要はない」として、明らかにしていません。証人尋問でそれを問われた永野学部長特別補佐は「知りたくもありません」と、自らそれが問題のある浪費だと認めながら、それを止めようとも明かそうともしませんでした。
 学部当局は「学生の皆さんへ」で駒場寮を潰さないことが、国民との約束違反であるかのように述べていますが(「ペテン」と書かれています)、「廃寮」は当局の執行部と文部省との非公式な約束(公式には否定している)ではあっても、国民との約束などではありません(例えば現在、見直しが進められている公共事業について、一度始めてしまったらそれを修正することが国民へのペテンにあたるのでしょうか)。むしろ国家財政逼迫の折に、国民の血税を話し合いを回避して力で解決するために、学生に暴力をふるわせるために浪費する方が、よほどペテンなのです。

(4) 警察権力の導入の可能性

 学部執行部の強硬派の中には、寮生・学生の反対が激しければ警察権力・機動隊を学内に導入し、学生を弾圧させればいいと考えている人間もいます。機動隊に刑事事件でもない学内問題の「解決」を委ねることは、大学が自らの自治権、大学の独立を事実上放棄することを意味します。今年二月には、(入試のミスが問題化している)山形大学の学寮の強制執行に機動隊が導入され、山形の世論の指弾を受けました。そして、三鷹特別委の小林委員長は「山形大学で勉強してきた」と発言しているのです。

97年4月12日〈明寮フェンス工事〉
97年4月12日〈明寮フェンス工事〉スクラムを組みパワーショベルを守るガードマン
 89年以来、東大に機動隊が導入されたことはありませんが、その時は自治会委員長他3名が抗議行動を行っただけで逮捕されましたが、これは導入を依頼した学部長自ら即時釈放を要求せざるを得ない不当逮捕でした。また、機動隊は各門で学部当局を無視して検問を開始し、教官・学生を問わず尋問を行いました。
 警察権力は常に東大内部の動向を調査したがっており、明寮の強制執行の際にも「作業員の親方」と自称する刑事や公安関係者がキャンパスに入り込んでいました。そして国家の最終暴力装置として完全武装した機動隊は、ガードマンをはるかに上回る暴力行為や不当逮捕などを行うことが予想されます。
 寮の存廃という真摯に学生と話し合わねばならない問題が、警察権力・機動隊の導入ということまで想定されていることは、驚くべきことであり、同時に恐ろしいことです。学部当局のいう「対話」や「話し合い」は、機動隊導入という学生への脅しを背景にしたものなのです。

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