第二章 駒場寮問題の法的措置の経緯

 本章では、駒場寮問題の法的措置による「廃寮」化攻撃のこれまでの経緯について振り返ってみます。

第一部 「廃寮」宣言〜実力での追い出しから法的措置への移行

駒場寮「廃寮」宣言

 東大教養学部当局は、1991年10月、学生・寮生に秘密裏に駒場寮の「廃寮」を決定し、その後、代議員大会や学生投票、ストライキなどで一貫して示されてきた、学生の「廃寮」反対の意志を完全に無視し続け、1996年4月をもって駒場寮の「廃寮」を宣言しました。
 「廃寮」宣言後、学部当局は電気・ガス停止、大量の教職員を動員して寮内に侵入し居室を封鎖するなどの行為により、実力的に寮生を追い出そうと画策しました。教職員が集団で寮内に侵入し、寮生を「説得」するとの名目で寮生への恫喝、寮内の調査を行う、「説得隊」もその一つです。しかし、この「説得」行為には別の目的がありました。「明け渡し」を求める法的措置にむけて誰がどの部屋に住んでいるのかの同定です。このことは、寮内に侵入した「説得隊」と寮生の会話が、国・東大当局側の提出した書面にそのまま載っているということから明らかになりました。このことは、学部当局が1996年の早い時期から駒場寮問題に関して法的措置を用いることを考えていたことを示すものであり、学内問題の学内解決を放棄するという、断固として糾弾されるべきものです。

「廃寮」宣言から、法的措置へ

 1996年に駒場寮の「廃寮」を宣言した学部当局は、同年8月12日、寮生・学生に秘密裏に駒場寮の「占有移転禁止」仮処分を東京地方裁判所に対して申し立てました。占有移転禁止仮処分は同年9月10日に執行され、寮生を含む20名が駒場寮の占有者に認定されました。後の章で詳しく述べますが、この占有移転禁止仮処分は、寮生に秘密に申し立てられ、執行当日まで知らされなかったという問題、寮生の一部と、寮生以外の人が「占有者」として非常に杜撰な形で認定されたという問題があります。占有認定が杜撰だったという問題について私たちは意義を申し立てましたが、これは却下されました。この占有認定の杜撰さは、高裁の証人尋問において明らかになり、高裁判決でも裁判官も認めざるを得ませんでした。
 1997年2月4日に、国・東大当局は占有移転禁止仮処分を受け、明寮・中寮・北寮についての「明け渡し」断行の仮処分を申し立てました。
 国・東大当局の申し立ては、「駒場寮は暴力学生が不法占拠している、駒場寮跡地計画のために緊急な明け渡しが必要、国有財産法から、国有財産の管理権は学長にあり、寮生の占有権原はない」という主張に基づくものでした。これらの主張に私たちが反論し、国・東大当局の申し立てのデタラメさが明かとなっていきました。2回目の審尋が終わった直後に、国・東大当局が、北寮・中寮に関する申し立てを取り下げました。これは、その間の私たちの主張によって国・東大当局側の「論理」が破たんしてきたということと、駒場寮の「跡地計画」のうち、明寮の敷地に建設予定地が重ねられていた「キャンパスプラザ」A棟にしか予算がついておらず、他の建物は立つ見込みがなく、緊急に明け渡させるべき理由がなく、裁判所も「明け渡し」の決定を下すことができないと国・東大当局が判断したからと考えることができます。
 国・東大当局が申し立てを取り下げなかった明寮については、「明け渡し」決定が下り、強制執行が行われ、寮生が強制的に追い出され、明寮は取り壊されてしまいました。

 1997年8月、国・東大当局は再び占有移転禁止仮処分を申し立て、今回は、駒場寮自治会ら3団体と、43名が占有者として認定されました。しかし、今回の占有認定も第一回目の認定の時と同様の問題がありました。また、本裁判においても、国・東大当局は、「十分な審理は必要無く、早急に集結すべきである」と主張し、書面の提出だけで形式的にこの裁判を終わらせようとしました。それに対して、私たちはこの駒場寮問題が大学の自治と深く関わっている問題であるという認識から、大学自治の問題から深く掘り下げて審理すべきであると主張しました。裁判官は国・東大当局の主張を認め、証人尋問を行わない姿勢を一度は示しました。それに対して、駒場寮委員会と教養学部学生自治会正副委員長・常任委員会、学友会学生理事会は合同で、『東京大学駒場寮「明け渡し」訴訟における証人尋問の実施と慎重な審理を求める要請書』を集める活動に取り組みました。そして多くの要請書を集め、世論の力で裁判所に証人尋問を行わせることを勝ち取りました。証人尋問では、元寮生、寮生、永野教養学部長特別補佐が証言しました。この証人尋問の結果、元寮生の証言により、駒場寮の寮自治会による管理運営は寮自治会と学部当局の合意によって形成されてきたということが、寮生の証言により、学部当局の「廃寮」化攻撃の不当性、そして、永野氏の証言により教養学部当局の学生無視の態度が明らかになりました。
 2000年3月28日、駒場寮「明け渡し」裁判の第一審判決が下りました。判決は「主文」と「事実及び理由」からなっており、その主文は、

一 被告らは原告に対し、別紙物件目録記載一及び同目録記載二の各建物を明け渡せ。
二 訴訟費用は被吉らの負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。

 というものでした。つまり、駒場寮北中寮を「明け渡せ」ということです。「事実及び理由」の「前提事実」においては、駒場寮では寮自治会が自主入退寮選考を行っていたこと、84合意書(注1)について、また、「(1991年の「廃寮」)決定に際し、教養学部は、事前には寮生を含む東京大学の学生の意見を聴取することをしなかった」ということを認めているなど、評価できる点がありましたが、全体的には、私たちが提示した様々な論点に関する判断を回避し、東大当局の請求をほぼ全面的に、きちんとした判断無しに、そのまま認める内容となっていました。
注1:84合意書
 1984年に学部当局と駒場寮自治会の間で交わされた合意書。「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会は、寮生の意見を十分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する」ということが明記されている。
 判決を要約すると、『国有財産であった駒場寮は、教養学部長が国から管理権限を委譲されており、管理権限を駒場寮自治会に委譲することは法律上定められていないのでできず、学長の「廃寮」決定により、寮生は駒場寮を占有する法的根拠を失ったので、明け渡さなければならない』という内容になっています。
 さらに、判決主文の第3項目には、「この判決は仮に執行できる」と記されています。これは、「仮執行宣言」と言われるもので、上級裁判所での判決の確定を待つことなく、判決が執行できるとするものです。これにより、「明け渡し」強制執行が可能な状態となりました。
 私たちはこの判決を不服とし、即日控訴申請を行うとともに、強制執行停止の申し立てを行いました。3月31日には、東京地方裁判所からこの申し立ては「理由がある」ものとして認められ、強制執行停止命令が下りました。こうして、駒場寮「明け渡し」裁判は、東京高等裁判所で審理が続けられることになりました。この強制執行停止を勝ち取れたのは、この間集めていた4000筆以上の「公正な判断を求める要請書」をはじめとする広範な世論の力によるところが大きかったと考えられます。

 地裁判決や地裁での裁判の進行に関しては、駒場寮委員会の発行している『東京地裁駒場寮「明け渡し」本裁判一審判決の不当性解説集』で詳しく解説していますのでお読みになりたい方は、駒場寮委員会のホームページにアップしている同資料集を御覧になるか、寮委員会の方までご連絡ください。

第二部 「明け渡し」裁判の高裁での審理

 高裁で私たちが主張したのは、以下のようなことです。

 大学内の問題について裁判所で判断すべきではありません。それは、大学内の問題は大学内で解決すべきであるという、大学自治の原則に反するためです。(詳しくは、第一章を読んでください)

駒場寮の管理は寮生に委ねられている

 駒場寮は、昔は旧制一高の寮でした。旧制一高の駒場移転とともに向ヶ丘にあった旧制一高の寮から学生が移ってきたのが駒場寮の始まりです。旧制一高時代の1980年に当時の一高の校長から寮の管理を寮生の自治に委ねるという提案があり、寮生がこれを受諾することを決議することで寮の管理が寮生に委ねられているという経緯があり、駒場寮は開寮当初から寮生の自治に委ねられていたと言えます。
 1969年には、東大闘争を経て学生も大学自治の構成員であるという、「東大確認書」が締結され、これをうけて教養学部長と駒場寮自治会との間で、一九六九年三月一日に「確認書」が締結され、以下の内容が確認されました。
 「一 学寮が厚生施設としての役割を果たしてきたことを認め、その役割を発展させる立場に立って寮生の経済的負担を軽減するよう努力する。
 一 寮問題の重要性を認識し、寮生の要求の実現のため、真剣に努力する。
 一 教養学部長は、駒場寮自治会を学生自治団体として認め、駒場寮自治会から要求があった場合には、誠意をもって、交渉に応ずる。」
 また、同年六月二八日には駒場寮を含む東京大学の学寮自治会の連合体である東大寮連と大学の学寮委員会との間で「確認書」が取り交わされ、入寮選考は寮生が行い大学側はこれに干渉しないことなどが確認されました。
 さらに、1984年には、「84合意書」が結ばれています。これは、当時教養学部当局が文部省からの通達に従い、寮生の負担を増やすことを寮生に打診せずに文部省と約束してしまったという問題があり、そのようなことを二度とくり返さないためにと、確認されたものです。

長期的な寮存続に合意していた学部当局

 80年代前半、教養学部当局は、文部省の政策にしたがった寮の建て替えではなく、駒場寮を修繕しながら長期に使用していくという方針を決定していました。このことは、第八委員会(当時の学寮の専門の学部当局の委員会)が次のように文書で訴えていたことを見れば明らかです。
「駒場寮は戦前に建てられたとはいえ、極めて堅牢な建物であるので、寮生諸君の要求の実現を含む更に十分な改修を行えば、将来にわたって長く使用に耐えうる諸君の生活の場を創り出すことも可能なのである」
 さらに、1984年に合意書が締結された後、当時の菊池昌典第八委員長は引き継ぎメモに、「駒場・三鷹の存続可否の長期プラン作成において、老朽化→廃寮ではなく、改修→長期化を選択した」と記載していたことからもこのことは確認できます。
 実際にも、教養学部当局は駒場寮の長期存続を前提として、1987年に寮の浴室の移設について交渉・合意のうえ実施することを確認し、「駒場寮浴室移転についての基本構想」を工事図面を付けて提案するまでに至っていたのです。

「廃寮」決定

 1991年に、教養学部当局はそれまでの合意を一切無視して事前に寮生・学生に知らせることなく駒場寮の「廃寮」を臨時教授会において決定しました。教授会で決定する前に、学部当局はすでに駒場寮の「廃寮」とセットになった三鷹国際学生宿舎の建設予算を国に対して要求しています。これは明らかに「大学の公的な意思表明」に他ならず、「廃寮」という、明らかに「寮生活に重大なかかわりを持つ問題」について秘密裏に決定するという、「寮生の意見を十分に把握・検討」どころか、知らせすらしていない、明らかな合意違反であると言えます。

 駒場寮「廃寮」の理由として、学部当局は「老朽化」を主張し、地裁判決でも「老朽化し、利用者数も定員(駒場寮は七五○人、三鷹学寮は三○○人)の半数にも満たないという状況を呈していた」と認定されています。しかし、「老朽化」と「定員に満たない」ということはともに事実無根なものです。
 駒場寮の「老朽化」を示す客観的な根拠は示されていません。しかし、裁判官はこれを認めてしまっています。しかし、この点については、2001年3月21日、行ったコンクリート強度等調査により、駒場寮の堅牢性が明かとなりました。
 コンクリート強度は、建物の耐久性および耐震性に影響を及ぼす重要な要因の一つです。そこで、コンクリート強度の把握を目的として構造躯体からコアを採取し、強度の確認を行ったのです。
 その結果、駒場寮建物は全ての値において考えられる当時の設計基準強度を上回っており、コンクリートの強度が現在に至るまで保持されていることが認められたのです。
 駒場寮は関東大震災後に、実験的なまでに堅牢にたてられた建物で、同時期に建設された一号館をはじめとする建物が駒場キャンパスには残っているのです。
 これらにより、駒場寮の「老朽化」を「廃寮」の理由とするのは誤りであると言えます。
 さらにつけくわえれば、駒場寮の取り壊しは、戦前の学校建築物保存の動きや「建築資材再資源化法」の精神にもに反していると言えます。この動きには歴史的建物を残す、ゴミを出さないという意義があります。

 また、定員に関して、「駒場寮の定員は750名であって利用者はその半分にも満たない」という国・東大当局の主張は誤りであるといえます。駒場寮の定員の750名というのは戦後すぐに定められたものであって、1970年代以降は1部屋3人の400人定員となっています。このことは、学部当局自身も認めていたことです。今になって「定員は750名」ということを言い出すのは、単に「廃寮」の理由が一つでも多くほしかったからに他なりません。そして、その理由はまったく根拠のないものなのです。

駒場寮「跡地計画」について

 国・東大当局の主張する「駒場寮の緊急の明け渡しの必要性」の根拠としてあげられているのが、駒場寮の「跡地」への建物の建設計画です。これまでに「CCCL計画」や「マスタープラン」なる計画が示されてきましたが、これらはそれ自身実現性や、合理性、必要性のある計画ではありません。
 また、「マスタープラン」の中で駒場寮の敷地に重ねられている建物の建設のために駒場寮の「明け渡し」の必要性はありません。
 国・東大当局は地裁において、「図書館は、メディアセンターと一体をなすものとして学生及び教職員の利用に供される予定の施設であって、今後、図書館が建設されたとしても、それのみでは十分な機能を営むことが出来ない」と主張していますが、2000年9月7日に東京大学施設部によって行われた「東京大学教養学部図書館建物説明会」の場で「メディアセンター」については参加者の質問があるまで全く触れられなかったっという点、また、このときに配付された図書館の配置図によれば、図書館には、AVマイクロ資料、AVルーム、端末持ち込み学習、マルチメディア部門などが盛り込まれており、「メディアセンター」の機能は図書館で十分に果たされていると言えます。
 また、生協食堂・購買部の駒場寮「跡地」への移転は、生協理事会でも全く合意のないものであり、当事者合意の全くない、認められないものなのです。
 スポーツスクウェアに関しては、学生から現在の体育館について建て替えの要求があるわけではありません。
 このように、駒場寮の「跡地」計画は全く現実性・合理性のないもので、そのための駒場寮の「明け渡し」の緊急性は全くありません。

「用途廃止」

 学部当局の主張として「駒場寮は用途廃止したので存続させることは不可能である」というものがあります。しかし、これは学内処分としての用途廃止であって、学内で取り消すことも可能なものです。
 国有財産の用途廃止には、文部大臣の承認を得て行うものと、そうでないものがあります。駒場寮の「用途廃止」は、学長の判断で行えるもので、駒場寮の「用途廃止」の要件は「使用に耐えない建物を売り払いまたは取り壊す場合」というものであると考えられます。しかし、先に述べたように、駒場寮の「老朽化」には全く根拠がなく、むしろまだ「使用に耐えない」とはいえません。
 駒場寮の用途廃止について石井郁子議員が文部省に問い合わせた結果、「駒場寮の用途廃止について東大当局と学生が合意をすれば、それを尊重するか」質問したところ、文部省側は「学内の問題だ」と答えました。
 駒場寮の「用途廃止」は文部大臣が承認していないから、国有財産台帳には学寮として登録されたままです。
 このように、「用途廃止」されたので寮存続は無理であるという、学部当局の主張は誤りであると言えます。

「明け渡し」請求は権利濫用(注2)であって認められない

注2:権利濫用
 権利行使の形態をとるが、その具体的状況と、実際の結果、権利者の利益と社会に及ぼす害悪を比較・考慮すると、権利の本来の目的を逸脱していると言える行為。権利濫用の場合、その行為は無効となる。不法行為として権利者が責任を追及される場合がある。
 地裁判決は、権利濫用を基礎付ける重要な事実の認定を欠落させていること、国・東大当局の主張について事実に反する事実認定を行っているという問題があります。
 ある行為が権利濫用であるかどうかについては、その行為を行う側の行われる側に対する加害意思があるかどうか、そして、その行為による双方の利益・不利益について考えなければなりません。
 廃寮決定の不当な意図や、「廃寮」決定の手続き違反、「廃寮」通告後の実力行使などの違法な自力救済を学部当局は行っています。
 恣意的なアンケートをもって「学生は駒場寮廃寮に賛成した」として、計画を強行し、度重なる学生の廃寮反対の意思を無視し続けてきました。
 「廃寮」決定は、それ自体が駒場寮自治会という自治団体への攻撃であり、学生の活動スペースをなくすという、学生の自主的活動に対しても攻撃の意思のあるものです。
 さらに、「廃寮」通告後には電気・ガスの供給停止や、ガードマンを導入した寮の取り壊し工事の強行など、問題「解決」のために実力行使を行っているという問題があります。
 地裁判決では、このような、実力行使を行ったことについての判断をしていません。
 権利濫用の判断にあたっては、国・東大当局と、寮生の利益・不利益も考える必要があります。これまで、私たちは、駒場寮の意義について主張してきました。しかし、地裁判決では、学生にとっての駒場寮の必要性については全く触れられていません。
 地裁判決は三鷹国際学生宿舎があたかも駒場寮「廃寮」の代替措置であるかのような認定を行っていますが、経済性、学生自治や共同生活の観点から、三鷹宿舎は駒場寮の代替施設にはなりえません。よって、駒場寮「明け渡し」によって学生側が被る被害が大きく、このようなことからも「明け渡し」請求が権利濫用であると主張してきました。
 地裁判決は、寮生側が主張・立証してきた権利濫用を基礎付ける重要な事実をことごとく欠落させています。一方、国・東大当局側が主張した事実を認定して、結論において権利濫用を否定するという結論を導きだしているのです。

占有認定の杜撰さ

 国・東大当局は、「占有移転禁止」仮処分を申し立て、駒場寮の占有状況を確定するという、「明け渡し」を求める法的措置の準備をしました。そして、その申し立ては、「駒場寮は共同占有されている」というもので、また、駒場寮に住んでいない人も含むという、全くデタラメなものでした。
 「共同占有」とは個々の占有者が共同して占有しているという形態です。しかし、実際には、駒場寮全体を占有しているのは駒場寮自治会のみで、個々の寮生は、自分の部屋しか占有していません。
 駒場寮を「占有」しているとして裁判に訴えられている者の中には当時駒場寮には住んでいなかった、寮生ではなかった学生が含まれており、そのような人まで「占有者」に認定されているのは、不当だと、これまで訴えてきました。そして、占有認定の杜撰さは、2001年2月に行われた、不当に「占有者」に認定された3人の証人尋問の場で明らかになりました。そして高裁判決ではこの3人に関しての国・東大当局の訴えが取り消されるという、裁判所も国・東大当局のデタラメな占有認定の申し立てを否定する結果となりました。このことは、詳しくは第三章の判決の分析を読んで下さい。

第三部 神長意見書

 駒場寮の管理権限は、寮生には委託できないのか。「廃寮」決定は適法なのか。裁量権の濫用ではないのか。仮に「廃寮」が適法であったとしても、1995年の「入寮募集停止」通達以前に入寮した、いわゆる「正規入寮者」について、「廃寮」決定によって、駒場寮に住む権利がなくなったといえるのか。駒場寮問題を行政法の観点から見るとどうであるかということを明らかにするために、神長勲青山学院大学法学部教授に、駒場寮問題について意見書の執筆を依頼しました。以下は、意見書の要約です。

国有財産は私人に管理を委託できる

 学長は駒場寮自治会に対して入寮選考をはじめとする寮の運営に関する事務の処理に関しては委託していたと解釈するのが妥当である。
 委託により国有財産の設置目的は高められ、管理がより効率的に行われるなら、これを排除する必要はない。
 駒場寮自治会への、駒場寮の管理の事務処理の委託は、民法における請負契約である。学生への管理委託は、学問の機会均等を守り、人間的交流を通した人格形成という、設置目的に照らしても「寮生の自治に任せ自立の精神と自治能力の涵養をはかることが適切」(文部省学徒厚生審議会答申)と文部相自身が述べている。
 委託は大学人によって主体的に、適正な合意手続きによるべきである。合意手続きの形態と方法は、大学自治の現れであるので一律には論じられない。大学自治のありよう、そのなかでの学生の位置付け、学寮の管理の在り方に関する意思形成がどうなされていたのか、それに関わる事務処理の委託がどうであったのかが検証されなければならない。
 国有財産法では、国有財産の管理に関わる事務処理の委託を禁じてはいない。学寮の意義からすれば、寮生の自治に管理を任せるのは学寮の設置目的にかなう形態といえる。
 これまでの経緯を無視して学長の管理権限だけを強調するのは疑問。

地方自治法は、「委託について条例による根拠付けが必要」としているが・・・

 大学の自治の担い手である大学人(学生である寮生も当然に含まれる)によって主体的かつ自律的に、契約である以上、適正な合意手続により形成される。その適正な合意手続の形態と方法は、・・・大学の自治の現れである以上、一律に論じることが出来ない。駒場寮における学生自治の内実の問題である。

「廃寮」決定は重大な瑕疵ゆえ無効である
 法的には学長に用途廃止処分を行う権利はある。しかし、その過程においてその権限行使に濫用や重大な誤りがあってはならない。
 施設の廃止などに関しては、行政主体の自由であるとする、「特別権力関係論」に基づく営造物論は、現在の学会では採用されていない。

「廃寮」決定の時期について

 「廃寮」決定は次のような過程を経て行政処分の効力が発生すると考えられる。
@実体上の意思決定
A手続きについての意思決定
Bそれらに基づく公示
 駒場寮の用途廃止の効力を持たせるという意味での「廃寮」決定の時期については、地裁判決のとおり、1995年10月17日としても、それは、上記のA,Bの過程であり、実体上の意志決定を含まない。実体上の意志決定が最初になされたのは、1991年10月の教養学部教授会決定および、東京大学評議会決定である。しかし、この決定に際しては、84合意書に違反しているという重大な瑕疵がある。行政処分の意思決定も、私法上の意思決定と同様、当事者間で事前に合意した意思決定の方法に拘束されるのであって、これに反する場合はその意思決定の過程に重大な瑕疵を帯びる。
 この合意書違反は、大学自治の慣行、学問の機会均等を保障し、人間的成長の場としての大きな役割をはたしてきた駒場寮の自治権を侵害することであり、被侵害利益は甚大。
 1991年の時点で予算が付き、具体化していた三鷹計画を学生に隠し、教授会で決定した、大学および学部当局の責任は重い。
 したがって、1991年の「廃寮」決定は、明確に84合意書に違反するものであり、それに端を発する「廃寮」処分は重大な瑕疵を帯びるものであるので、無効である。
 また、1991年の決定は、「廃寮」の基本計画の段階であり、1996年3月31日に駒場寮を「廃寮」にするとの決定は別になされる必要があるが、それは遅くとも1996年3月31日の「廃寮」が前提となっている、1994年11月14日の「入寮募集停止」通達や同日付「学生の皆さんへ」よりも前になされていなければならないのであって、1995年10月の決定をもってこれに代えることは出来ない。そうすると、駒場寮「廃寮」の確定的な実体上の決定がない事になり、そのことも、本件「廃寮」決定を無効となし得る重大な瑕疵と言える。
さらに、1994年11月14日付けの学部文書「学生の皆さんへ」では、「平成8年3月31日をもって、駒場寮の寄宿舎としての機能は停止することとなります。以上の決定が東京大学全学の合意を得た方針に基づいていることは言うまでもありません」との記載がある。これは、裏を返せば東京大学全学で基本方針についての合意(即ち1991年10月の評議会決定)はあるが、「平成8年3月31日をもって、駒場寮の寄宿舎としての機能は停止する」事についての東京大学全学の合意は、この段階ではまだなかったことを示している。にもかかわらず、教養学部の判断だけで、この文書をもって「廃寮」の公示をしてしまっているのである。
 学長の承認をえずに上記の@〜Bの手続きをしてしまったことが「廃寮」決定における重大な瑕疵であることは明白である。
 さらに、文部省の規定に基づく「駒場寮の取り壊し承認」手続きがとられたのは1996年4月5日のことであって、上記の文書による「廃寮決定」は、文部省所轄国有財産取扱規程の規制を潜脱する脱法的行為であり、重大な瑕疵であることは明白である。

 以上のように1991年から1995年にかけた「廃寮」決定は幾重にも渡る重大な瑕疵があり、違法・無効である。

裁量権の濫用

 駒場寮においては、84合意書に代表される、寮生による自治が行われており、そのことを学部当局自身も認めてきた。しかし、1991年7月の学部交渉において、教養学部の評議員は寮の建て替え計画について「具体的計画に至っていない」と述べ、駒場寮「廃寮」について何ら触れないのみならず、「具体化すれば学生と話し合う」と述べているにもかかわらず、10月9日の教授会で、事前に相談せずに「廃寮」を決定したことも詐欺であるといえる。
 したがって、1991年から1995年にかけての「廃寮決定」の過程は、当事者である駒場寮自治会との合意を無視し、信頼関係を破壊した点でも裁量権の濫用である。そして、こうした裁量権の濫用による「廃寮」決定に基づく明け渡し請求は、権利濫用であり認められない。

入寮許可取り消しは駒場寮自治会と学長との信頼関係によって統制される

 学長と駒場寮自治会との間に大学の自治及び駒場寮の自治に関する何らかの合意があり、それが慣習法的に機能していたという意味で賃貸借契約の成立が根拠付けられている。駒場寮自治会に入退寮選考権、居室決定権などの駒場寮の管理に関する事務の委託がなされ、それに基づいて寮自治会が学生を入寮させ、居室を決定し、教養学部長がこれを自動的に承認することで、国と学生との間に寄宿料の国庫への支払を要素とする各居室に関する賃貸借関係が成立するのである。

「廃寮」決定は個々の寮生の入寮許可取消処分にはならない

 地裁判決は、「廃寮」決定は個々の寮生に対する入寮許可取消にあたるとしている。しかし、行政法上、行政行為は、行政権の濫用を防止するために個々独立のものとして厳格に解されねばならないのであって、地裁判決の見解は誤りである。
 この点に照らすと、国側が主張する1995年10月17日の「廃寮」告示と1996年4月1日の駒場寮委員会への「廃寮」通告、「廃寮」掲示は、不特定多数に対する意思表示の方法であり、入寮許可取消の手続とは言えない。
 しかも、今回提出した寮生の陳述書にあるように、「廃寮告示」は実際には読み上げられることもなかった。
 更に、個々の寮生について賃貸借関係が認められる以上、入寮許可の取消は、不利益処分であり、適正手続保護の観点から厳格な手続きが採られなければならないことは明らか。
 ところが、「駒場学寮の在寮期間について」なる文書は、上記の問題に加え、必要と考えられる個々人に対する説明や聴聞、不服申立手段の教示もないものであり、適正な入寮許可取消処分とは言えない。

 以上のように、行政法学の観点からも駒場寮の「廃寮」には問題があるということが示されました。この意見書を提出した3月15日の口頭弁論では、5月31日の判決言い渡しが裁判長により宣言され、高裁の判決が言い渡されることとなりました。

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