第2部 駒場寮問題から大学自治を見る

 ここでは、これ程の対立状況を生み出している駒場寮問題を通じて、大学の自治について若干の考察を加えたいと思います。そうすることによって、何故このような対立状況が生まれたのかを理解することが出来るでしょう。その理解を抜きにして駒場寮問題の本質的な解決はあり得ません。

1 「東大確認書」について

 「東大確認書」とは、1969年に東大当局と各学部代表との間で取り交わされた確認書です。以来、東大に於ける大学自治の基本指針となっています。

東大確認書(1969年)
十の2
 大学当局は、大学自治が教授会の自治であるという従来の考え方が現時点において誤りであることを認め、学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利を持って大学の自治を形成していることを確認する。

 「東大確認書」十の2は、それまで当然とされてきた教授会自治=大学自治という考え方を否定し、学生も大学自治の当事者であることを謳っています。1996年4月以降、学部当局は「廃寮」強行のために学部文書『学生の皆さんへ』シリーズを出しましたが、そこでは「学生自治の及ぶ範囲は学生として責任が果たせる範囲内だということをまず自覚すべきです」として勝手に「東大確認書」をねじ曲げて解釈してみせています。しかしこれは「所詮学生は無責任だから、何も任せられない」と言っているのと同じです。「東大確認書」締結時は学生や職員も参加する全学協議会の設置なども話題にのぼっており、そのような背景を考えれば、このようにして制限(しかも学部当局の判断!)を課し、それを受け入れさせようとしているのが学部当局に他なりません。
 「固有の権利を持って大学の自治を形成している」ということは、「学生だから」「職員だから」といった仕方での排除をしないということを意味するものです。従って、学生側の意思表示として廃寮反対がなされれば、そこで意見の擦り合わせを行わねばならない筈です。しかし、学部当局は「強い反対はない、と解釈する」「もはやこれ以上遅延することは許されない」などとして合意形成を真剣に考えてこなかったのです。一貫して寮生・学生の反対意見を踏み躙ってきたのが学部当局に他なりません。

2 「八四合意書」について

 通称「八四合意書」とは、駒場寮自治会と学部当局が84年5月に水光熱費の負担区分に関して取り交わした「合意書」に附属する「確認事項3」を指しています。

八四合意書(1984年)
確認事項3
 寮生生活に重大な関わりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会(現学生委員会)は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する。

 まず、「廃寮」という問題が「寮生活に重大なかかわりを持つ問題」であるどころか最大級のかかわりを持つ問題であることに異論はないと思います。ところで、ここで是非とも注意せねばならないのは、「事前に」という言葉の意味です。これについては当時の文脈の中で考える必要があります。
 「八四合意書」は、文部省による「二・一八通達(注五)」というものを受けて、駒場寮にも負担区分を導入することを東大学長が寮生に相談しないまま勝手に政府文部省に約束してしまったことに端を発する「負担区分闘争」を終結させた合意書です。学部当局は負担区分を導入しなければ廃寮もあり得る、として駒場寮自治会に恫喝を掛けたのですが、勝手に政府文部省と約束してしまったために、引っ込みがつかなくなっていたのです。後々、そのようなことにならないために取り交わされたのが「確認事項3」なのですから、当然ここで「事前に」と言われるところの「事」とは、学外に問題を持ち出す行為に他なりません。現在の駒場寮「廃寮」問題でいえば、それは計画の概算要求時点、遅くともそれを撤回し得る1991年10月9日「臨時教授会」時点を指すことになります。
 ところが、学部当局は概算要求をしていながら、それを当事者である寮生には伝えず、それどころか1991年7月の学部交渉では「(建て替えは)具体的計画には至っていない」としてあたかも計画自体存在しないかのような発言をなし、8月以降の関係省庁・関係部局との折衝も秘密裏に進めたのです。従って「大学の諸機関に反映させるよう努力する」ことも全く行っていません。「臨時教授会」後も噂を聞き付けた寮生が問いただすまで黙っていたのです。これが「廃寮」計画立案・決定に当たっての学部当局のとった行動です。
 「八四合意書」は、いきなり負担区分導入を迫られた駒場寮自治会が、廃寮の危機を前にして寮内が二分する対立を経て何とか漕ぎ着けた妥結点だったのです。そして今後そのようなことが起こらぬように、「事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する」ことが決められたのです。これは「努力すればいい」というようなアリバイ的合意書なのでは決してありません。

 以上の通り、当の寮生・学生に秘密裏に「廃寮」を「決定」し、かつ以降の反対の声を踏み潰してきた学部当局の態度は、明らかに「東大確認書」「八四合意書」に違反した行為です。ここで是非押さえねばならないのは、これら「東大確認書」「八四合意書」は決して自分たちではない他人が作ったものではなく、ある問題の解決のために、そして善後策として、学部当局自身が判をついたものだという点です。1996年から撒かれている学部文書『学生の皆さんへ』シリーズでは「自律と責任こそ、自治組織存立の要なのです」などと言っていますが、その言葉は学部当局にこそ向けられるべきです。自ら決めた事柄も守れない無責任な態度は問題です。

3 電気・ガス供給停止から何を読み取るか

 学部当局は1996年4月8日の午前10時過ぎ、駒場寮の中・北・明寮の電気・ガスをストップしました。しかも同日同時刻に渡り廊下破壊を開始するなど、陽動作戦を用いた卑劣なやり方でした。またさらに、1998年9月3日には、同日未明に寮施設の南ホールで起きた放火を口実にして、南ホール部分への電気をもストップしました。この事件から何を読み取るべきでしょうか。
 電気・ガスを止めるなどということは、民間の立ち退き事件でもまずあり得ないことです。それをこのようにして学部当局はやってのけました。このことから読み取るべきは、学部当局は学生を大学の当事者として認めていないということです。
 これまで、学部当局に対する見方は必ずしも一致していませんでしたが、この電気・ガスストップによって学部当局をどう見るかについての一致がなされることになりました。学部当局にとって所詮、学生など大学の構成員として認められるような存在ではなく、従って学内問題についても当事者たり得ない。与えられた勉強をそこそこしてサークルでガス抜きでもしていればいい。でも学費はちゃんと納めて貰う。言うことをおとなしく聞く「お客さん」以上ではないのだ。そんな存在と見做される学生ですから、学部当局の計画に反対すると見るや、「大学の自治」に名を借りてあらゆる弾圧も正当化される訳です。今や、大学自治は教授会による治外法権を振りかざすための大義名分と化していると言わざるを得ません。しかも、南ホールについては、それまで主に音楽団体・劇団の練習場所として重宝されていた場所であり、サークルなど学生の自主活動に対しても「大学自治による弾圧」は容赦なく加えられることを、改めて示すこととなりました。
 我々は、「僕らにも特権のおこぼれを」と言っているのでも、教官と「対等」になることによって束の間の優越感に浸ろうとしているのでもありません。学生がいなければ大学は成り立たない訳ですから、当然学生も大学という一社会を支えている訳です。さらに、これを大学という特権的な社会に限ろうとしているのではありません。同じ社会を構成する者の間で勝手に格差がつけられ、一方が他方に優越するという在り方が果たしてよいことなのか。学生を当事者として認めろということは、こういうことに他ならないのです。
 電気・ガスの供給停止は、「学生を当事者として認めない」、裏を返せば「うるさければ潰していい」という学部当局の基本姿勢から必然的に引き起こされた事態であると言えます。駒場寮存続闘争は、このような学部当局の姿勢を変えさせるための過程であると言うことが出来るでしょう。

4 最終的には、ガードマン大量導入による暴力的「解決」へ・・・

 学部当局は1997年4月12日明寮フェンス取り囲み工事、1997年6月28日北寮裏ひさし・寮風呂取り壊し工事、そして1999年1月24日および2月3日南ホールフェンス取り囲み工事と、事あるごとにガードマンを大量導入して、反対する学生に対して「暴力的に」ねじ伏せる、まさに「弾圧」の姿勢があからさまになっています。特に、北寮裏ひさし・寮風呂取り壊し工事と南ホールフェンス取り囲み工事については、話し合いでの解決を全く念頭に置かない、そして単純に「学部当局の方針に反対する者」は弾圧の対象になるとして、暴力的に「解決」する姿勢を見せつけています。電気・ガスの供給停止と合わせて、学部当局が「学生」というものを「お客さん」として、管理すべき対象としてとらえ、出る杭に対しては徹底的に潰すのだ、という態度が改めて明らかになりました。
 学部当局が実際にガードマンを連れてきて何をするか?・・・なかなか想像しにくいでしょうから簡単に何をしたか申し上げておきましょう。例えば、南ホールフェンス取り囲み工事に際しては、当局はなんと300人ものガードマンを連れてきて、寮生が寮に近づくやいなや一人の寮生に対して20名のガードマンが取り囲み、何もしない内に強引に押さえつけ、ふりほどこうとすると殴る蹴る首をつかむなどの暴行を行っているのです。・・・どうですか?あなたの高校、予備校にガードマンが300人やってきたらどんなに異様なことでしょう。
 このようなことは決して許されることではないでしょう?このまま暴力的「解決」の前例を追認していけば、学部当局による学生管理のさらなる強化、反対する者への弾圧強化、そして学部当局の独裁体制が完成してしまうでしょう。駒場寮存続闘争の過程で、学部当局の独裁体質が次々と暴露されているのです。

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