第9章 仮処分攻撃粉砕から本質的解決を目指して

 学部当局は寮側への通知を一切せず、秘密裏に東京地裁に対して仮処分申請を行い、それに基づいて東京地裁は9月3日、仮処分決定を下した。すかさず学部当局は「上申書」を提出、仮処分執行前に寮生に通知しないことを要請し、東京地裁もこれを認め、仮処分決定通知はなされないまま執行当日を迎える。このような経緯からも、学部当局・国側と裁判所が結託して「廃寮」を「合法的」に強行しようとしていることが明らかである。
 9月10日午前10時、突然訪れた執行官団によって初めて仮処分の存在を知らされた寮委員会は、直ぐさま顧問弁護士に寮に来るように依頼、執行官団には指定代理人として顧問弁護士が来るまで待つよう求めた。学部当局側は法的根拠の全くないガードマン・ゲバ職(肉弾戦のための特別職員)を寮内外に配備して、「駒場寮厳戒態勢」を演出してみせた。また学部当局の教官らが執行官団に同伴してきたが、彼らを問いただしても「今日は立会人ということで来た。法的なことは知らない」などと開き直り、仮処分申請したことの責任を放棄する醜態をさらけ出した。暫くして顧問弁護士が到着するが、そこで明らかになったのは、「寮生20名だけで寮全体を共同占有している」というデタラメの仮処分決定であるということだった。そこで「寮生は20名以外にも多数いること」「共同占有という事実はあり得ないこと」等を執行官団側に説明したが、それでも仮処分執行をする姿勢を崩さなかったので、寮委員会から各寮に立会人を出して執行させることにした。執行後、執行官らは「寮生が共同占有しているというのでは説明のつかない部分が多々ある。何らかの組織が管理運営していると見るほかない」などの感想を漏らしていた。実際、デタラメの仮処分決定であったので、それに基づいて執行することなど不可能であった。執行官らはそれでも形式的に執行完了を宣言し、公示書を貼り出して退散した。
 この後学部当局は、仮処分を利用して駒場寮「違法」キャンペーンを撒き散らした。しかし単純に考えれば分かる通り、これから「違法」であるという結論を出させるために裁判所に仮処分申請したのであるから、仮処分申請したことが「違法」であることを意味するものでは決してない。「合法的」に潰すための道具として利用することの他、このような「違法」イメージを描き出して駒場寮を孤立化させることが「法的措置」のもう一つの役割であった。
 しかし、寮生・学生側は怯まなかった。翌日の共同記者会見ではデタラメの「法的措置」で「廃寮」を強行することは許さないという断固たる意思が表明され、顧問弁護士からも中身がデタラメで話にならない、駒場寮を「違法」と呼ぶのであれば、それ以前の電気・ガス供給停止の方が文字通り「違法」な攻撃であることが説明された。
 9月19日に行われた9月教授会では寮生が教授会室に入り、教授に向けて作ったビラをテーブルに配った。慌てた学部当局は「さっさと出ないと教授会は中止になってその責任はお前たちに降りかかる。刑事問題だぞ」などと脅しをかけてきた。しかし、「法的措置」程の重大事に関して当事者である寮生・学生を議場から排除して審議するような教授会の在り方が果たして本当に正しいものなのか。我々はまさにこの点を訴えるべく教授会室に入り、せめて教授会開始前に我々の主張する時間を設けることを要求した。しかし、学部当局はあくまで排除する姿勢を取り続け、我々の主張を聞かせないようにするために教官には教授会室に来ないように指示していた。我々は、集まった多くない教官に対してアピールをして教授会室から退出した。後日、我々の一番訴えたかった「当事者抜きの決定方法は不当である」という点には全く触れず「寮生が乱入して教授会を破壊しようとした」という学部文書一枚が貼り出された。
 冬学期が開講し、寮委員会は「法的措置」の問題点やウソを積極的に暴露していった。「寮生20名」以外にも多数の寮生がいること、寮自治会の存在を抹殺しようとしたために逆に苦しい仮処分申請となったこと、学内問題を裁判所に委ねる行為自体が対話による解決の努力を放棄するものであり、大学自治を掘り崩すものであること、また仮処分申請に当たって提出された「疎明資料」には「裏口が封鎖されている」「バリケードで説得隊の立ち入りを阻止」「勝手に鉄扉に改造」などなど、ウソが書き立てられていることを大々的に暴露していった。その結果「法的措置」自体がデタラメであるという認識が広く学生の間に共有されることとなった。
 学部当局の「違法」キャンペーンがデタラメであるという認識の広がりと相俟って、駒場祭の準備に向けて寮を利用する学生が次第に増えてきた。サークルで部室を申請する者やクラスルームを利用する学生が今までになく増加し、駒場寮は「法的措置」による「違法」キャンペーンのダメージから完全に回復した。それぞれの学生が駒場寮を使うことによって寮問題を我が身の問題として考える契機となったと言えよう。
 さらに駒場祭と同時期に行われた秋の寮祭では、寮生のみならず寮外からも広く参加者が集まり、大いに盛り上がった。中でも北寮前野外ステージで行われた寮祭ライブは学内外からの参加者が熱のこもった演奏を繰り広げ、駒場寮健在をアピールすることになった。寮祭後にもサークルで部室をとる者が増え続けていることは、もはや駒場寮「違法」キャンペーンが何ら恫喝力を持ち得なくなったことを物語っている。
 このように、駒場祭・寮祭を切っ掛けに駒場寮は活気を取り戻した。勢いにのる駒場寮に恐れをなし、なかなか進展しない「法的措置」だけでは「廃寮」強行は難しいと判断したのか、学部当局は11月28日、突如電気をストップしてきた。それまで、寮の電気は同じく寮自治会が管理している寮食堂南ホールから独自に引いてきていたが、学部当局はこの寮食堂南ホールの電源を落とすという荒業によって駒場寮の電気をストップさせたのである。寮食堂南ホールはサークルの活動場所としても利用されており、電気ストップはこれらサークルの活動にも多大な影響を与えた。
 11月28日の電気ストップは様々な問題点を明らかにする。反対を押し切って「法的措置」によって寮問題を無理矢理に法的土俵に引き上げたのは他ならぬ学部当局自身である。ところが、電気ストップは、5月にも問題となった通り、法的には「自力救済」として禁止される行為である。一方では法律で「廃寮」を強行しようとしておきながら、他方では電気ストップという法律の禁止する行為によって「廃寮」を強行しようとする。この首尾一貫しない学部当局の態度自体が(とは言え、手段を選ばない「廃寮」強行という点では首尾一貫しているが)、「廃寮」計画の不当性を浮き彫りにしたのが11月28日の電気ストップであった。
 また、寮食堂南ホールの電源を落としたことによってこれまでその活動を保護されていた南ホール使用サークルも不利益を被り、かつ隣の北ホール駒場小劇場の楽屋も同電源のために停電し、公演が出来なくなるという事態になった。このことは、学生自治潰しが根本にある「廃寮」計画である以上、それを学生が放置するならば必ずや寮以外の学生自治・学生の自主自治活動にも攻撃の手は及んでくるであろうことを如実に示した。
 さらに、学部当局はこの事件を収拾すべく「学生の意見を反映して」南ホールの照明電源のみを復旧すると発表した。駒場寮には電気を引くことが出来ないようにして、かつ南ホールの照明だけは復旧する。このように「学生の意見」を歪曲させながら悪用し、学生同士を分断するという学部当局の手法が極めて分かり易い形で露呈した。
 電気ストップの当日には緊急の交渉が持たれたが、学部当局はあくまで電気を止めるという態度をとり、物別れに終わった。駒場寮は5月8日の電気ストップ、6月3日の電気ドラム窃盗に次いで3度目の暗闇の一夜を強いられることになった。しかし、電気は2日後、原因不明のまま復旧した。
 時期は前後するが、10月31日に、寮側は仮処分執行に抗議する異議申し立てを東京地裁に提出した。ここでは「寮生20名で寮全体を共同占有している」などという事実はないから、仮処分執行を取り消すことを要求している。これに対して11月25日、学部当局・国側は「意見書」を提出して反論した。しかしその内容は旧法に則った主張であったり、ウソであったりと、全く無内容なものであった。これに対して寮側は再度「反論書」を東京地裁に提出し、国側「意見書」に対する全面的な論駁を展開している。これら執行異議申し立てを巡る一連の応酬の内容は、寮側にとって圧倒的に有利である。東京地裁もあまりに無内容な学部当局の「意見書」を以て不当判決を出すことなど出来よう筈もなく、手をこまねいている始末である。学部当局の「法的措置」路線は早くも破綻したと言えよう。
 破綻した「法的措置」にはよらない、より本質的な問題の解決を目指すべく、寮委員会は11月以降、寮問題連続公開学習会を開いてきた。その第四回として学部当局側の当事者である三鷹特別委員会委員長を招聘し、大々的に学習会を行った。学習会では参加者からも活発に意見が出され、寮問題の争点を洗い出す作業が進展した。これに続き、冬休みを利用して寮問題一次資料集シリーズ(マスメディア、寮委員会ビラ、学部文書)(注九)が作成され、寮問題に関心のある人が問題点を自ら考えるための切っ掛けを作ることが出来た。また、同じく冬休みを利用して寮生を他大学の学生寮に派遣し、駒場寮問題についての報告や派遣先の寮で起きている問題の報告を受けるなどして草の根的な交流を行い、本質的な解決を模索している。
 これらの努力を踏まえて、1月15日、「法的措置」撤回!駒場寮存続!全国集会を行った。第一部では、この間に寮を利用するようになった人々や、京都大学吉田寮、東工大サークル連合会、山形大学学寮、北海道大学恵迪寮など全国から集まった学生などが参加して、昼休みのバンド演奏、集会、餅つき大会などで盛り上がった。集会終了後、シュプレヒコールをあげて101号館に向かい、抗議の意思を示した。
 第二部では報告会・交流会が行われた。報告会では様々な大学現場で起きている問題が報告され、駒場寮「廃寮」計画に見られるような学生自治潰しが単に駒場寮に限らず全国的な傾向であることが改めて明らかになった。駒場寮を守ること、それは単に寮の建物にこだわった寮生のエゴではなく、全国的な学生自治潰しに反対するための、駒場キャンパスに於ける一つの抵抗であり、学内外の連帯を基礎にして闘っていかねばならない。
 さて、1月27日には一カ月半ぶりに三鷹特別委交渉が行われた。この交渉の議題は、寮が存続した場合の(学部当局の考える)デメリットについてであった。「法的措置」には拠らない寮問題の本質的解決を探るための前提を作る試みという位置付けで我々は臨んだが、久々に内容のある交渉となった。さらに今後も継続して交渉を行うことが確認され、前途多難に見える寮問題ではあるが、本質的解決に向けて心もとなくも大きな一歩が踏み出された。9月10日の「占有移転禁止」仮処分執行から五カ月近くが経ち、漸く「法的措置」に拠らない解決への糸口が掴める段階に入ったと言えそうである。

(以上、1997年1月28日記す)

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