(以下、1998年2月13日記。法的措置批判等、重複して記述したい部分も多いが、それは第9章を読むことで補って頂きたい)

第10章 迷走する「廃寮」攻撃

一、明渡仮処分申請
 1997年2月5日、国側は駒場寮自治会・全日本学生寮自治会連合・東京都学生寮自治会連合の三団体及び46名を相手取り、駒場寮北中明寮の三棟に対し明渡の仮処分申請を行った。仮処分申請が認められるには、明渡に充分な必要性と緊急性がなければならない。この申請に対し駒場寮自治会は、

@ 裁判所に対し駒場寮自治会が駒場寮を占有する正当性、及び明寮取壊の緊急性と必要性が無いことの立証 
A 幅広い世論の包囲により裁判所に慎重な審議を求めること 
の2点を軸に、この申請の却下を目指す。
 @については、
(1) 原資料として駒場寮自治会が駒場寮を占有すること、特に入寮募集を行うことの正当性を示す資料(学寮委員会確認書)、駒場寮自治会の合意しない駒場寮「廃寮」決定の無効性を示す資料(八四合意書
(2) 教養学部元学部長小出昭一郎(84年当時学部長)、教養学部教授小川晴久、同助教授高橋宗五等、大学関係者側からの駒場寮「廃寮」の不当性に関する証言
(3) 84年当時の寮委員長など、寮生OBの証言 
(4) 駒場寮の必要性と取り壊しの不必要性に関する寮生自身の証言
(5) 駒場寮使用者、京都大学吉田寮自治会など、幅広い層からの証言
等を裁判所に提示することによって寮側の正当性を明らかにした。
 Aについては、裁判所に対し慎重な審議を求める署名に、約二週間で学生・教官・寮OB・他大学生など広範な層から2500筆以上を集め、また記者会見を行うなど、幅広い取り組みを行った。
 その結果、極力短期間で審議を終えようとする裁判所に、3月6日、3月18日と2回の審尋を開かせ、国側に対する和解勧告をも行わせることができた。
 審尋の過程に於いても、前記の資料を元に、駒場寮自治会は国・大学側の主張を尽く論破した結果、国側は事実上明寮に限って明け渡しを求めていくという方針転換を行う。通例国が行う裁判が国側に有利な判決が下されることを思えば、これは国の明らかな失態であると言えよう。第2回審尋終了後、3月19日には、形式的にも北中寮に対する申し立てを取り下げ、駒場寮存続の論拠は易々と崩されるものではないことが満天下に明らかとなった。
 3月25日、明寮を明渡せという裁判所の決定が行われる。これは、明寮取り壊しの必要性と緊急性を不当に高く評価した、誤った判決だと言わざるを得ない。確かに国側を相手取る裁判としては、北中寮を取り下げさせ事実上勝利と言って良い内容であるが、駒場寮にとっても、今後は裁判過程に依らない決着を迫るものであると言えよう。

 国側・大学側の主張の一々を取り上げることは紙面の無駄なので行わないが、占有認定の杜撰さだけは挙げておかなければならない。国側は、46名と駒場寮自治会が寮全体を共同占有している、という主張を行った。ここには少なくとも三つの誤りがある。第一に、駒場寮生は46名以上多数存在していること。第二に、寮生以外の人間=実際には占有していない人間を占有者として認定していること。第三に、共同占有ではなく、寮生は自分の部屋しか占有していないこと。この杜撰な占有認定を裁判所がそのまま認めてしまったために、明寮明渡執行の際、様々な不公正な手続が執られることになる。

二、 明寮強制執行の不当性
 決定に従って、3月29日に明寮明渡の「強制執行」が行われる。この「強制執行」に伴って、数々の不公正な手続が行われた。特に重要なものは以下の四点である。

@ 駒場寮自治会は決定に従って明寮を任意に明け渡す旨を表明したにも関わらず、裁判所はそれを無視して無理矢理明寮から人を追い出す、という「強制執行」という方法を執ったこと自体
A 寮側代理人である弁護士の立会を待たずに執行を開始したこと
B 法律上三団体と四六名の「債務者」しか追い出せないにも関わらず、「非債務者」まで無理矢理叩き出したこと
C 本来厳重に保管すべき債務者の荷物を無断で廃棄したこと
 特にBについては解説の要があるだろう。一、で述べたとおり、国及び裁判所の占有認定は杜撰なものであった。実際に明寮を使用しており、かつ認定から漏れている人間が多数いたのである。にも関わらず、裁判所の執行官は債務者と同時に非債務者まで追い出してしまった。これは明らかに裁判所の決定に反するものであり、違法行為である。このような不公正な執行の結果、当日その場にいた四名にしか明寮の使用が許されない、という事態になってしまった。
 国側はこの4名に対しても追い打ちを掛ける。即刻4名に対し明渡申請を行い、本来なら占有認定の杜撰さを指摘すべき裁判所まで、4月8日の明渡決定でこれに追随してしまう。4月10日には、サークルが新入生歓迎行事を行っている一号館を封鎖して、つまり学生を閉じこめて置いて、明寮の第二次執行を行う。そこで、またも@〜Cの問題が繰り返された。当日の執行中、寮生・学生側は何度も学部側代表者の事情説明を求めたにも関わらず、学部当局は現場から逃亡し、事情説明を言を左右にして拒否する。結果、夜遅くまで明寮前に新入生他多数の学生が居残り、学部当局の無責任さを目の当たりにすることになる。

 この明寮強制執行時の問題について、特に強調しておかねばならないことがある。強制執行時には、100人以上の人夫、200人以上の教職員、100人以上のガードマンが動員された。人夫やガードマンの雇用には当然税金が使用される。ガードマンが利用されたのは3月29日の執行時だけではない。大学当局は、当日の執行終了後も、ガードマン数十人を明寮入口に配置し、明寮を立入禁止とする。当日明寮の占有を裁判所に認められた人間に許された者ですら中に入れないという違法振りである。この状態は、4月10日の第二次執行以降も、明寮取り壊しまで継続され、少なくとも数千万に上る税金が投入される。国立大学は、本来このような用途に使う予算はもっていないはずだ。この金は研究教育費が一律5%引き下げられること等によって一部が賄われた様子である。こんな用途に予算を使用することは、教授会の承認すら得ていない。こと学部長の行為は、予算流用を禁じた財政法違反である。

三、 明寮取壊準備工事
 明寮強制執行と相前後して、大学当局は、明寮取壊の準備工事として明寮周辺にフェンス工事を行おうとする。3月30日には、まだ明寮に人が住んでいるにも関わらず、事前の予告無しに、明寮周辺にフェンスを張り巡らそうとした。この工事は学生の強い抗議によって中止に追い込まれる。続いて4月10日の第二次執行後に、フェンス工事を行う旨の「通告」が突然為され、翌日にはフェンス工事実施を巡る交渉が断続的に行われた。最終的に交渉は決裂し、4月12日を迎える。
 教養学部が暴力的に「廃寮」を推進していく様は、この文中で何度も触れているが、4月12日の工事はこれまでを大きく上回る暴力が奮われた。教職員100人以上、ガードマン300人以上が導入され、重機によって北明寮間の渡り廊下が壊され、抗議する学生はガードマンによって強制排除され、その様をを教職員が傍観する。結果的にフェンスは建設され、明寮は5月末に取り壊しが完了する。

四、「廃寮」攻撃の迷走
 これらの「廃寮」攻撃は、いずれもその意図である「廃寮」を全うすることなく潰えた。「廃寮」攻撃は、むしろ「廃寮」決定の不当性、すなわち、膨大な暴力と費用を以てしなければ潰し得ない程、「駒場寮存続」の論理が強靭であることを如実に示している。「廃寮」攻撃が暴力を行使すればする程、「廃寮」の論理は自らの正当性を掘り崩す。  無論、放って置いて「廃寮」攻撃が自壊することにはならない。そこには、「廃寮」攻撃に対する駒場寮自治会側の適切な対応と、幅広い世論の援護が必要である。それらを実現するために、以降の駒場寮自治会の努力が始められた。

 尚、一連の法的措置に関する詳しい資料として、『駒場寮問題「法的措置」関連報告集』がある。是非参照されたい。

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