(以下、1998年2月13日記。法的措置批判等、重複して記述したい部分も多いが、それは第9章を読むことで補って頂きたい)
第10章 迷走する「廃寮」攻撃
一、明渡仮処分申請
1997年2月5日、国側は駒場寮自治会・全日本学生寮自治会連合・東京都学生寮自治会連合の三団体及び46名を相手取り、駒場寮北中明寮の三棟に対し明渡の仮処分申請を行った。仮処分申請が認められるには、明渡に充分な必要性と緊急性がなければならない。この申請に対し駒場寮自治会は、
国側・大学側の主張の一々を取り上げることは紙面の無駄なので行わないが、占有認定の杜撰さだけは挙げておかなければならない。国側は、46名と駒場寮自治会が寮全体を共同占有している、という主張を行った。ここには少なくとも三つの誤りがある。第一に、駒場寮生は46名以上多数存在していること。第二に、寮生以外の人間=実際には占有していない人間を占有者として認定していること。第三に、共同占有ではなく、寮生は自分の部屋しか占有していないこと。この杜撰な占有認定を裁判所がそのまま認めてしまったために、明寮明渡執行の際、様々な不公正な手続が執られることになる。
二、 明寮強制執行の不当性
決定に従って、3月29日に明寮明渡の「強制執行」が行われる。この「強制執行」に伴って、数々の不公正な手続が行われた。特に重要なものは以下の四点である。
この明寮強制執行時の問題について、特に強調しておかねばならないことがある。強制執行時には、100人以上の人夫、200人以上の教職員、100人以上のガードマンが動員された。人夫やガードマンの雇用には当然税金が使用される。ガードマンが利用されたのは3月29日の執行時だけではない。大学当局は、当日の執行終了後も、ガードマン数十人を明寮入口に配置し、明寮を立入禁止とする。当日明寮の占有を裁判所に認められた人間に許された者ですら中に入れないという違法振りである。この状態は、4月10日の第二次執行以降も、明寮取り壊しまで継続され、少なくとも数千万に上る税金が投入される。国立大学は、本来このような用途に使う予算はもっていないはずだ。この金は研究教育費が一律5%引き下げられること等によって一部が賄われた様子である。こんな用途に予算を使用することは、教授会の承認すら得ていない。こと学部長の行為は、予算流用を禁じた財政法違反である。
三、 明寮取壊準備工事
四、「廃寮」攻撃の迷走
尚、一連の法的措置に関する詳しい資料として、『駒場寮問題「法的措置」関連報告集』がある。是非参照されたい。
[第11章→]
明寮強制執行と相前後して、大学当局は、明寮取壊の準備工事として明寮周辺にフェンス工事を行おうとする。3月30日には、まだ明寮に人が住んでいるにも関わらず、事前の予告無しに、明寮周辺にフェンスを張り巡らそうとした。この工事は学生の強い抗議によって中止に追い込まれる。続いて4月10日の第二次執行後に、フェンス工事を行う旨の「通告」が突然為され、翌日にはフェンス工事実施を巡る交渉が断続的に行われた。最終的に交渉は決裂し、4月12日を迎える。
教養学部が暴力的に「廃寮」を推進していく様は、この文中で何度も触れているが、4月12日の工事はこれまでを大きく上回る暴力が奮われた。教職員100人以上、ガードマン300人以上が導入され、重機によって北明寮間の渡り廊下が壊され、抗議する学生はガードマンによって強制排除され、その様をを教職員が傍観する。結果的にフェンスは建設され、明寮は5月末に取り壊しが完了する。
これらの「廃寮」攻撃は、いずれもその意図である「廃寮」を全うすることなく潰えた。「廃寮」攻撃は、むしろ「廃寮」決定の不当性、すなわち、膨大な暴力と費用を以てしなければ潰し得ない程、「駒場寮存続」の論理が強靭であることを如実に示している。「廃寮」攻撃が暴力を行使すればする程、「廃寮」の論理は自らの正当性を掘り崩す。
無論、放って置いて「廃寮」攻撃が自壊することにはならない。そこには、「廃寮」攻撃に対する駒場寮自治会側の適切な対応と、幅広い世論の援護が必要である。それらを実現するために、以降の駒場寮自治会の努力が始められた。