4月2日以降、教職員らが構成する「説得隊」と呼ばれる寮生叩き出し部隊が寮内に侵入し始める。実力での廃寮化攻撃が始まったのである。
4月8日、学部当局は駒場寮の電気・ガスをストップし、同時にパワーショベルを導入して渡り廊下破壊を行ってきた。「説得隊」を大量に動員し、陽動作戦を展開しながらの暴挙であった。寮生・学生側はこれに強く抗議、当日午後の工事中止を勝ち取り、学部長に団交を申し入れた。しかし学部当局は頑として電気復旧を拒み、駒場寮は暗闇の一夜を過ごすことになった。翌日には学生自治団体の共同記者会見を行い、学部当局の暴挙を指弾した。記者会見後、101号館に共同声明提出行動を行ったが、その中で永野評議員から「人道的にはよくないが法的には問題ない」という発言があり、皆の怒りはますます高まる一方だった。翌日10日、電気・ガス復旧、渡り廊下取り壊し弾劾の昼休み集会を行い、怒りの強さを示していった。この頃から寮生自力での電気復旧の努力がなされ、一部屋また一部屋と明かりの灯る部屋が増えていった。それは、何としても寮を守り抜くという寮生の意志が、一つまた一つと闘いの烽火を上げていく光景であった。
4月15日、授業開講日に学部長団交が行われた。一枠では学生自治会が電気・ガスストップの非人道性を指弾した。二枠では駒場寮自治会が法律的な資料を取り揃えて学部当局を迎え撃った。「自力救済」(注六)として法的にも違法である電気・ガス供給停止の即時解除、同じく違法な「説得隊」の寮内侵入の中止、渡り廊下破壊で切断された寮内放送設備の復旧を要求した。学部当局は法律担当教官らを使って反論してきたが、何らまともな反論は出来ず、「君たちがそう言うなら裁判をすればいい」などと当事者責任を放棄して開き直る始末だった。しかし、放送設備の復旧と「寮生を引きずり出して居室に鍵をかけたり、荷物を持ち出す等の実力行使は行わない」ことが確約された。しかし学部当局は寮生を引きずり出さないかわりに寮生を部屋に閉じ込めて鍵をかけるなど、暴挙をほしいままにした。
この学部長団交後、渡り廊下破壊の再開が迫る緊迫した状況の中、寮委員会と三鷹特別委員会との間で連日のように交渉が続けられたが、何らの進展もみることなく決裂した。最大の障害となったのは、電気・ガスの復旧を交渉の前提とせず、「廃寮」のための交渉の取引材料にしようとする学部当局の「廃寮」強行の強圧的態度であった。電気を「人質」にして「死に方を選べ」と言うに等しいこの交渉の内容に寮委員会は激怒するが寮生の意見を広く聞くために寮生会議にかけることを約束した。しかし寮生会議の場に於いても「このような交渉は交渉と呼ぶに値しない。あくまで闘うべき」との意見でまとまり、最終的にこの緊迫した状況は交渉によって打開することは出来なかった。
4月24日、寮防衛決戦の日が訪れた。寮生・支援者は早朝からバリケードを築き、渡り廊下に通じる路地を封鎖した。学部当局側も午前6時過ぎにはパワーショベルを再度導入して取り壊しの準備を進めた。学部当局は教職員を100名近く動員し、何としてでも取り壊しを強行する構えでいたが、人が住んでいるのに壊すとは何事か!という怒りが数では劣っていた寮生・支援者に圧倒的な力を与え、座り込み阻止行動によってパワーショベルの侵入を許さなかったのである。この攻防の中で、取り壊しを命じられた業者に、死傷者が出るかも知れないような危険な状況であるにも関わらず、あくまで取り壊しを強要する権力者としての学部当局の卑劣な醜態が完全に露呈した。「こんな危ない状況では作業は出来ない」として中止を求める業者に対して、学部当局は紛争状態に陥っている責任を隠蔽したまま、「パワーショベルが駄目ならチェーンソーで壊せ」と言い放ったのである。事業主としての責任があるとすれば、それは「廃寮」計画を「廃寮」問題にこじらせないこと、「取り壊し」工事を「取り壊し」事件にこじらせないことに他ならない。何の解決もないままに取り壊しをすれば大きな衝突となることを学部当局は初めから分かっていた。それは交渉決裂の時、「実力でケリをつける」という発言がなされたことに現れている。しかし実際に「実力でケリをつける」のは決して彼らではない。その矛盾をそのまま何の罪もない業者に押し付け、業者に泣く泣くチェーンソーを回させたのである。その脇で解体を急ぐようにせかす教授たち。醜悪極まりない権力者の姿。これこそが学部当局の本質に他ならない。「廃寮」問題は本質的に権力関係に関わり合う問題であることが誰の目にも明らかになった場面であったが、同時に我々学生・東大生に対して突き付けられた問題でもあった。当日の工事を中止に追い込んだ後の抗議行動の中で、業者への給料を必ず払えと要求したのも、そのような問題意識からであった。
翌日、業者は別の工事の予定があるとしてパワーショベルを撤退させた。醜悪な学部当局の実力での寮破壊計画は破綻した。
五月に入ると、5月9日の緊急代議員大会に向けて、学部当局・学生側の宣伝合戦となった。学部当局は『学生の皆さんへ』と称するシリーズ文書を発行し、寮側はこれに反論するビラを連日作成した。学部当局の実力破壊路線が頓挫し、攻防の場は一般学生への宣伝に移ったのである。
5月9日の緊急代議員大会に於いて、電気・ガス復旧と「廃寮」の是非に関する全学投票を行うことが提起、可決され、これに基づいて全学投票が行われることになった。学部当局と寮生・学生の闘いは全学投票を巡る闘いとなった。
電気・ガスを止めるという学部当局のやり方に反対する声は圧倒的に強く、「電気・ガス復旧、渡り廊下取り壊し中止、誠実な交渉」を要求する主文一は、七割以上の賛成をもって批准された。しかし寮存続を求める主文二は賛成が規定数(注七)に達せず、再投票に委ねられることとなった。
6月3日、とんでもない事件がまたしても引き起こされた。「説得隊」を使って寮生を引き付けておきながら、何と寮の裏側で電気供給のために寮生が使っていた電気ドラムを窃盗し、電気コードを切断するという犯罪紛いの行為を学部当局が仕出かしたのである。「説得隊」は当日の目的を説得活動及び封鎖に見せかけるため、木材をドアに釘付けするなどのパフォーマンスをしたが、実際には少しでも時間を稼いで電気ドラム窃盗を完了することが目的だったのである。大量に教職員が動員されて電気ドラムを窃盗したが、あまりに卑劣な行為であるとして教官の中からも良心的辞退者が出る程だった。寮生はこれに抗議し、101号館に抗議行動を行った。学部当局は「危険なので撤去した」「盗電なので撤去した」などの右往左往を見せたものの結局何の進展もなく、寮は再びロウソク生活を強いられることになった。
生活をこのようにいとも簡単に蹂躙されてたまるか!という寮生の怒りは頂点に達した。学部当局に抗議するため、翌日から寮生と他大学から来ていた学生がハンガーストライキに突入した。しかし学部当局はこのハンストを黙殺し、3日後、ハンスト中の寮生が疲労のためダウン、救急車で病院に送られてしまった。これに対して同日午後、学部当局は「説得隊」に寮内のガラス戸を叩き割らせることで回答に代えてきた。彼らの答えは、出て行かないとぶっ潰すぞ、というものだった。
再投票初日の6月15日、電気・ガス復旧!「廃寮」粉砕!全国集会が行われた。昼休みの集会には京都大学吉田寮、東工大サークル連合会、信州大学サークル協議会、山形大学学寮などからの支援者を含めて120名程が参加し、集会終了後、101号館に抗議行動を行った。抗議行動の中で寮側は、6月3日に窃盗された電気ドラムの返還を要求したが、学部当局は返還をしない態度を取り続けた。しかし、ついには「現在の駒場寮は“盗電”をしているから問題なのであり、両者困らない形での解決策を探ろう。その後、電気ドラムは必ず返す」という発言を得て我々もそれに応じることになった。しかし、この日永野評議員が倒れ、救急車で運ばれるという事態になった。我々は責任者である評議員には何としても話し合いの最後までいて欲しいと思ったが、やむを得ず通すことにした。しかし後日出された学部文書はあまりにも酷い内容だった、「長時間にわたる異常に執拗な攻撃に永野評議員が倒れる」。長時間の抗議で疲れるのは寮生も同じではないのか。また我々の真剣さは「異常に執拗」であると切り捨てられ、話し合いで解決する努力は「攻撃」となってしまう。救急車はその場を終わらせ、このような文書を作るための猿芝居に過ぎなかったのである。抗議行動の中では、ある学生が入寮したために研究室で嫌がらせを受けて追い出されたことについても追及したが、学部当局は「当然だ」などと開き直った。入寮することと研究活動と何の関係があるのだろうか。研究室揺さぶりという社会的抹殺に等しい行為は、思想弾圧に他ならず、我々はこれを許さない。思想的自由など本当はかけらもないのがこの東大の実態である。この日確約された「両者困らない形での解決策を探る」交渉は21日に行われたが、開口一番「寮を出るならば電気ドラムを返す」という学部当局の騙し討ちで決裂した。
ところで「廃寮」の是非に関する全学投票は、再投票でもやはり賛成が規定数に達せず、結局批准する・しないが確定しなかった。多くの一年生が駒場寮に足を踏み入れたことがなかったため(そしてそれは学部当局の「立ち入り禁止」の脅しによるところが大きい)今後、寮を存続すべきなのか、少なくない学生が分かり兼ねた結果と言えよう。
学部当局は「廃寮」の説明会を開いたり、教官にビラを撒かせたり、ありとあらゆる手段でこの全学投票を「廃寮」賛成に導こうとしたが、電気・ガスの復旧を突き付けられ、また「廃寮」反対も依然として根強く、一般学生からも支持されていないことが明らかになった。ここに至って、学部当局の学生自治そのものへの攻撃が強まるが、そのことは取りも直さず「廃寮」計画が学生自治潰しを狙うものであることを自己暴露している。七月の始めに全学投票に対する「疑義」なるものが発表されたが、これは全学投票自体を無効化することを狙ったものであり、逆に強い反発にあった。
ストレートに「廃寮」問題について切り込んで一般学生の支持を得ることが出来ないと見るや、学部当局は「キャンパスプラザ」という餌をちらつかせ、かつ「着工間近」というデマを流し続け、学生を「廃寮」賛成に急き立てようとした。甚だしくは一部の学生に「キャンパスプラザ」推進を宣伝させて、学生の要求の中から生まれた計画であるかのようなプロパガンダを行ったりした。このような策動は、「キャンパスプラザ」推進を唱えさせられた学生にも、寮存続を訴える学生にも癒し難い傷痕を残すことになる。
学内では「キャンパスプラザ」を使った「廃寮」キャンペーンを続ける一方、学部当局は「廃寮」強行の新たな手段として「法的措置」への準備を着々と進めていた。六月の教授会に於いて「学部長への法的措置の一任」を「決定」し、教授会での支持を取り付けた学部当局は、秘密裏に「法的措置」申請のための資料作成などを進め、9月10日、抜き打ち的に「占有移転禁止」(注八)仮処分の執行に及んだのである。
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