第4章 廃寮反対!駒寮存続!を掲げる運動の高揚

 2月25日、一年ぶりに駒場寮委員会は単独で三鷹特別委と第八委員会(寮関連の事項を扱う教官組織。現在は改組)との交渉に臨む。ここで永野特別委員長の「署名等、学内世論が盛り上がれば駒場寮は残る」との発言を得、以降駒場寮は存続を訴える署名運動を中心に進めていく方針を打ち出す(7月27日の三鷹特別委交渉で2,500名分の署名を提出した)。五月駒場寮総代会では「教授会抗議行動で駒場寮の存続を求めていこう」が可決され、教授会の度に抗議行動を行うこととなった。
 夏休みの終わりあたりから、駒場寮内で武陵桃源会を中心に、廃寮反対のストライキをやろうという気運が盛り上がってきた。9月始めに寮委員会によって出された『駒場寮存続アピール/駒場寮を守らなければならない七つの理由』は、そのための布石として位置付けられる。寮内サークルを中心に教養学部のクラス、学内の自治団体等にアピールに対する賛同を呼びかけた結果、秋休み中だけで28団体から賛同が寄せられた。10月末には約60にまで達した。こうして寮内外に於いて改めて廃寮問題への関心が高まっていった。10月15日の駒場寮総代会で「駒場寮存続アピール」及び「駒場寮存続のためのストライキ方針」が可決された。総代会決定に従い、寮委員会は「シリーズビラ」(1〜6)を教室に撒くなどして、さらに駒場寮廃寮の不当性を訴え、学生ストライキに向けて学内世論の喚起に努めた。11月2日・11日には「駒場寮の存続を訴える昼休み北寮前集会」を行った。2日には集会後、約3,500筆の署名と60以上の団体からの賛同を得た「駒場寮存続アピール」を背景に、廃寮撤回を掲げる要求書を教養学部長宛てに提出した。11日には代議員大会があったのだが、ここで学生自治会執行部は廃寮反対と学費値上げ反対・「学部別授業料」導入撤回を掲げて11月18日にストライキをやることを提案した。一方、駒場寮自治会と学友会学生理事会は廃寮反対と学費値上げ反対・「学部別授業料」導入撤回は別の問題であるから学費値上げ反対・「学部別授業料」導入撤回は18日、廃寮反対は19日にそれぞれストライキをやることを共同提案した。議論が進む中、自治会執行部は廃寮反対については19日にやることに修正し、これらの提案は圧倒的多数をもって可決された。これをうけて12日から17日まで、ストライキ実施の是非を問う学生批准投票が行われ、学費値上げ反対・「学部別授業料」導入撤回を求めるストライキは賛成率88.0%、駒場寮存続を求めるストライキは賛成率76.1%でそれぞれ批准された。こうして教養学部で3年ぶりの学生ストライキが正式に決定した。19日にはクラス討論が行われ、昼休みには集会が行われた。集会では京都大学吉田寮からも連帯のアピールが行われた。集会に引き続き、学内デモ、蓮實重彦教養学部長(当時)に対する抗議行動を行った。学部長は学部長室に隠れて出て来なかったので、抗議文書を学部長補佐に手渡すにとどまった。その後、文部省・国会へデモ行進・抗議行動(議員要請行動)を行った。
 一方、駒場寮祭に向けてあるイベントが計画されていた。9月末、「やだこら」(駒場寮廃寮に反対するヤングアダルツ)(注四)が彼女の事務所に申し込んだところ快諾されたのが切っ掛けとなった。東大OGで現在歌手、加藤登紀子を招いての「駒場寮の存続を考える加藤登紀子コンサート(ときコン)」の企画である。学内外の関心を高めることを目指したこの企画を、寮生・OBを中心とした「登紀子コンサート実行委員会」が主催し、駒場寮と「駒場寮の廃寮を考える会」が協賛した。ときコンは11月23日、キャンパス内ラグビー場で行われた。動員観客数は5,000人でマスコミ関係者も多数取材に来ていた。13時に実行委員長挨拶でスタートし、寮委員長、学友会議長、OBなどからアピールがあり、80年代に廃寮化攻撃を跳ね返し存続を勝ち取った京都大学吉田寮からもアピールが行われた。加藤登紀子は思い出話や駒場寮への想いを語りつつヒット曲をオンパレードし、15時、大盛況のうちにコンサートは幕を閉じた。ちなみに加藤登紀子本人はノーギャラで出演してくれた。
 さて、話は前後するが、学部当局は11月1日付けで「創造的学園スペース『駒場CCCL』の創成に向けて」なる文書を発表、駒場寮廃寮を前提としたキャンパス「再開発」計画にかける学部の意気込みを、改めて全学に向けてアピールした。これがいわゆる「CCCL計画」である。学部当局は「三鷹国際学生宿舎」計画との抱合わせでの駒場寮廃寮を強硬に主張してきたが、駒場寮廃寮後の跡地計画はいい加減なもので何一つまとまっていなかった。しかしこの「CCCL計画」を発表することでとにかく廃寮だけは絶対に行う意図を明確に表したのである。

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