第22章 裁判の行方と2000年度へ向けて

 99年度を振り返ると、非常に駒場寮存続運動の盛り上がった一年と言うことができよう。学生投票の批准によって、「学生は一貫して「廃寮」に反対している」という事実を具体的な数字にして示すことができたし、裁判についても、少ないながらも3人の証人尋問を認めさせることができた。これら数多くの成果を勝ち得た原動力としてあげられるのが、やはりなんといっても寮生数の増加にあろう。自分のクラスに寮生がいることによって、寮問題をより身近に感じることができる等、学内での意識が向上するのは間違いないし、主体的に寮存続運動に参加する人数も増え、その結果私達の主張はより多くの人に伝えられる。その主張に共感した人が、さらに寮存続運動に参加する。このようにして、寮存続運動はますますその規模も内容も充実させ続けているのである。
 しかしながら、現在の学部当局は、このような大きな運動に真摯に目を向けるどころか、学内での解決を模索することもなしに裁判所に任せきり、というのが実状であろう。「学内の問題は学内で解決する」という大学自治の大原則に真っ向から反する当局のこの態度は、直接大学自治を否定する行為につながる。
 ここで、もう一度駒場寮問題を裁判で扱うことの不当性をおさらいしよう。第一に、裁判は大学自治を破壊する。この問題は学内の問題であるから、充分な議論を行って合意にたどり着くことが本来の解決である。。学外の機関に問題解決を委ねるのは、自らの解決能力の否定、そしてお互いの信頼関係の破壊につながり、それはそのまま大学自治の否定を意味するのである。第二に、裁判では問題の本質に踏み込まず、単に「建物の明け渡し問題」に矮小化されかねない。すなわち、駒場寮問題は、教育の機会均等や大学の自治など、非常に重要な問題を含んでいるにもかかわらず、そういった観点を全て無視し、さらには過去に結ばれた合意書やこれまでの自治の慣習を無視し、単なる法律の運用問題になりかねない。仮にこの問題を裁判所で扱うにしても、少なくとも、充分な事実調べを行い、法律の文面だけではなく、そもそもの立法趣旨・理念に立ち返った慎重な判断が行われなくてはならない。第三には、裁判は当局のさらなる「違法」行為を生み出す。裁判中にもかかわらず、当局は同時に電気・ガス供給停止やガードマン導入など、実力的攻撃を同時に行ってきた。実力的な攻撃はそれ自体糾弾されるべきものだが、係争中のこのような行為は明らかに自力救済(脚注参照)に当たる。さらには、明寮に対する強制執行の際(第10章を参照のこと)にも、数々の暴挙がまかり通っている。
 こういった明確な不当性があるにもかかわらず、学部当局は未だもって裁判を取り下げようとはしていない。もちろん、我々はこれまでも再三当局に対して裁判を取り下げるよう求めてきたし、広範な世論もこれを援護してきた。しかし、このような理性的な世論に関わらず、裁判は現在結審を間近に迎えている。この結審がどのようになるかは、まさに神のみぞ知るなのだが、結果如何に関わらず、裁判は駒場寮問題には全くそぐわないという事実に変わりはない。私達は、結審での不当な判決を避け、あくまで話し合いでの解決を勝ち取るために、現在教授会に対して「学生の総意を尊重し、民主的な大学運営を行っていくのか、それとも大学の自治を投げ捨て、学生の意見を圧殺するような大学にするのか」を問うて、「廃寮」の取りやめ、裁判の取り下げを求めている。それと同時並行して、裁判所に対しても署名を提出するなど、積極的に働きかけている。
 そして、裁判ではなく学内での理性的な話し合いによる解決を実現させる大きな原動力になるのが、まさにこの文章を読んでしまったあなたなのである。駒場寮は、96年の一方的「廃寮」宣言から、驚くべきことに毎年毎年前年を上回る数多くの新入寮生を受け入れてきている、そしてそのことはそのまま駒場寮の正しさを証明し、駒場寮存続運動が大きく発展していることを意味する。この駒場寮存続運動を担う新たな力が、この文章を読んだ皆さんの中からから生まれることを期待する。そしてこれからも断固駒場寮を守り抜き、自治を発展させていくことをここに誓い、この2000年度入寮案内に捧げるものとする。

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