時系列的整理/1996年4月


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-1996.4-

1996. 3.31
駒場寮「廃寮」期限の日。
駒場寮委員会と、駒場寮のOB会である「やだこら」が主催の、「徹夜花見パーティ」が北寮前で催される。
1996. 4. 2
いわゆる「説得隊」の説得活動が始まる。
1996. 4. 3
深夜に「連続不審火事件」が起こる。
1996. 4. 5
早朝、中寮1階のゴミ置き場から出火。
1996. 4. 8
学部当局は事前の通告をすることなしに、午前10時ごろ駒場寮への電気・ガスの供給を停止し、また寮の渡り廊下の一部を「解体」(学生側にいわせれば「破壊」)し始める。
学生の抗議で、午後になってとりあえず解体作業は中止されるが、電気・ガスの復旧への要請は受け容れられない。
1996. 4. 9
駒場寮への電気・ガス供給停止に抗議する、駒場の諸自治団体による「共同記者会見」が、北寮前で開かれる。
会見後、学部長に共同声明を手渡すため101号館へ。しかし学部長不在のため、永野評議員が代理として応対する。そしてここにてあの人口に膾炙した、「人道的にはよくないが、法的には問題ない」という名言が吐かれる。
1996. 4. 10
ガイダンスの1日目(理系)に合わせて、廃寮反対集会が北寮前で開催される。集会終了後、そのまま101号館へ抗議行動。
1996. 4. 15
学部長大衆団体交渉。
寮委員会の枠では、1) 実力行使(つまり強制的に寮生を排除したり、荷物を持ち出したりすること)は行なわない、2) 寮内放送の復旧、が確約された。
1996.4.17 から 1996.4.20 にかけて
駒場寮委員会と三鷹特別委員会との交渉。電気・ガスの復旧を交渉の前提とするかが焦点となるが、結局その「前提」の段階で物別れに。
1996. 4. 21
寮生会議/1日目@学生会舘ロビー
学部長団体交渉のあと、事態の打開をはかる三鷹特別委員と学生代表との交渉が続けられてきていたが、寮生会議ではこの交渉において明らかにされた24日以降の解体作業の再開に対しての対応など、について話し合われる。
1996. 4. 22
寮生会議/2日目@南ホール(寒い)
両日の会議では、学部当局の提示してきた「妥協」の要求をめぐっても話し合われたが、結局、現時点における妥協はしない、という結論に。
1996. 4. 23
前日の寮生会議での結論を受けて、三鷹特別委員に対し、妥協せず、の回答。
学生自治会と駒場寮自治会による国会議員要請行動。文教委員の議員を中心に要請。後日国会で、駒場寮問題に関する質問がなされる。
1996. 4. 24
朝の8時半頃から、寮の渡り廊下解体工事のため、パワーショベルが搬入されようとするが、寮の裏側についてはすでに学生がsを構築しており、搬入を阻止。教職員も動員され撤去を試みるが、失敗。
学生の抗議を受けて当局はとりあえず工事を中止させたかに見えたが、寮の表側へパワーショベルをまわして、一研(旧南寮)と中寮の間の渡り廊下の解体作業を始める。
しかしこれも、現場に急行した学生の抗議によって一部を壊した後に中止。結局この日は、これ以上解体作業は進まなかった。
また、これを受けて学部は駒場寮廃寮反対派を「少数者」として、「学外者」と結託して大学の自治を損なおうとしていることを呼びかける「急告」なる掲示を行なう。
1996. 4. 25
学生側は、昨日に引き続いての解体工事を警戒して、朝早くから「臨戦」態勢で待ち構えるが、工事業者は姿を現さない。
学部側は午前10時に教職員の動員をかけ、永野評議員を先頭に寮内に入ってゆく(「説得」のためか)

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