4月19日第6回口頭弁論報告

意見陳述書

東京高等裁判所 御中

2001年4月19日

東京大学駒場寮生(第138期・140期寮委員長) ====

 93年に入学し、95年に入寮した====です。96年4月「廃寮」を前後する時期と、「明渡し」仮処分攻撃の直前の二期、寮委員長として寮生とともに駒場寮を守ってきました。現在、大学院の修士1年です。
 まず、私が入寮した経緯について陳述します。
 私は入学から2年間、住み込みの新聞配達をして学費と生活費を稼いでいましたが、劣悪な労働条件に怒りをぶつけようと専売所でストライキを提案し、未払い賃金の一部を取り返した代償に95年3月に解雇されました。仕事と住処を同時に失った私は、すぐさま駒場寮に助けを求め、即時入寮しました。当時、駒場寮は入寮募集停止を通告された状態でした。一方、仕事に追われて音楽サークルも止めてしまった私は、それまで学生自治活動には一切参加したことがありませんでした。しかし入寮募集停止が、学内民主主義すら無視するものであると同時に、現実に存在する私のような学生の「教育を受ける権利」を剥奪するものとして突き付けられたとき、私はただ一つの選択を、入寮を、したのです。またこれは「教育の機会均等」を大前提として、学生自身の手によって柔軟な運営がなされている駒場寮であるからこそ対応できたのです。同じようなケースで入寮してくる学生を私は何人も見てきました。
 入寮後も私は学費・生活費を捻出するために週6日でアルバイトをしており、寮運営には殆ど関わっていませんでした。そんな私が突然寮委員長になろうと決心した切っ掛けは、大学側が秘密に寮委員会の中心部分に酒を飲ませ寿司を食わせて「廃寮」容認へと懐柔していたことへの怒りでした。同じ時期、大学は寮フさんを脅して寮生名簿を盗み出させました。昨年は、大学が目黒警察署とこの時期に行っていた料亭密談の事実が明るみに出ています。個人的にアルバイトを辞めて寮委員長になることは経済的にもギリギリの決断でしたが、人間をだまし、脅し、売り渡す、まさに腐り切った「廃寮」攻撃を叩き潰すためには、もはや個人の事情など存在し得ないと考え、逮捕・退学を辞さないつもりで立候補したのです。しかし何よりも、同様の覚悟で私を支え、駒場寮を守り抜こうとする寮生たちがいたことが私の決断を促しました。またその総体そのものが「廃寮」を目前にした駒場寮の歴史的意義、すなわち大学再編と呼ぶべき学生自治潰しと新自由主義の逆流のなかにも権力に抗い、自らの存在理由を再確認して新たに創造していこうとする大衆的なうねりを体現していたと言えます。
 「廃寮」宣言以後、実に様々な攻撃が大学側によってかけられてくるなかで私が体験的につかみ取ったのは、敵は不当な弾圧を強めれば強めるほど人間性を失っていく、そして私たちにとっても、不当な弾圧に立ち向かって闘うことのみが真の人間性を回復させるという真実でした。たとえキャンパスというごく限られた空間であっても、「廃寮」後の猛烈な、凝縮された現場はこの真実に気づくに充分でした。「教授」の肩書きをぶらさげてキャンパスで醜悪な薄笑いしか浮かべることのできない、まさにそこに座っている連中は、ユダヤ人を迫害しながら家庭では良い父親を演じていたナチスと何も変わりません。反対に私たちは、民主主義を求め、実践するなかで、カネではなく、寮の意義と私たち自身という寮にとっての財産のみをもって、新たな寮生を迎え入れ、新たな連帯の輪を拡げてきました。
 「廃寮」を許さない真の人間性の発露は、様々な人々との出会いをもたらしました。同時期に教養学部学生自治会委員長であった====と初めて知り合い、97年3月に結婚しましたが、出会ってからわずか1年でした。これは若気の至りであるとともに、不当な「廃寮」への共通した怒りが堅い信頼関係を築いた例です。また特に忘れられない学生がいます。やはり同時期に自治会副委員長をしていた====君は、自らの健康も顧みずに「廃寮」攻撃と闘うなかでガンを患い、発病した時点では体中にガンが転移してすでに手の施しようのない状態となっていました。私と====、そして後から元寮委員長の====君が、京都の実家で闘病生活をしていた彼を見舞い、「廃寮」粉砕を誓いましたが、その一カ月後に彼は亡くなりました。まだ22歳でした。彼は早くから体調の異状を訴えていましたが、闘いと困窮に追われて精密検査も受けられず、ただの長引く風邪だと思っていたのです。彼を殺した「廃寮」攻撃、東京大学そして国を告発します。そこに平然と座っている人殺し集団に満腔の怒りをぶつけたいと思います。この運動の陰には志半ばにしてこの世を去らされた学生がいるという事実を判事の皆さんは直視してください。
 最後に、現在の大学現場の荒廃について告発したいと思います。私はこれまで、駒場寮生であるがゆえに大学当局から学生としての権利に関わる様々な差別を受け、そのたびに抗議して撤回させてきました。しかし今回、大学院の受験に際してその差別は極大に達しました。大学は、大学院受験の前提となる学部卒業に不可欠な学費の督促通知を私に郵送しませんでした。口述試験は、論文内容とは関係のない、駒場寮問題を通じて得た私の価値観を放棄するかどうかの踏み絵の場、学問的良心を守るか、売り渡すかの場と化しました。案の定、私を合格させるかどうかが異例的に問題化したと聞いています。大学院と並行して研究生の願書を出したときも、駒場寮の住所では応じないとあしらわれました。ようやく院に合格しても、大学は入学書類を私に郵送しませんでした。入学してからも、研究室への配属が拒否されています。試験や論文の出来ではなく、ひたすら寮生であることをもって差別する、これが東京大学の現実です。これはもはや「第二のレッドパージ」と呼んでいいと思います。そしてこうした荒廃は、産学協同のもとに「教育を受ける権利」を根底から否定する国立大学の独立行政法人化や、その先に見据えられた憲法改悪の動きと軌を一にするものであり、駒場寮存続運動はこの流れを断ち切る使命をも帯びていることを強調して私の意見陳述を終わりたいと思います。


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