破綻する「キャンパス計画」

<<第2段の計画図>>

 上の資料は、1997年2月から4月にかけて行われた明寮「明け渡し断行」仮処分時に原告(国・大学当局)側の資料として裁判所に提出されたものです。

 これが、当局の「計画」としては93年6月に出てきた「CCCL計画」に引き続く、第2段の計画となります。「CCCL計画」ではキャンパス全体の「計画」についてはわかりませんでしたが、これにより「キャンパス再開発計画」の全体像が見えたわけです。
 以下の引用でも分かるとおり、「計画」が変更されたのは「平成七年(1995年)夏」ということです。(ただし、下の「変更点」を見れば分かるとおり、駒場寮「跡地」とされる部分の基本的な構想自体はあまり変わっていないとみることができるでしょう。これが、1998年12月に出てくる「マスタープラン」では、全く違ったものになってしまいます。)

 さて、以下に93年当時と比較して変更された点を列挙します。その理由については当局が裁判の陳述書として提出していますので、それを引用し、見ていきます。
変更点

  • 美術館の形が大きく変わり、中寮に引っ掛からなくなった
  • 「美術・博物館」⇒「美術館」
  • 「スポーツ施設」⇒「プール」
  • 「小劇場」⇒「多目的ホール」(劇場?)
  • 「ホール」⇒「劇場」
  • 「国際教育交流センター」⇒「留学生センター?」
  • 「伝統文化活動施設」⇒「柏陰舎?」
  • 購買部が小さくなった
  • 食堂の形が少しだけ変わった
  • 全体として面積が縮小された
    やじるし(⇒)のついているものは、たぶんこのように名を変えたのだろうと予測したものです。

     さて、なぜ「スポーツ施設」が「プール」になったりするのかは分かりませんが、面積が縮小したことについては陳述書に書いてありましたので、引用します。

    明寮「明渡断行」仮処分「疎甲第五八号証」より引用 色部分は編者
    平成九年三月一一日
    報告書
    東京大学教養学部教授  永野三郎
    (前略)
    実は、最初、(略)資料4として添付いたしました第一次計画が作成されました(注:93年6月の「CCCL計画」のこと)。ところが、その後、平成六年(注:1994年)秋ころ駒場キャンパスの東側地下に、首都高速道路公団が新規路線(新山手通り)の建設計画との関係で、建物建築の工法上の問題(これは、当然に予算上の問題と関連してきます。)や設計上の問題(地下に道路が通るとなると、その上部の建物の工法や単位面積当りの建物の重量が制限を受けることとなります。)などから、第一次図面の計画をそのまま実行するには問題があることが判明いたしました。このため、駒場キャンパス東地区の整備計画の見直しが行われ、首都高速道路公団とも協議の上、平成七年夏になって資料3として添付した第二次図面(現行の計画図面と一致しています。)ができあがりました。
     右の図面をご覧いただければお分かりになるように、第二次計画(現在の計画)は、第一次計画で策定された内容に対し、前述した理念を損なわず、個々の施設の効用を保ちながら、かつ施設全体の調和を保つように配慮しつつ、前記道路予定地を可能な限り避けて全体として使用土地面積を圧縮した内容となっています。
     限定された土地面積に、右@ないしBにあげた要請を考慮しながら、必要設備を設けるという設計はかなり困難な作業であり、ぎりぎりの調和を実現している第二次計画を変更し、大学としてふさわしい建物という条件を充足しつつ、設計・配置をやり直すことは技術的にたいへんな困難を伴う上に、仮に可能であったとしても、そのためには、たいへんな労力と時間が必要になるのです。(編注:これは、いとも簡単に98年に「マスタープラン」という形で大幅な変更が行われます。)
     実際、駒場キャンパスの一部分を取り上げて、どこにどのような建物や設備を設置するかということだけを考えてみても、レイアウトについては、理論的にはほとんど無数の選択肢が考えられます。しかし、そのようにほとんど無数とも考えられる選択肢の中から、なぜ現在のような計画が策定されたのかということをも視野に入れれば、キャンパス・プラザの配置や設計の変更は、「そのことに限局して論ずれば事足りる。」といった類の問題と断ずることは到底できないと言わざるをえません。配置・設計の変更は、一部のパーツの仕様変更に類する問題として論ずれば足りるというような類の話では断じてないのです。大学は何でもいいから建物を建てて学生を入れればよいというものではありません。都市にさえ都市の街並みや景観というものがあります。まして大学は研究・教育の場にふさわしい品位と風格を備えたキャンパス造りが必要です(編注:研究・教育の場にふさわしい品位と風格を備えるために払われた犠牲はこちら。それを考慮して第二次計画が策定されているのです。
     一例をあげますと、駒場キャンパスの東側地区の全体計画(CCCL計画)におきましては、各建物の高さと隣棟間隔が一定にそろえられています。これは、建物と外部空間との間に一定の秩序をもたらすという、設計の基本理念に基づくものです。仮に、一部の設計を変更することになりますと、これは基本理念そのものを変更することになってしまいます。たしかに、各建物の高さをまちまちにし、間隔も異ならせるという設計理念もあり得ます。しかし、これは、一見、無秩序に見える中に、微妙なリズムと活力とを表現するという設計方法でありまして、そういった設計理念でやり直すとしたら、かなりの時間と経費を必要としてしまいます。さらには、このたび、一定の秩序での建設という理念を採用した背景には、研究・教育のための静謐さを必要とする、大学という場所においては、そのような設計理念をとるべきだという判断があります。この全体的な判断の変更は、ただ駒場キャンパス計画全体に影響・変更をもたらすものとなり、そのために要する時間と費用は莫大になってしまうのです。(編注:そのようなどうでもいいと思われる物理的要素が駒場寮機能よりも重要であるとは到底思えませんが・・・。それに、「建物と外部空間との間に一定の秩序」が必要ならば、なぜ、10号館の周辺や学生会館南側にこんなにも土地が空くのかが分かりません。)
    (後略)