「マスタープラン」の問題点

 「マスタープラン」とは  現状図  将来計画図  「マスタープラン」の問題点    メインページへ
いまいち未完成なので、箇条書きとなっている部分についてはご容赦ください。

0. その「決定」の手続き的な問題および計画実行の問題
⇒一部の執行部によって決定、教授会は拍手承認
⇒「決まったことだから全体的な計画のためには変更不可能」なものとして押し付けられるだけ

文頭に戻る

1. 依然として駒場寮「廃寮」を前提としていること
寮を潰さなくても、最終段階の空地の多さを見れば、寮が残るだけのスペースがあることは一目瞭然である。それなのに、 空き地の多さ
これまでに2度も計画の大変更をやってのけた学部当局に、計画変更できないはずがないではないか!

文頭に戻る

2. 新しい建物は必要か?
 将来計画図を漠然と見ても、空地の多さなど杜撰な計画であることが一目瞭然であるが、では具体的にどのような建物が建つのかを検討することで、その必要性を検討してみたい。
  スクラップアンドビルドの考え方であること(取り壊し建物と建設建物の数の多さを見れば一目瞭然である)
⇒それに付随して、全部建つ可能性はきわめて低いということ。

文頭に戻る

4. 図書館移転計画についての問題点
 第1のキャンパス再開発計画が頓挫したのち、現在の位置に新図書館が移転するまでに、実はバレーコート(正門右側。駅を降りてすぐのところ)に図書館を建設するという計画が「図書館委員会」という教養学部の内部組織の中で持ちあがっていた。これは、上に引用した「駒場1998」に「図書館を・・・移転することにしたのも、ひとつには現図書館付近の空地であるバレーコートを中心に新築すれば・・・」とあることからも分かるであろう。たしかにこの位置ならば、キャンパス中央部にあり、日当たりや周囲の環境も良好で本の保存にはうってつけであり、図書館の立地要件を充分に満たしているといえる。
 しかしながら、現在の「計画」では図書館は第1研究棟跡地に移動され、現在その建設が進行している。この位置に図書館を建設することの問題点をいくつか挙げる。

 1つ目には、この「新図書館」が建設されている地域は、駒場キャンパスの中でも最も低位に位置し、一二浪池があることからも分かるようにひじょうに湿度が高い地域なのである。これが本の保存に与える影響というものを考慮に入れているのかということも疑問である。
 2つ目には、キャンパス中央部ではないということがある。大学の心臓部とも言うべき図書館を研究室からもっとも遠い場所に移したことに、教官層からも厳しい批判が出されている。
 これに対して教養学部当局は、それを補って余りあるものであることを、以下のように主張する。
「東京大学は変わる」p170 アカデミックゾーンの整備
 ・・・たとえば、次世代の図書館は、書籍を保管・閲覧するためだけの施設ではなく、世界的な情報ネットワークの中で十分機能し、駒場に蓄積された貴重な学術資料を社会に還元する場として位置づけられなければならない。こうしたニーズをふまえて、新しい図書館はキャンパスの南東側に建設するように作業を進めている。・・・

「東京大学は変わる」p176 CCCL駒場計画
 ・・・さらに駒場Tキャンパスの将来計画(マスタープラン)では、旧駒場寮跡地に新図書館(二万平方メートル)、(中略)の建設が予定されている。現在の学部図書館は八千平方メートルであるが、新図書館は、新設備や閲覧・学習室をはじめ、多様なメディアに対応し柔軟な利用を可能にする国際地域交流メディアセンター(六千平方メートル)を含んでいる。・・・

「駒場1998」p24 a)建物整備計画
 ・・・図書館についていえば、図書館委員会を中心として約4年にわたって検討を重ねた結果である、1)基準面積約1万4千uを大きく越える約2万uの規模、2)早期実現、3)キャンパス中央部に建設という3つの条件のうち、最後の条件は満足されていない。しかし、図書館と国際地域交流メディアセンターを一体化して構想し、これまでにない新しい図書館像に基づく将来計画を可能とすることで、基準面積の問題をクリアするだけでなく、その早期実現に向けて大きな前進がはかれる案となったと考えている。

 つまり、アクセスの不便さを考慮に入れてもなお「新図書館」を現在の位置に建設しなければならない理由は、様々な意義を持った「国際地域交流メディアセンター」と一体のものだから(その面積をもつのはこの場所しかない)だということである。
 では、その「国際地域交流メディアセンター」なる建物だが、実際にはどのようなものなのだろう。「多様なメディアに対応」「柔軟な利用」とは、表現的には魅力的かもしれないが、では実際にはどういうことなのか、(情報棟をさらに作ろうとでもいうのか)その具体的な中身はまったく分からないのである(これは、実際に教官内でもよくわからないらしい)。こういう意味の分からない抽象的に表現されている建物ほど、その実際の中身がお粗末な「ハコモノ」あることは、これに限ったことではない。新しく建つ建物がどのようなものかも分からないのに、「図書館と一体でなければ十分な意義を果たせない」「そちらのほうがニーズがある」と言われても、全く説得力に欠けるのではないだろうか。
 では、なぜこのような建物が出てきたかだが、これは「キャンパス再開発計画」を歴史的にみるとわかりやすい。
 計画当初から現在までに、この場所に建てられるはずだった建物は「美術・博物館/ホール/国際教育交流センター」⇒「美術館/劇場/留学生センター」⇒「図書館/国際地域交流メディアセンター」というような「変遷」を辿ってきている。このような変遷を辿った理由は、それらの建物が建つ見込みがひじょうに少なかったからに過ぎない。例えば、美術館などに国家予算は絶対につかないという見込みが計画当初からあり、そのために40億円!の募金を募った。しかし実際に集まったのは、ほとんど強制的に教官から集めた4千万円ほどでしかなかった。企業もこのような建物に投資する価値はないとふんだのである。
 さらに、大学当局は裁判でも同様に「図書館は、メディアセンターと一体をなすものとして学生及び教職員の利用に供される予定の施設であって、今後、図書館が建設されたとしても、それのみでは十分な機能を営むことが出来ない」「図書館の機能的な利用という観点からは大きな不都合が生じている。」などと主張しているが、このメディセンターについて、2000年9月7日に開催された東京大学教養学部図書館建物説明会の際に配られた資料には一切記載が無く、説明会でも住民に対して説明されず、参加者の質問があって初めてその計画の存在を明らかにしたものであった。この説明会の際に配られた資料によると、図書館の二階平面図には端末室があり、三階平面図には、AVマイクロ資料、AVルーム、端末持ち込み学習、マルチメディア部門などがかなりの広いスペースを占めており、メディアセンターの機能は、この2階、3階に十分盛り込まれている。こうした点からすれば、メディアセンターが建設されなければ図書館の機能的な利用という観点から大きな不都合が生じるとは考えられない。

 このように「国際地域交流メディアセンター」とは、新たにその必要性、重要性が増したから建設するという積極的理由ではなく、以前あった「計画」を、それが妥当かどうかの検討も充分にせず、名前だけ変えてズルズルと引きずっている、つまり駒場寮「跡地」に何としても建物を持ってきて、キャンパスの狭隘化を演出する手段に他ならない。

 これらのことから分かるように、「新図書館」が現在のところに建設されるに至ったのは、「必然」ではなく、前計画で建設不可能と判断されてしまった「美術博物館」「ホール」(これらは建物の大きさから見ても分かるように「CCCL計画」の中心的存在であった)などの「穴埋め」のためなのである(そして上にかかれているような美辞麗句は、この事実を隠すための後付けの論理に他ならない)。
 現在、「新図書館」に予算が付き、2002年度開館を目指して第1研究棟跡地に建設中である。このような「廃寮」の既成事実作りには大きな怒りをおぼえるとともに、図書館委員会の反対を押し切って、一部強行的執行部が駒場寮「廃寮」のために現在の位置に無理やり移動し、それの建設に着手してしまったことは、駒場寮が残るか残らないかに関わらず、将来の駒場キャンパスに大きな禍根を残す事実をまた1つ作ってしまったという点でひじょうに残念である。

文頭に戻る

5. 学生に対する「宣伝」の問題性
 この「計画」は、1998年12月の教授会で承認され、学生の前に提示されたのは、99年5月26日付の学部文書「学生の皆さんへ99(1)」に付図としてつけられたものが最初であった。(「学生の皆さんへ99(1)」と寮委員会による反論
 しかも、はじめに記したように「キャンパス再開発計画」は一度頓挫し、変更を余儀なくされているにもかかわらず、「着々と進む」とされ、計画が変更されたことについては一言も触れていないのである。ここには、学生が2年で入れ替わるのをいいことに、過去の都合の悪い情報は隠蔽するという学部当局の悪質な姿勢がみてとれる。
 さらに悪質なのは、ここに「付図」として付けられた図は計画の最終段階の図ではないということである。この図は計画の「第2段階」と呼ばれる段階であり、この図では(新旧の建物を併記していることもあって)いかにもキャンパスが狭隘化しているかのように演出されている。しかしながら最終段階では、「将来計画図」のところで指摘したとおりいくつかの建物は壊され、むしろ更地は増える結果となるのである。
 このことからも駒場寮が残る土地は十分あると言えるのだが、その事実を隠蔽するためにこのような選別された情報〜最終段階の計画図ではなく、途中段階の計画図〜を学生に提示することの欺瞞性にはもう呆れ返るしかない。

学生の皆さんへ99(1)と寮委員会による反論(抜粋)
学生の皆さんへ99(1)
1.着々と進む駒場のキャンパス計画

 新学期が始まって1ヶ月以上がすぎ、新緑のなか皆さんも本格的に学業や課外活動に取り組んでいることでしょう。駒場キャンパスでは、1万人におよぶ学生、大学院生、教職員が、活動しています。教養学部では、より充実したキャンパス・ライフを実現させるべく、さまざまな努力を続けています。現在進行中の CCCL(Center for Creative Campus Life)計画も、将来計画(マスタープラン)の重要な柱のひとつです。

 CCCL計画は、旧駒場学寮の跡地を含むキャンパスの東側に新たな福利厚生施設を建設し、駒場キャンパスを刷新しようというもので、1993年11月に提案されました。以来、計画は着々と進行し、95年には「シャワールーム」、96年には「伝統文化活動施設・柏蔭舎」、98年には「キャンパスプラザA・B棟」と「多目的ホールC棟」が完成し、サークル活動や多文化交流活動の新たな拠点となっています。

 さらに駒場キャンパスのマスタープランでは、旧駒場学寮跡地に新図書館(2万m2)、スポーツスクエア(3000m2)、食堂・エネルギーセンター(5000m2)、購買部(2000m2)および課外活動施設<学生会館>(3200m2)の建設が予定されています。現在の図書館面積は8000m2ですが、新図書館は、新設備や閲覧・学習室をはじめ、多様なメディアに対応し柔軟な利用を可能にする国際地域交流メディアセンター(6000m2)を含んでいます。スポーツスクエアは、50m温水プールや課外活動にも使用できる体育館フロアスペースおよびトレーニング室を備えています。これらは、東京大学全体のキャンパス計画として認められ、いずれも概算要求事項として国の予算で建設するものです。〈学生会館〉の概算要求については、学部と学生との合意が得られた時点で申請を行うということが、話し合いの上で合意されています。〈学生会館〉の建て替え面積に関しては、現在の学生会館の面積を下回らない計画になっています。くわしくは、「駒場1998」に掲載されている「駒場キャンパスマスタープラン策定について」を参考にして下さい(付図参照)。

学生の皆さんへ99(1)への反論
1.「駒場のキャンパス計画」の問題点

 93年より「着々と進んでいる」とされ、計画図が提示された「キャンパス計画」。これが大々的に取り上げられていますが、こんな図面見たことありましたか?この「キャンパス計画」なるものが正式に学生に提示されたのは今回が初めてですし、各自治団体にも通達されていませんでした。そしてこの計画が教授会の場にいきなり提示され、まともな議論もされずに拍手承認されたのは昨年の12月のことでした。

◆決定は突然に、変更不可能なものとして現れる◆
 「キャンパス計画」は、駒場の全学生、教官、職員に対して非常に大きな影響を与える問題です。しかしこの「キャンパス計画」は、実質的に大学の一部執行部によって決定されているのです。特に学生のための施設であるのならば、各種自治団体をはじめとした学生と話し合い、どういったモノをつくることが望まれているのか、それはどのような形で実現するのが良いのかを慎重に決めていくことが要求されるでしょう。しかしこのような手続きはまったくとられていません。そればかりでなく学生との合意なきまま「廃寮」を強行し、駒場寮問題をこじらせ、学内民主主義自体を極めて危うくしているその反省をまったく生かそうともしていないのです。駒場寮「廃寮」も今回のキャンパス計画と同様に教授会で突如提示され、拍手承認され、それ以後の学生の反対の声をまったく聞き入れずに強行されています。この「キャンパス計画」も学内自治寮である駒場寮の「廃寮」、学生会館建て替えの勝手な先取り、旧物理倉庫(サークルの部室として使用)の廃止、東部地区の緑の大規模な伐採、図書館委員会の計画を無視した強引な図書館移転、計画完了後は(この図面では建て替える建物の今の位置と新しい位置を併記しているため隠蔽されているが)空き地だらけになる<この観点からも駒場寮は残せます>ことなど、多くの問題点を含んでいますが「廃寮」問題と同様、教授会での承認だけを根拠に学生の反対を押し切って強行するであろうことは明らかです。

文頭に戻る

6. 「歴史的景観の保存」について
 4. で取り上げた文章に「歴史的景観の保存」について述べられているので、最後に付言しておく。
 上にあげた文章では、「歴史的・建築的にも優れた一号館、講堂、旧図書館の正面外壁を保存する」とあるが、ではなぜこの中に駒場寮は含まれないのであろうか。駒場寮は駒場キャンパスの中では一番古い年代に建てられた建物で、駒場寮以外に現存するのは、正門、1号館、九○○番講堂、一○一号館、教務課のみである。駒場寮の設計は、ここに挙げられている1号館や、本郷の多くの美術的価値を持った建物(いくつかは文化財に指定されている)を設計した第5代東大総長の内田祥三氏で、実際にその堅牢なつくりや内装の美しさは他の建物に勝るとも劣らない(ただし表面的な汚さがいたるところに見られるのは、学部当局がメンテナンスを行っていないためであり、非常に残念である)。
 建築後50年を経た建物は文化財の価値を有するといわれるが、駒場寮は既に65年以上の歴史を持っている。
 このような事実から、駒場寮はまさに「歴史的・建築的に優れた」建物なのではないだろうか。たとえそうでないとしても、そこには大いに議論の余地がある。
 その駒場寮を、「キャンパス再開発計画」の名のもとに、なんらその価値について議論することなく潰してしまおうとするのは、過去に対する冒涜であるとともに将来への大きな禍根となる危険性を孕んでいると言わざるを得ない。

文頭に戻る