第7章 タイムリミット一年〜「廃寮」を乗り越えて

 95年7月27日、学部当局は「入寮募集を継続したことを咎めてその過ちを説き諭す」などという不当な攻撃に出て来た。現寮委員長・前寮委員長(当時)に対する「説諭」である。入寮募集継続は駒場寮自治会の方針であるにも拘わらず、学部当局は学生課に二人を直接呼び出し、その個人を攻撃しようとしたのである。しかし、駒場寮側はそもそも「説諭」とはどういう意味なのかをまず学部当局が説明することを要求し、当日学生課ロビーには数十名の駒場寮生・寮外生が詰め掛けた。学部当局も教官・学生課職員を30人程動員しこれに対抗した。
 「説諭」は学部長が行うとされていたにも拘わらず、当の学部長は学生課別室に隠れて出て来ない。まず説明を行うよう要求して学部長の隠れている別室に詰め寄る駒場寮生を三鷹特別委員らが肉弾戦で阻止し、暴力的な行為を働く一幕もあった。混乱は三時間にも及んだが「説諭」の前に説明・質疑応答の時間を20分だけ設けることで合意し、三鷹特別委員らの厚いガードに守られて学部長が姿を現す。
 まず「説諭」とは何かという説明を求める。ここで学部当局はこれが処分の前段階ではないとの見解を示した上で、しかし今後、処分という事態に至らぬよう予め忠告する措置だとして、結局矛盾した訳の分からない説明に終始した。駒場寮側が用意していった論点は二つあった。まず駒場寮が行っている入寮募集の継続は正当なものであり、当然処分の対象になり得ない。「説諭」が処分ではないのは当然だが、それが否定的な意味合いを持つ以上、処分の前段階と考えることが出来る。そのようなアリバイ作りは絶対に認められない、ということ。もう一つは、今回のように「懲戒処分制度」に則らない形での否定的な措置が学部当局の恣意的な判断によってなされるということは、学内の民主主義を踏み躙るものであるから許さない。またそのような前例を一度作らせることによって、今後学部当局が異議申し立てをする学生などに対し好き勝手に否定的な措置(或いは処分)を講ずるフリーハンドを与えることになるという観点からも許さない。それは既に駒場寮だけの個別的問題ではなく、学内全体に関わる大問題なのである、ということであった。この二点を中心に論戦を進めた。そしてこれが教授会決定を経たものですらなく、従って形式的には学部長個人の責任で出された極めて恣意的な、つまり学部長個人の戯言の次元にある無意味な措置であることも寮生からの問い詰めで明らかになった。
 因に「説諭」は学部長が「説諭文」を読み上げるに及び、寮生・寮外生はロビーから退散してボイコット、相手のいなくなった「説諭」は結局成立しなかった。
 10月17日、前日の通知により初めて明らかになった「駒場寮廃寮通告」が行われることになった。学部当局は午後6時15分から11号館1101番教室で「廃寮通告の伝達」を行うと通知、これを絶対に許さないという駒場寮生・学生など200人が11号館前に集結した。予定時刻をかなり過ぎた頃、市村学部長は100人近くの学部職員・教官の堅いガードに守られながら登場、しかし寮生・学生の怒りの抗議の前に1101番教室に入ることはおろか、11号館の建物に近寄ることすら出来なかった。「廃寮とは何事か!」と詰め寄る寮生・学生の抗議の前に、学部長はまともに答えることすら出来ず、自分で学生を呼び付けておきながら、形勢不利と見たのか、何と30分程で200人の寮生・学生を残して退却を開始、厚いガードに守られながら学部長室のある101号館(銀杏並木を挟んで生協の向かい)に逃げ込んだ。「通告」どころかこのあまりにも礼儀を欠く学部長の態度に寮生・学生は激怒、逃げ帰ろうとする学部長を追及すべく、101号館に駆けつけた。寮生・学生は学部長が出てくることを要求するが学部長は学部長室に閉じこもり、建物の入り口には三鷹特別委員や学生課職員らが堅いガードを組んで完全に籠城する態勢をとった。再三するが、「学部長はもう寝た」などとふざけた発言をするなどして三鷹特別委員はひたすら寮生・学生の追及を斥け、時間は浪費されるばかりであった。午前三時頃、その三鷹特別委員らが話し合いを一方的に打ち切ると言って101号館内に退散しようとした時、寮生・学生らはついに101号館突入を試みた。三鷹特別委員らも建物内部で待機していた学部職員らを総動員し、押し合いは数分間に及んだ。しかし突入の最中、駒場寮自治会・学生自治会と三鷹特別委員会との臨時交渉をその場で持つことが確認され、突入行動は解除された。この臨時交渉の結果、前日の「廃寮通告」の伝達は出来なかったこと、学部長大衆団交が二回、学生自治会と駒場寮自治会にそれぞれ二時間の枠で行うことが確約されることになり、午前六時五○分、合意書が交わされた。「廃寮通告」阻止の様子はその後、写真入りの立て看板で紹介され多くの学生や教官に衝撃を与えることになった。
 「廃寮通告」阻止の余韻もさめやらぬ10月27日、駒場寮総代会は画期的な提案を次々と可決させていった。女子入寮・本郷生入寮の許可、サークルへの部屋貸し出しを制度的に確立すること、バーやディスコの部屋代無料化などである。このように駒場寮への敷居を低くし、寮を開放していく試みがさらに加速することになった。
 11月10日、第一回学部長大衆団交。しかしここでも議論は平行線を辿った。
 11月16日、学生自治会代議員大会で駒場寮自治会提案の全ての主文が可決された。「駒場寮廃寮告示」と「入寮募集伝達」の撤回、96年度以降の駒場寮自治会の存続支持、96年度以降の駒場寮入寮募集支持、「キャンパスプラザ構想」と「CCCL計画」の撤回、これら全てが可決されたのである。ちなみに「キャンパスプラザ構想」とは、駒場寮裏にサークル活動のための施設を造って廃寮のための道具にしようという計画だが、これまた学生の意見を何ら聞くことなく秘密裏に計画されたもので、しかも二四時間使えない、時間を区切ってサークルに部屋を貸し出す(「会議室方式」)などとても認められるものではなく、おまけに搬入路の確保の名目で明寮(駒場寮で一番北側の棟)も潰してしまおうというとんでもない計画だった。これは、10日の学部長大衆団交で予算化出来なかったことが明らかにされたが、ここに至って学生側からも無用だという正式な意志表明が上がったのである。
 16日の代議員大会では駒場寮自治会提案を受けた行動提起として「キャンパスプラザ構想」の撤回と駒場寮存続に関する全学投批准票が決定れた。こうして12月1日、5〜7日にかけて全学批准投票が行われた。その結果、総投票数の七割以上、約3000人の批准をもってこれらは承認された。代議員大会の決定、そして全学批准投票での承認によって駒場寮存続はこの時点でも揺るぎない全学的総意であることが明らかになった。
 12月20日、学部当局から新入寮生(9月入寮まで)個人宛の恫喝文書が郵送された。これは駒場寮自治会を無視する行為で、従って自治破壊行為であり、断じて許すことは出来ない。またこの恫喝文書は学部当局のスパイ行為で入手された寮生名簿を基にしている点でも断固糾弾されねばならない(学部当局は電話の取り次ぎなど寮の日常業務を行っていた寮フさんに寮生名簿の横流しを強要していたのである)。そうした意味で駒場寮委員会はこれら恫喝文書を学部当局に送り返した。しかし学部当局が処分という言葉を文書では使わないこと、処分という言葉が使えずに「措置」なる曖昧な言葉で情緒的に圧力を掛けているに過ぎないことが明らかになり、学部当局は単に墓穴を掘る結果となった。
 22日、学部当局は「サークル説明会」と称して駒場寮廃寮後の「サークルスペース」の代替として「プレハブ仮サークル棟」を建てると一方的に通告してきた。しかし、機能的にみても到底代替施設足り得ず、また代議員大会決定・全学批准投票結果を黙殺して既成事実化を積み重ね、とにかく廃寮を推し進めようという学部当局の態度に駒場寮・学生自治会は猛反発した。駒場寮委員会は「プレハブ仮サークル棟」計画の即時撤回を要求し、回答は教授会審議を経て19日を回答期限とする申し入れを1月17日に提出した。
 翌18日には「プレハブ入札説明会」が行われる予定だった。寮生は十数人を動員、これに寮外生が加わり、総勢30名程が集結した。説明会会場は101号館の筈だったが、学部当局は秘密裏にこれを102号館に変更していた。午後2時、寮生・学生は102号館に向かい、会場となった二階第三会議室に入った。しかし学部当局は説明する内容のまさに当事者である寮生(「プレハブ」が駒場寮の「暫定的代替施設」だと言っている以上当然である)に対し、説明会用の文書を渡さないばかりか会場から追い出そうとした。公務員である学部職員が国民であり当事者である学生の知る権利を侵害するとは何事か!と会場は騒然とするが、場所を学生課に移して交渉を行うことを勝ち取り、事態は収拾された。こうして寮生・寮外生は「プレハブ入札説明会」を粉砕した。また同日の教授会に合わせて、102号館(教授会を行う建物)前で「プレハブ仮サークル棟」の問題点を指摘するビラを出席する教授らに配布した。
 1月25日には恫喝手紙によって明らかになった寮フスパイ強要事件を主な議題として第二回学部長団交が行われたが、その団交の中で同時刻に「プレハブ仮サークル棟」の入札が行われていたことが判明した。不当にも学部当局は、学生を学部長団交に引き付けておいて秘密裏に入札を完了してしまったのである。こうして「プレハブ仮サークル棟」既成事実化はさらに進むことになった。学部当局は時間切れを理由に交渉を切り上げようとしたが、さらにもう一回、学部長団交を行うことを勝ち取った。
 2月13日、突如工事車両が駒場構内に続々と入ってきた。学部当局は「プレハブ仮サークル棟」建設を抜き打ち的に強行しようとしてきたのである。寮生・学生はこれに反発し、座り込み等の抗議行動を行った。16日にプレハブ問題も重要議題とされている第3回学部長団交が予定されている中での一方的な建設強行は許さないという寮生・学生の強い反対によって初日の工事は中止されたが、以後、学部当局は教職員を大量に動員して強制排除を繰り返しつつ「プレハブ仮サークル棟」の建設を押し進めた。
 しかし、寮生・学生の粘り強い反対闘争の前に学部当局も疲弊し、ついに工事凍結を条件とした交渉を行うことを勝ち取った。
 3日間に及ぶ交渉の末、「プレハブ」は「廃寮」に伴うサークルスペース代替施設であるという位置付けから、「廃寮」とは無関係の施設であるという位置付けに変更させた。さらに寮内サークルの活動に不利益が生じないようにすることなどを確認書として取り交わし、10日間にわたる「プレハブ」座り込み阻止行動は解除されることになった。しかしこの後、学部当局は確認書を全く履行していない。学部当局のこのようなウソとペテンで塗り固められた姿勢に我々は断固抗議せざるを得ない。
 さて、3月10日の前期試験合格発表に合わせて、大々的な入寮募集宣伝を行い、寮存続をアピールした。後期合格発表時も同様の入寮募集活動を行った。
 3月31日には、「やだこら」と寮委員会主催の花見を北寮前で行い、寮存続をアピールした。参加者一同、焚き火を囲みつつ歓声をあげ、花火を打ち上げて4月1日午前0時を迎えた。駒場寮は「廃寮」のタイムリミットを越えたのである。

[第8章→]