学部当局は駒場寮の役割を「厚生施設=居住機能」と「サークルスペース機能」という互いに独立した「機能」に矮小化・還元して、その内の「居住機能」を三鷹新宿舎に統合して廃止すべく、95年度からの入寮募集を停止するとしてきた。95年度に期限を設けた「根拠」は、95年度入寮生が「最短修了年限」を満了する日(96年3月31日)で廃寮を強行したいからで、その時点で新たな寮生がいては困るということである。96年4月1日以降は、三鷹新宿舎が駒場寮生分の収容能力を備えることになるから、「居住機能」は三鷹に統合される、従って駒場寮生は全て三鷹に移れ、という訳である(しかし、「三鷹」が駒場寮生数をカバーするという客観的基準は二転三転しており、96年4月1日という期限も、まさに「廃寮」のための言い掛かりにほかならない。事実この時点から現在に至るまで、三鷹宿舎の新築はなされておらず、かつその見通しもなく、96年4月までに駒場寮が代替出来るという主張がウソであったことが明らかになっている)。要するに、「入寮募集停止」は廃寮化の前段階として位置付けられた。
そのような位置付けなので、当然「入寮募集停止」を阻止することが要求される。この方針は5月17日の学生自治会自治委員会、20日の駒場寮総代会、6月2日の学生自治会代議員大会などの機関で次々と確立されていった。7月27日駒場寮総代会では翌年度新入寮生の受け入れ環境を作る旨の寮委員会提案主文が可決された。さらに10月28日の総代会では「入寮募集停止通達いかんに拘わらず駒場寮自治会は1995年度以降も例年通り入寮募集を行う」旨の主文が可決された。11月15日、学部当局は学生課ロビーにて「入寮募集停止通達」を正式に行おうとした。「通達式」には駒場寮生ら約50人が詰め掛け、学部長が入寮募集停止に関する部分を読み上げようとすると寮生はこれに抗議、その場で「通達文」を奪い取り破り捨てた。追及する寮生と学部側の揉み合い状態となったが、事態の収拾を図るべく学部長は11月中の団体交渉に応じることを確約し、一応の決着となった。11月15日から『入学募集要項』が配布されるが、この中で学部当局は「駒場寮は1995年度から入寮募集は行わない」旨の宣伝をした。
11月20日、旧寮食堂南ホールに於いて「入寮募集停止を撤回させよう!一一.二○討論集会」が駒場寮祭実行委員会の主催で行われた。参加者は60人。討論提起には田中秀征氏(第32期寮委員長)、京都大学吉田寮代表などが登場した。最後に集会宣言として「『駒場寮廃寮』を阻止するぞ」「『九五年度入寮募集停止』を現役・OB、全国の寮生・学生の連帯ではね返そう」が採択された。
一方、10月28日の総代会では駒場寮存続を訴え、「入寮募集停止」措置を阻止すべく学生ストライキを行うことが可決された。これに従い、11月15日の学生自治会代議員大会に学友会学生理事会議長・駒場寮自治会から「入寮募集停止」通達撤回のためのストライキを12月2日に行うことが共同提案され可決された。ストライキの是非を問う学生批准投票が11月22〜28日に行われ、「入寮募集停止通達」撤回のためのストライキは賛成率62%で決定された。ストライキ当日、クラス討論、集会、学内デモ、教務課追及、渋谷デモなどが行われた。集会で他大学からは山形大学学寮、全寮連委員長などが発言し、帯広畜産大学碧雲寮・東北大学有朋寮からの支援連帯アピール、京都大学吉田寮生有志からの激励電報などが紹介された。
12月5日、駒場寮自治会と教養学部長団体交渉が行われた。学部側は教官を約50人動員、これに対し駒場寮生約50人、寮外生約30人が集まったが、ここでも議論は平行線を辿った。
1995年は1月17日の「駒場寮の存続を訴える全国集会〜入寮募集停止通達粉砕!」(寮委員会主催)で幕を開けた。北寮前にて参加者は約120人強。学内自治団体や全国の学寮などから次々とアピールが行われた。採択された集会アピールは「全国の寮生・学生の力を結集させ駒場寮入寮募集停止通達粉砕!/95年度オリエンテーション貫徹!」であった。その後、学内デモ、101号館(経理課)抗議行動、集約集会、交流会などが行われた。101号館抗議行動で学部長宛に提出された「駒場寮入寮募集の継続を訴える署名」は1589筆にも上った。
こうした寮生・学生の抗議・撤回要求を無視して大学当局は2月26日の前期日程入学試験の終了直後、受験生を会場にとどめ、入寮募集停止を宣伝した。ここから大学・学部当局の入寮募集妨害工作はエスカレートしていく。3月8日の寮委員会・三鷹特別委交渉で当局は入寮募集継続を「違法」であるから止めるよう要請した。9日には学部当局は駒場寮自治会に対し文書で入寮募集の停止、入寮募集のための立て看板の撤去を呼びかけ、この文書を寮委員長を直接呼び出して手渡した。3月10日の前期日程入試合格発表では合格発表掲示板に入寮募集妨害の掲示をした。しかし駒場寮側も同日発行の『東京大学新聞』合格者名簿号の「特集/駒場寮」で寮委員長らが入寮募集継続を説明、反撃する。学部当局も執拗なプロパガンダ攻勢を強め、3月11〜15日の前期・入学一次手続きの手続き書類の中に「駒場寮への入寮は出来ない。入寮募集は学部当局の認めない「違法」なものだから絶対に応じるな」とする「新入生の皆さんへ」なる文書を挿入し、さらに同趣旨の掲示が手続き順路に貼り巡らされた。さらに学部当局によって配布された冊子『駒場の学生生活一九九五』に駒場寮の記述を一切載せなかった。駒場寮側も度々反撃に出た。3月12日の全寮連大会では駒場寮選出代議員の提起した「入寮募集停止攻撃を受けている東大駒場寮に支援を」と題する特別決議が圧倒的多数の承認で採択された。また3月13日には学部当局に対する入寮募集妨害掲示・妨害文書の件での抗議行動が駒場寮委員会有志によって行われた。3月23日、学部当局は駒場寮第一次入寮選考合格者と同姓の学生全ての実家に入寮募集妨害文書を送付した(一次選考合格者は寮内で公表していた。それを学生課職員がメモして当局に情報が漏れた)。5月1日、学生課ロビーの入寮募集妨害掲示について寮生が学部当局に対して抗議行動を行った。
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