この学生投票をはさむ形で、2回にわたる証人尋問が執り行われた。圧倒的な傍聴者が法廷に駆けつけ、傍聴できない人間が続出したため、2回目の証人尋問では裁判所が整理券を配るに至った。
第一回目の証人尋問は、12月10日に行われた。証人は二人、成瀬氏と須藤氏である。
成瀬氏は、寮生時代に体験した負担区分問題(脚注参照)について詳細かつ明晰に証言し、八〇年代まで一貫して大学当局は駒場寮の自治を認めていたこと、実体としても寮の管理・運営は寮自治会によって担われていたことを明らかにした。そこにあったのは、学生と教職員との圧倒的な信頼関係である。また、当時の当局の駒場寮に対する方針についても言及された。文部省の言うような「新々寮」については、当局は「新々寮は東大にはなじまない」と反対の意を明確に表明しており、さらには「駒場寮は柱・壁がしっかりした建物なので、改修すれば長く使える」と当局自身も認めていたのである。また、当時の東大総長も駒場寮を大事に使ってほしい旨寮生に要求している。すなわち、当局は駒場寮を残し、寮自治を理解した上で駒場寮を存続させていく方針をとっていたのである。こういった経緯から考えても、合意書締結のほんの数年後に当局が突然「廃寮」を決定したのは、全く予想だにできない、考えられない暴挙であると成瀬氏は証言した。
須藤氏の証言では、大学による「廃寮」決定手続きの不当性・大学当局が寮に対して行ってきた違法かつ不当な暴力行為についてが法廷でも赤裸々に語られ、また今日駒場寮が果たしている意義についても言及された。
一方、駒場寮「廃寮」の実力者である永野三郎学部長特別補佐(もと三鷹特別委委員長)の証人尋問が12月21日に行われた。法廷の場で永野は、都合が悪くなると「知らない」「分からない」(例えばガードマン費用の総額や費用、予算のシステムなど)とくり返すのみであり、「廃寮」を遂行することの理性的理由は何ら示すことができなかった。ただひたすら「(計画をやめてしまえば)予算をとってきた方々に申し訳ない」とくり返すのみで、しかも「強い反対があれば計画を撤回する」という発言についても、「強い反対はない、と解釈する」「強い反対は、無期限ストライキが続くような状況だ」と開き直る始末である。さらには、三鷹構想というのは、学生に対して「三鷹を潰すか駒場を潰すか選べ」という二択しか与えないものであることも判明した。まさに文部省の自治寮潰し政策の一貫だったのである。しかも、この選択肢に対する返答期間は、実はわずか2ヶ月しかなかったことも判明した。当局の不誠実が公の場でも明らかになったのである。法廷での永野は、これまでの交渉で見せた姿勢よりもより官僚的な、事なかれ主義に徹していた。そして、予算の執行と自治寮潰しの本音が暴露されることにより、キャンパス再開発は単なるお題目に過ぎないことも明らかになったのである。そして、当局はこの破綻した論理のもと、今や「廃寮」の遂行を自己目的化しているのである。これが、当局の本性であるとはなんと学問の府にふさわしくない態度であろうか。傍聴者からは時には苦笑すらこぼれたのである。
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