第16章 寮食堂強行破壊、繰り返された暴力

一、突然の「取り壊し」公示と学生無視
 年が明けてほとんど日数も経たない99年1月4日、学部当局は突然「寮食堂を取り壊す」旨の公示を行った。その公示には、その工事の日程はおろか、内容、範囲などについてすら全く示されておらず、近々取り壊すので荷物をどけよと一方的に通達するものにすぎなかった。しかも、内容が不当なだけにとどまらず、管理団体である駒場寮員会に対しては何ら正式な形で事前に交渉を持とうともしないという、極めて不誠実な当局の態度も露呈された。
 また、学生はこれまで代議員大会決定や署名・クラスアピールなど、一貫して積極的に寮食堂の修復と存続を求めてきた。当局は、学生のそういった全くもって正当な要求を完全に踏みにじり、突然「取り壊す」旨をまさに一方的に「通達」してきたのである。
 これに対し、駒場寮委員会は、当局の非民主的な行為に抗議しつつ、この寮食堂「取り壊し」問題について話し合いを持つべく、1月18日に交渉要求書を提出した。要求書の内容は、以下の4点である。

・現在継続されている交渉を早急に再開すること。
・駒場寮自治会との合意ない南ホールの「取り壊し」計画を撤回し、存続させよ。
・南ホール「取り壊し」計画がある場合は、その内容の詳細を明らかにせよ。
・ガードマンを導入するな。実力排除などの暴力的行為を行うな。
 しかしながら、あくまで話し合いによる解決を求めるこの要求書に対する当局の回答は、「公示で十分。話し合う余地はない」という極めて不当なものであった。

二、寮食堂の存続と復旧に向けた運動
 前章でも述べたとおり、寮食堂はこれまで学生の自主活動の発展に大きく寄与してきた建物であり、その管理・運営は駒場寮委員会が行ってきた。そして、寮食堂は今後も必要であるから、寮食堂を断固死守し、今後も学生の自主活動の場として存続させることを目標に大きな運動を展開したのである。
 学生に対して積極的に情宣活動を展開し、当局に対して寮食堂の存続を求めるのと同時並行して、駒場寮委員会は南ホールの自主復旧を行った。この作業により、以前と同等とまでは言えないが、今後も十分使用出来るような状況に復旧できたのである。
 また、この南ホール大掃除の際に、前章でも述べた「放火」の決定的証拠を発見したのである。火の燃え上がった中心部分には、念入りに組まれた綿と木材の山、そしてそれを掻き分けると、何と石油の入った青いポリタンクが発見されたのである。「放火」当日にも、消防署の報告で「放火の可能性が濃厚」との報告を受けていたが、この決定的物証をみれば誰の目にも火をつけようとしたものがいたことは疑う余地がない。当局が犯人探しの責任を放棄し、それどころか放火を駒場寮「廃寮」の既成事実化の推進の強力な口実としたことを目の当たりにして、私達は駒場寮を断固守り抜く決意を新たにしたのである。

 また、当局の不当な「取り壊し」の公示が出て以降は、学内の自治団体と協力して寮食堂を存続させていこうという観点から、各自治団体に対して共同アピールをあげるように呼びかけ、そのアピールには駒場寮委員会・学生自治会・学生会館委員会・学友会学生理事会が名を連ねた。

三、暴力的工事の強行と阻止行動
 1月24日日曜日の午前5時頃、ガードマン約200人が寮食堂の「破壊」工事を強行するために駒場キャンパスに現れた。事前に学生側に全く連絡もなく、休日の早朝に非常に多数の「暴力装置」と共に寮食堂に襲いかかってきたという事実を考えても、当局が学生との話し合いを放棄し、暴力で「解決」するという姿勢を明らかにするものである。そして、当日の工事のなかでも当局はこの不当な姿勢を改めなかった。
 工事の中止と話し合いを求める寮生・学生・支援者に対し、当局は圧倒的なの暴力で応えた。事前に決して暴力を振るわずに、あくまで交渉の場で事態を解決するという方針を徹底し、整然と抗議行動をする寮生・学生・駒場寮支援者に対し、三鷹特別委をはじめとする教職員は、分厚いガードマンの肉の壁に隠れ、当局の雇った私兵=ガードマン及び工事業者は、全く手を出していない我々に対して、出来るだけ人目のつかないところに引きずりこみ、殴る・蹴る・踏みつけるなどの暴行を働いた。当日の現場指揮最高責任者の小林寛道は、これらの暴行に対して、「ガードマンは会社の上司の命令しか聞かない、彼らもああいう気質だから私にも制御できない」など、責任者として全く統率がとれていないことを露呈するばかりか、暴力を容認するような発言までも行った。そして、話し合いを求め理性的に訴え論理的に詰めよる我々の声を前にすると、分が悪くなった小林寛道はガードマンの分厚い壁に隠れるというきわめて卑怯な態度をとり続けた。さらに許し難いことには、当日現場の取材にきていた新聞記者を「学外者退去命令」などの紙切れで追い払ったのである。いやしくも自分の行為に正当性があるのならば、取材されても全く不都合はないはずではなかろうか。しかも、国民の税金を用いて運営されている国立大学における事件を公にするのは義務なはずである。しかしながら、出所が不明な金でガードマンを雇い、寮生・学生・支援者に対し暴力を振るうという行為を当局は取材させることができなかったのだ。また、学生のいない午前5時という早朝を狙ったということからも、事前に暴力の行使を想定してあり、できるだけ一般学生・市民の目から隠したいという当局の意図が見える。
 なお、その日のうちに二度の交渉を勝ち取ったが、それらの交渉はアリバイ的な、学生にとっては騙し討ちされた内容であった。昼の交渉では、当日の最高責任者と称する永野三郎学部長特別補佐は「工事中止はあり得ない」「ガードマンは危険を排除するために現場にいる」「君たちが抗議しないのならガードマンを呼ばない」などの詭弁に終始するばかりか、裏門に待機している警察権力について追求すると、「君たちには知らせないが警察には連絡する」「機動隊導入という場合もあり得る」などと極めて不当な発言を繰り返した。さらには、交渉が始まって20分足らずで「もう時間だ」として一方的に交渉をうち切り、再度暴力的工事に着手したのである。当局には、話し合いによって問題を解決しようという意志は全くなかったのである。
 なお、寮食堂封鎖工事は午後も膠着状態に陥った。暴力を使ってでも何とか工事を強行しようとする当局に対し、我々の連帯の力は非常に強かったのである。結局、不当にも寮食堂の三方はフェンスで囲まれてしまったが、寮食堂の命綱ともいえる入り口付近の南ホール前広場は断固として守り抜いた。そして、この抗議行動によってその日の午後に再度交渉を勝ち取ったのである。しかし、この交渉の場でも、当局は昼の時のような不当な発言を繰り返すばかりで、話し合いで解決しようとする我々の意志を踏みにじり、またもや一方的に交渉はうち切られてしまった。
 その後も、寮委員会はあくまで話し合いでの解決を目指し、1月27日に、再度交渉要求書を提出した。しかしながら、この交渉要求に対しても、当局は正式に回答すること無しに、工事中止はありえないとして交渉すらしようとしなかったのである。
 この寮食堂封鎖工事は、再度2月3日に大量のガードマンを導入することによって完全に遂行されてしまった。この日は、平日の、しかもテスト期間中にもかかわらず、前回を上回る約300人ものガードマンを導入してのものであった。あろうことか駒場寮全体を工事区域とし、寮前を工事用トラロープで囲って一般学生が工事現場である寮食堂付近にすら近づけない状況を作り出しての強行工事である。これに対し、まずは状況説明を求め寮前にいる三鷹特別委の人間に問いただしても、「君たちに説明する必要はない」とし、実際に現場に近づこうとすると、これ見よがしにガードマンが襲いかかるのである。この日も暴力は繰り返されたのである。
 暴力は決してなにも生み出さない。暴力によって問題を「解決」しようとしても決して本質的な解決には至らないことは歴史的事実からも明らかであるし、また、東大の憲法たる「東大確認書」でも、機動隊導入などの誤りを認め、今後導入しないことを高らかにうたっているのである。にもかかわらず、1999年の、この現代社会において、ガードマンという私兵によって学生に対する暴力が再び繰り返されてしまった。我々は、これら当局が行った暴行を決して許さない。「暴力はダメ」という、誰でも知っている当たり前のモラルすらここ東大では忘れ去られたのであろうか。今後も、我々は不断に当局の暴行を糾弾し、決して許さないことをここに確認する。そして、暴力が本質的な解決を決して導かないことも、併せて強く訴えるものである。ガードマン導入に象徴される権力者の本質というものを、この事件から露骨に見て取ることができよう。本質を具現化させないためにも、常に大衆的な監視を強め、暴力を決して許さない世論を確立させなくてはならない。

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