第四部 望まれる「解決」と一審判決後の展望

1.現在の状況 -2000年5月
 東京地裁によって仮執行付きの「明け渡し」判決が言い渡されたのが2000年の3月28日、寮自治会は即日これを不服として控訴、同時に強制執行停止申し立てを行いました。そして3月31日に強制執行停止決定が地裁民事9部から下されました。当局執行部は一審で仮執行がつくことを見越して、4月から5月にかけての強制執行を視野に入れていました。このため、4月に入って寮生のビラで強制執行停止決定(その可能性をほとんど考慮していなかったと思われる)が下ったことを知った当局執行部には相当の動揺が走りました。10年にわたる駒場寮問題がついに「解決」すると夢想していた執行部にとって、その衝撃は大きかったと思われます。
 しかし、この「挫折」に何ら学習することなく4月定例教授会では、「地裁審理中と変わらず、係争中なので寮生と話し合わない」「高裁判決を待つ」という、当事者責任を放棄した方針が学部長から説明されました。学部当局は、地裁→強制執行を高裁→強制執行へただ単にスライドさせ、再度「待ち」の姿勢に入ったのです。
 しかし、教官の中からもこのような強制執行・暴力的な解決に異議を唱え、寮生との話し合いによって寮問題の解決を目指すべきだという声が挙がっています。現に、3月教授会では6人の教官が寮生との新たな話し合いの窓口になりたいと名乗りを上げ、非公式なものとはいえ教授会の認知のもとで話し合いが開始されています。また、寮自治会からの話し合いの提案に沿う形で、三鷹特別委員会と公式な交渉も再開されました。
 99年12月の学生投票での寮問題の主文の批准に引き続き、今年も学生世論の寮への支持は上昇しているということができます。今年も、判決後の学部当局の寮に対するデマゴーグにも関わらず、例年に変わらず新入寮生を多く受け入れることができました。特に今年はクラスルーム・カフェを中心に寮外生の寮利用率が非常に高く、昼休みなどには頻繁に寮に出入りする学生の姿を見ることができます。

2.望まれる「解決」
 依然として東大当局は強制執行による「解決」を志向しています。しかし、これは望まれる「解決」では決してありません。一審の審理、そして判決がもたらしたものとは何なのでしょうか。それは、駒場寮問題を争訟の対象とすること自体が大学自治・学生自治に対する司法の介入としてあり、その結果として大学自治・学生自治の内実があたかも何の法的効力もないように判示されてしまったことです。また、東大「確認書」の東大当局自らの手による放棄、東大内のこれまでの各種意思決定プロセス(教授会・評議会)を無視した学長への権限集中、など勝訴するために主張が学内ですら言い得なかったことを(国と一体になって)東大当局が主張したことです。逆に、何ら駒場寮問題の本質的部分に関する審理はなされなかったのです。有意義であった点が挙げられるとすれば、永野尋問において改めて「廃寮」決定のプロセスの不当性が明らかになったことでしょう。しかし、それすら判決には何の影響も与えなかったのです。
 一審の審理・判決は、裁判が大学内の問題の解決手法として何の有効性も持たないばかりか、極めて有害であることを証明しました。このような裁判による「明け渡し」の強行は、おびただしい金と暴力を行使し、その過程において学内民主主義を死に至らしめる「解決」に他なりません。そして、学生は学内自治寮という今後決して駒場に再建されることのない学生の生活・自主自治活動の拠点を失うのです。
 駒場寮問題の解決は学内での話し合いによるしかありません。学部当局の計画強行、「廃寮」は前提だとする姿勢が、この問題を発生から10年、「廃寮」期限から5年目に突入した今も解決しない泥沼に落とし込んだのです。確かに異なった主張、立場を摺り合わせ一つの解決案を導くことは容易ではないでしょう。しかし、両者の解決への前向きな意思と信頼関係さえあれば、それは決して不可能なことではないのです。本来、社会に存在する多様な問題についてより良き解決手法を提示することを求められている大学が、(それも税金を浪費しながら)学内において民主的な問題解決すらできないという矛盾。大学が国と裁判所に問題解決を委ね、責任・思考放棄することが許されるのであれば、そのような大学とは何のために存在しているのでしょうか。
 寮自治会は、実力での寮生叩きだしを阻止するために(もちろん判決が不服だったからでもあります)、判決言い渡しと同時に東京高裁に対して控訴を行いました。しかし、これは寮自治会が解決の手段として裁判の継続を望んでいることでは決してありません。もし控訴しなければ判決が確定し、学部当局は直ちに強制執行を行い、寮を取り壊すことが明らかでした。そのような暴力的「解決」を阻止するために寮自治会は控訴を行ったのです。しかし、控訴審に入ったとはいえ、国・東大当局が裁判自体を取り下げることは可能です(控訴審では、原告からの取り下げは提訴の解消に、被告からの取り下げは判決の確定にあたる)。控訴審の取り下げには被告側の同意がいりますが、我々は裁判取り下げにはもちろん応じるつもりでいます。また、和解という形で裁判を決着させることもできます。しかし現在、東大当局は裁判所から和解勧告が出されることを極度に警戒し、話し合いすら行わないという姿勢を打ち出しています。
 私たちは再度、話し合いでの解決を学部当局に求めます。責任・思考を放棄することなく、たとえそれが困難であってもねばり強く両者が話し合い、歩み寄ることが必要なのです。裁判は寮生のみならず、学生、教官、職員全てにとって極めて危険なものであるという認識を共有化しなければなりません。

3.今後の展望
 学部当局は、前述したように(高裁)判決を待って強制執行を行うという姿勢を崩していません。高裁の審理はそれほど長くかからないだろうという読みもあるようです。寮自治会は高裁審理中に、話し合いでの合意に基づく解決への道筋をつけ、当局に裁判を取り下げ(もしくは和解)させることを目指して運動しています。昨年の学生投票を引き継ぎ、学生世論をさらに高めるべく、学内では寮自治会の主張の正当性を訴え、また寮の意義を体感するよう実際に利用することをすすめています。また教官の中からも話し合って解決すべきだという声が挙がっており、教授会で名乗りを上げた6人の教官との話し合いも積極的に行っています。学部当局に対しては、寮自治会の側から寮存続の案(学寮政策を変更し、現在建設の目処が立っていない400人分の定員を学内に振り替えることなど)を提示し、学生・教官の世論を背景に強く方針転換を迫っていくつもりです。
 裁判を継続し、寮生・学生との合意がないまま、強制執行・権力の導入による駒場寮問題の暴力的「解決」がなされることは何としても阻止しなければなりません。寮自治会は、このような学生無視、大学自治破壊の策動に関しては引き続き断固闘っていきます。

この冊子を読み終えた皆さん、裁判提訴が東大構成員全体、そしてひいては全大学構成員、市民への攻撃であるという認識を持って、寮存続に向けて共に闘っていきましょう。
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