学生の皆さんへ 99 への反論
93年より「着々と進んでいる」とされ、計画図が提示された「キャンパス計画」。これが大々的に取り上げられていますが、こんな図面見たことありましたか?この「キャンパス計画」なるものが正式に学生に提示されたのは今回が初めてですし、各自治団体にも通達されていませんでした。そしてこの計画が教授会の場にいきなり提示され、まともな議論もされずに拍手承認されたのは昨年の12月のことでした。
◆決定は突然に、変更不可能なものとして現れる◆
「キャンパス計画」は、駒場の全学生、教官、職員に対して非常に大きな影響を与える問題です。しかしこの「キャンパス計画」は、実質的に大学の一部執行部によって決定されているのです。特に学生のための施設であるのならば、各種自治団体をはじめとした学生と話し合い、どういったモノをつくることが望まれているのか、それはどのような形で実現するのが良いのかを慎重に決めていくことが要求されるでしょう。しかしこのような手続きはまったくとられていません。そればかりでなく学生との合意なきまま「廃寮」を強行し、駒場寮問題をこじらせ、学内民主主義自体を極めて危うくしているその反省をまったく生かそうともしていないのです。駒場寮「廃寮」も今回のキャンパス計画と同様に教授会で突如提示され、拍手承認され、それ以後の学生の反対の声をまったく聞き入れずに強行されています。この「キャンパス計画」も学内自治寮である駒場寮の「廃寮」、学生会館建て替えの勝手な先取り、旧物理倉庫(サークルの部室として使用)の廃止、東部地区の緑の大規模な伐採、図書館委員会の計画を無視した強引な図書館移転、計画完了後は(この図面では建て替える建物の今の位置と新しい位置を併記しているため隠蔽されているが)空き地だらけになる<この観点からも駒場寮は残せます>ことなど、多くの問題点を含んでいますが「廃寮」問題と同様、教授会での承認だけを根拠に学生の反対を押し切って強行するであろうことは明らかです。
◆学生の意思表示は攻撃の対象◆
大学当局は「学生の意見を採り入れて」などということを言うかもしれませんが、それは彼らにとって都合の良い意見だけが、学生の声として反映されているかのように装っているに過ぎません。もし本当に学生の声をきく意思があるのであれば、再三のストライキ、全学投票、代議員大会決議などで挙がっている駒場寮「廃寮」反対の声について誠意ある対応をとれたはずです。さらにこの「学生の皆さんへ」では驚くべきことに、昨年の代議員大会の決議に対しても「サークル活動の未来を縛りかねない」として攻撃が行われています。しかしこの決議は学生会館の建て替えに関して学生の中で議論が充分に行われていない現状を踏まえ、抜本的な補修を要求すると同時に、学内において慎重な議論を行うことを目指した決議だったのです。駒場寮「廃寮」問題でも大学当局はひとたび予算請求を行おうものなら、「文部省との約束」などと称して絶対に計画を変更することはありません。その前に学生間の議論を行わなければならないことは当然のことです。大学当局としては駒場寮を早期に潰すためになんとしてでも学生会館建て替えを含む「キャンパス計画」を進めたいという意図があるのですが、学生はそのような大学執行部の思惑とは独立して慎重かつ十分な議論を行わなくてはなりません。
一方では代議員大会の休講措置を取りやめるなどして参加者の減少を図りながら、代議員大会決議のような学生の公的な意思表示に対しても大学当局にとって都合の悪い決議が出されれば、このような文書(必修の時間で配布される)で攻撃するのです。さらに学生会館の補修を「不可能」と一蹴していますが、これに対して何の根拠も示されていません。駒場寮も補修不可能として強引な「廃寮」を進めたわけですが、両者とも建築士の鑑定により補修して使うことが十分可能であるという判断に基づいた要求なのです。
◆CCCL計画は「絵に描いた餅」◆
「学生の皆さんへ」でも触れられているCCCL計画は94年にカラーパンフレットの配布という形で学生に提示されました。しかし当初の募金で建てるという計画は立ち上がりもせず頓挫し、さらに文部省に予算請求を行うもまったく通らず昨年12月の教授会ではついに「CCCL計画は絵に描いた餅だった」「一つの案に過ぎなかった」として大学当局側もその破綻を認めざるを得なくなるような状況でした。もともと駒場寮「廃寮」はその跡地計画のために浮上したのではなく、逆に駒場寮を廃寮にするための学生に対する餌として跡地計画であるCCCL計画が「廃寮」が浮上した2年後につくられたのです。これはキャンパスプラザが明寮に数mかかるように設計され、そのために明寮を取り壊したことに如実にあらわれています。予算請求しても建たないものを「絵に描いた餅」であるにも関わらず大々的に宣伝し、「廃寮」の為に「駒場寮があるから建たないのだ」と学生をだます。それが「キャンパス計画」の実体なのです。
駒場寮問題は今もって解決に至っていません。しかしこれは「(旧)寮生たちのかたくなな態度」によるものではまったくありません。「学生の皆さんへ」では大学当局は「400回にものぼる話し合いを重ね」「計画の内容を詳細に提示し」たと述べていますが、「廃寮」を話し合いの前提として、なんとか駒場寮を存続させようとする学生の声をまったく聞こうとせず、計画を「提示」しただけで合意することなく「廃寮」を強行した、というのがこの間の経緯なのです。そもそも一貫して学生管理が貫かれてきた学生のための施設を、全学の合意、少なくとも駒場寮自治会の合意すらなくして勝手に潰せるなどということがあれば、学生会館も本郷寮も三鷹宿舎でさえ同じ道をたどる可能性があるのです。
特に96年4月以降の大学当局の実力での叩き出し攻撃は極めて非理性的暴力的なものとなっていきました。物理的な取り壊しにはじまり、電気・ガスの供給停止、ガードマンの導入、そして裁判への提訴など大学の民主的な運営を考えたとき想像を絶するようなことが平気で行われているのです。電気に関しては「用途廃止」したから会計上通せないということが書かれていますが、自ら「用途廃止」しておいてそれを理由にするなど言語道断です。また電気復旧仮処分でも、裁判官の「本裁判中はすくなくとも供給したらどうか」という和解勧告をことごとく蹴って国よりの決定を書くように強要したのです。
電気を止めて話し合うべき相手の生活を破壊し、今年に入っても寮食堂について話し合いを求める寮生に対して「話し合うことは何もない」としてガードマンを数百人動員して無理矢理取り壊し、その一方で寮生が頑なに居座っているかのような文書を出す。このような態度には心の底から怒りを覚えます。駒場寮の寮生は実力での攻撃ではなく、対等で理性的な話し合いを常に求めています。
3.駒場キャンパスの理性的な未来に向けて
「学生の皆さんへ」では、寮生のせいで残りの三鷹宿舎や跡地の施設が建たないかのように書かれていますが、これは大きな間違いです。建っていないのは予算請求に現実味がないからに過ぎません。さらにこの不況下で学部の「廃寮」の宣伝にも関わらず数十人の新入寮生を駒場寮は受け入れてきました。駒場寮は学部の「廃寮」攻撃がなければ、毎年200名の学生を受け入れることが可能です。駒場寮に入りたくても入れなかった多くの学生を大学当局の攻撃は作り出しているのです。学内寮の意義をここで語ることはしませんが、寮にも様々な形態があるべきであり駒場寮を残せない理由はどこにもないのです。
ここまで読まれてきて現在の「キャンパス計画」の問題点、そして大学当局の文書が隠蔽してきた様々な点が明らかになってきたかと思います。まずキャンパスの今後については(施設の面だけでなく)学生・教官・職員全てを含む大学構成員によって慎重かつ十分な議論で決めて行かなくてはならないということです。今の一部の執行部が決定し、教授会で承認し、学生は知らされるだけという体制は早急に変えて行かなくてはなりません。そしてそのような決定機構の作り出したもっとも重大な問題が駒場寮問題と言えます。学生の生活破壊、ガードマンによる物理的な弾圧、裁判で学生を訴えるなどということはまさに異常というほかなく、そしてこれに対する学生の反対の声はことごとく無視されています。駒場寮問題を理性的かつ民主的に解決することなくして、今後のキャンパスを語ることなどできないのです。「学生の皆さんへ」には「廃寮」の理由については触れられていません。大学当局は駒場寮問題については「廃寮だから」という言葉を繰り替えしているだけです。学生の皆さんには、今現在起こっている駒場キャンパスを破壊している非理性的非民主的な学生への攻撃についてしっかりとみすえ、これにともに反対していくように呼びかけます。
新入寮生募集及びクラスルームは随時受け付けています。寮問題の本質を知るためには寮にはいってみて、寮生と話してみないと分からない点もやはり多いと思います。大学当局が禁止しているのは、学生の皆さんに「寮」や「寮生」の本当の姿を見せないことによって「かたくなに居座り続ける者」というイメージをうえつけるために他なりません。寮生もいたって普通の学生ですので、ぜひ気軽に訪れて下さい。
学生の関われない「キャンパス計画」の裏で、ガードマン導入・裁判提訴・電気供給停止などあらゆる手段での暴力的「廃寮強行」。これが「より良い駒場キャンパスの創造」ですか?