旧駒場寮について、大学の立場をまとめた文書を作りました。学生のみなさんはこれをよく読み、誤った情報に振り回されることのないように(2)してください。
以下では、まず三鷹国際学生宿舎建設と旧寮の廃寮についての過去の経緯を振り返り、そのあとで将来の問題について触れてみたいと思います。つまり、学部がこの間駒場キャンパスの再生に対して何をしてきたか、これから皆さんとともにどういうキャンパスづくりをしていこうと考えているのか、を述べたいと思います。少し長くなりますが、皆さんに直接関係することがらですから、ぜひ良く読み話し合ってください。なお、学部と学生自治会は、廃寮直後の96年5月に、他の自治諸団体の協力を得て、廃寮のプロセスを詳しく年表化しています。その年表は学部のホームぺージ (http://www.c.u-tokyo.ac.jp/hairyo/) で読めますから、参考にしてください。
旧駒場寮の廃寮は、現在も進行しつつある駒場キャンパスの将来構想の一環として行われたものです。その将来構想が動き出したのは10年ほど前のことでした。教育と研究の両面にわたるよりよい体制と環境づくり、それに学生生活の充実を三本柱とする構想が練られました。学生生活関連では、キャンパスの再整備、快適で経済的負担の少ない居住環境づくり、サークル活動などの課外活動の場の拡充を目指すことになりました。というのもそれらの要求が、学生関係の委員会との交渉や学部交渉の席で、学生の皆さんから強い声で寄せられていたからです。
現在ではある程度改善されましたが、当時の駒場キャンパスは汚いことで有名でした。課外活動の場も十分ではなく、施設は老朽化していました。
居住環境について言えば、当時は地価の高騰のあおりを受けて、下宿代やアパートの家賃の値上がりが激しく、地方出身の学生や留学生たちから安価な住居を求める悲鳴に近い声があがっていました。もちろん当時は、三鷹と駒場に旧寮がありましたが、老朽化のせいで汚い上、個室でないために敬遠され、居住希望者は年々減少していました。旧三鷹寮は、広大な敷地に 100名前後の寮生しか住んでおらず、不効率国有地の指定を受け没収されかねない状況でした。また、年々利用率が低下する旧駒場寮の占める土地は、学生の定員増と大学院拡充などにより手狭になっているキャンパス事情に鑑みて、より有効な利用を考えるべき時がきていました。
こうした問題を解決するために、東京大学は、91年10月17日、「21世紀の学生宿舎を目指して」 (学部のホームページ参照) を発表して、まず宿舎問題についての将来構想を明らかにしました。その基本方針は、次のようでした。
この「三鷹国際学生宿舎建設計画」は、前年度の概算要求 (国の機関が、計画実現に必要な金額を予算請求すること) で「頭出し (詳しい計画書はつけずにタイトルだけで申請すること)」という形で申請していたものが、91年8月に予算化の可能性が急浮上したことに伴い、発表されたものです。
教養学部教授会は、91年10月9日、この計画を承認し、学生諸君に計画の全容を公開し実行の賛否について問うため、同時に、「三鷹学生宿舎特別委員会」 (以下、特別委員会と略) を発足させました。特別委員会は、10月14日、学生自治会および旧駒場寮委員会の両委員長に計画の概要を説明しました。そして、10月15日、評議会 (大学の最高決定機関) の承認を受け、すぐその2日後の17日、前記の「21世紀の学生宿舎を目指して」を公表したのです。発足以来特別委員会は、旧三鷹寮委員会、旧駒場寮自治会や学生自治会などの自治団体と400回にもおよぶ話し合いを重ね、また、公開説明会を開いて計画の内容を詳細にわたって提示し、学生の皆さんの要望を取り入れたり、皆さんからの疑問に答えてきました。特に強調して説明したのは、
の4点でした。
「三鷹国際学生宿舎建設計画」に対して当時の学生自治団体が最初に示した反応は矛盾を含んだものでした。例えば、計画が発表された直後の91年11月の旧駒場寮総代会は、「三鷹に新寮を早急に建設せよ、ただし駒場廃寮を前提としないこと」と決議しました。同じ月に2度にわたって行われた学部交渉での学生自治会の主張も基本的に同じ内容のものでした。つまり、「三鷹には新宿舎を建て、駒場には従来の寮を残せ」というのです。両方を取るという選択は、全く不可能だということを、特別委員会からくどいほど説明したにもかかわらず、なぜこのような決議がなされたのでしょう。どうしても「駒場寮を残せ」と主張するなら、ワンセット (前述の a.) が前提となっている「三鷹国際学生宿舎建設計画」そのものになぜ「ノー」と言わなかったのでしょう。
一方で、旧三鷹寮委員会のように、当初から建設計画賛成を表明し、住居形態や入寮選考方法の案出、管理運営規則の作成など、学部と共同で行った学生自治団体があったことも知っておいてください。三鷹国際学生宿舎が現在のような形態になったのは、他大学の宿舎の調査を行ってきた当時の三鷹寮委員会の意見を、学部が大幅に取り入れた結果なのです。
「三鷹国際学生宿舎建設計画」の概算要求は、頭出しの形で提出していたものが急遽取り上げられたため、学部は、上記 d. にあるように、計画が実施に移されるまでは、学生から強い反対があれば計画を撤回するということを公約しました。しかし、このように「三鷹は作れ、駒場は残せ」という矛盾した要求が出されたため、学部は、91年12月、駒場キャンパスに在籍する全学生の約1割を無作為抽出し、「三鷹国際学生宿舎建設計画」の是非を問うアンケートを行いました。なお、このアンケートをとることは、当時の学生自治会委員長も了承しています。アンケート調査に際して、特に上に述べた三鷹国際学生宿舎建設と廃寮はワンセットで切り離せない点 a. がはっきりわかるよう、「三鷹国際学生宿舎に関する計画説明書」 (学部のホームページ参照) を添えました。その結果は、計画に賛成が 72.4%、反対が 4.3%でした。そこで学部は、大多数の学生の皆さんの意向が、駒場寮の存続よりも三鷹国際学生宿舎の建設にあるものと判断し、 92年1月、計画の推進を宣言したのです。
計画推進宣言後、92年5月の旧駒場寮総代会では、
また、6月の自治会代議員大会では、
という決議が出されています。学生諸君は、三鷹国際学生宿舎の建設に賛成したのです。
そこで東京大学は、建設の具体化を決めました。これら2つの機関の決議第2項で「一方的廃寮に反対」する理由とされた問題に対しては、学部は以下に述べるように充分応えてきています。
以上のことから、学部が学生自治を無視するという形で、東大確認書と「84合意書」 (84年、水光熱費の負担区分をめぐって旧駒場寮委員会と当時、学生の福利厚生を担当した第8委員会の間で交わされた文書) に違反しているという非難 (このことを、廃寮に反対する人たちは、「手続問題」と呼んでいます) に根拠のないことはおわかりいただけると思います。
92年10月、三鷹で工事が始まり、93年5月に一期工事が竣工しました。同年6月には三鷹国際学生宿舎に入居が開始され、それと同時に旧三鷹寮は廃寮されました。 94年8月には、「21世紀の学生宿舎を目指して」で約束した共用棟が完成するなど、三鷹の工事は着々と進み、95年4月には、旧三鷹寮と旧駒場寮の実質収容人数をみたすだけの建物が完成することが確実となりました。そこで、 94年11月、教養学部は、95年度から旧駒場寮への入寮募集を停止し、猶予期間としての 1年をおいた96年3月末日をもって駒場寮を廃寮とすることを通達しました。また96年2月には、正規の駒場寮生 (95年3月末までに入寮していた人) を対象に、三鷹国際学生宿舎への優先入居募集を行いました。
さらに、三鷹から通学することによる経済的負担が勉学に影響する恐れのある人を救済するため教養学部は、教授会構成員の拠金による「駒場国際交流奨学金」を設け、 95年4月から発足させています。
また学部は、旧駒場寮建物を正式の活動の場としていたサークルに廃寮後の活動の場を保障するため、新宿舎の計画発表の当初から特別委員会を通じて、サークル関係の自治団体と話し合いを続けました。そして、学生の皆さんの意見を取り入れながら、まずシャワールームや柏蔭舎 (伝統文化活動施設) を建設しました。その後キャンパスプラザ (多文化交流施設A・B棟, 多目的ホールC棟) の予算化が確実なものになったので、廃寮以後サークルの活動に支障を来さぬよう、キャンパスプラザが完成するまでの移行措置として、96年3月からリースによるプレハブ棟3棟を建設しました。キャンパスプラザは98年5月に完成しました。なお、キャンパスプラザの建設のためには、旧駒場寮建物の一部 (旧明寮建物)、渡り廊下の一部、旧北寮建物の東側庇を取り壊す必要があったため、 97年3月それらの部分につき明渡し断行の仮処分命令が東京地方裁判所によって下されました。その執行により旧明寮建物等は同年中に取り壊されました。
この間、学生の側の反応はどうだったでしょう。確かにストライキがありました (93年11月は「廃寮反対」、94年12月は「入寮募集停止撤回」を掲げて)。しかし、廃寮とワンセットの新宿舎の建設がすでに進行し始めた時点で、駒場に寮を残せという要求は、国民の税金を責任を持って使用する立場にある国立大学には到底応じることのできないものです。しかもいずれのストライキも、集会などの行動への参加者はごく少数でした。
旧駒場寮委員会は、95年4月からの入寮募集停止措置を無視し、学部の警告を顧みず「入寮募集」を続け、廃寮後の96年4月はおろか、現在に至るまで募集を止めていません。しかし、廃寮になって用途廃止されれば、旧学寮の建物に電気・ガスを供給しつづけることは国の会計制度上不可能ですから、学部は96年3月、廃寮になる4月以後電気・ガスの供給は停止されることを通告しました。
96年4月1日、教養学部は、廃寮を告示しました。同時に、旧駒場寮建物・備品の管理を学部が行う旨通知し、つづいて旧寮内で退去を促す説得活動を始め、「退去勧告、電気・ガス停止予告」の文書を配布しました。三鷹国際学生宿舎への入居についての追加募集や旧寮から引っ越す人のための緊急宿泊所も用意しました。しかし、居残った旧寮生たちは、「入寮募集」を続け、旧寮建物に居残り続ける姿勢を明らかにしました。そこで学部は、4月8日、電気・ガスの供給を停止しました。
96年4月半ばから、旧寮生たちは、旧寮食堂やプレハブ棟 (キャンパスプラザの前身) から、延長コードで盗電を開始し、旧寮建物周辺を非常に危険な状態にしました。安全確保のため学部がこれらの延長コードを撤去・保管すると、今度は、旧寮食堂の厨房の電源から太い電力線で盗電を開始し、学部の再三の警告にもかかわらず、98年9月南ホール (旧寮食堂の一部) の不審火のためにこの電力線が焼け切れるまで電気を盗み続けました。
このように、電気・ガスはいきなり切られたわけではなく、予告済みの措置だったのです。このことを承知でその都度の新入生に入寮を勧誘してきた人たちの無責任さこそ非難されるべきでしょう。
南ホールからの盗電も断たれた旧駒場寮自治会は、98年11月に、東京電力を相手取って、電気の供給を求める仮処分命令を東京地裁に申し立てました。同時に、国、東京大学総長、教養学部長に対しては、電気供給のために必要となる工事を妨害しないことを申し立てました。この申し立てに対する東京地裁の決定は 98年12月25日に下り、旧寮自治会の申し立てはいずれも却下されました。この決定は、廃寮が決定・遂行された後も一部の者たちが旧駒場寮の建物を占有していること自体に法的な根拠がないことも明言しているのです。
彼らは今なお旧駒場寮に居座りながら、旧駒場寮を「多様な交流」あるいは「社会に向かっての開放性」を保障する希有な「自主管理空間」なのだと言っています。ところが、すでに一昨年のことになりますが、警察署から学生課にあった問い合わせによると、 99年の10月末に都内で逮捕された住所不定、無職の連続放火犯人が、同年9月下旬から1週間ほど旧駒場寮建物に宿泊していた、と供述していたのです。犯人によれば、宿泊場所に困って渋谷の公園にいたところ、旧駒場寮に行けば1泊200円で泊まれると聞いたので行ってみると、保険証を提示しただけでいとも簡単に泊めてくれたということです。
社会に向かって開かれているとか、自主管理空間という言葉のはきちがえの典型例と言えるでしょう。国立大学の施設の維持運営にはすべて国民の税金が使われるのですから、学生といえども自分たちの行動の公共性には細心の注意を払うことが要求されていることを、考えてください。
三鷹国際学生宿舎建設計画につづいて、学部は93年11月に、福利厚生施設の将来構想として CCCL (Center for Creative Campus Life) 計画を提案し、皆さんからの積極的な提言を募りました。 CCCL 計画とは、旧駒場寮の跡地に、学生と教職員のための福利厚生施設を建設しようというもので、すでに完成した新しい柏蔭舎、シャワールーム、キャンパスプラザA・B棟、C棟の他に、老朽化した学生会館、生協食堂、購買部や新学生会館の建て替えと、新たにスポーツ活動施設 (スポーツスクエア)、美術館・多目的大ホールの建設などを含むものです。
教養学部図書館が手狭でゆっくり勉強もできないという皆さんの声を反映させ、情報関連施設を含む新しい構想に基づく新図書館I期棟の建設が昨年始まりました。来年春の竣工へ向けて現在工事が進行中です。このように駒場キャンパス将来構想は着々と実現されつつあるのです。皆さんも斬新なアイデアをどんどん出してください。
現在の学生会館と新学生会館の建て替えについても、皆さんとの話し合いが重ねられてきました。これらについては、キャンパスプラザの時にもまして、皆さんの意見ができるかぎり反映されるよう、引き続き努力して行きます。
皆さんの毎日の生活に直結する生協食堂は、一昨年、厨房などの施設と内外装の改修が行われました。しかし、建物自体が狭く、老朽化しているため、近い将来建て替えを考えなくてはなりません。
スポーツ施設については、利用頻度の高いトレーニング体育館が老朽化しているだけでなく、課外活動の場も著しく不足しています。授業と課外活動を兼ねるスポーツスクエアの建設を早く実現させなくてはなりません。
三鷹にはすでに605人分の建物と共用棟が出来ていますが、まだ400人分の建物と第二共用棟の建設が課題として残っています。現在の経済不況により、安くて快適な宿舎を求める学生・留学生はますます増えて、三鷹国際学生宿舎の応募者も増加しています。端的に言って、残りの400人分の建設を妨げている大きな要因は、廃寮が完了していないことです。いまだに駒場に寮を残せと言って居座り続ける人たちがいる以上、東京大学は廃寮とワンセットの三鷹国際学生宿舎建設計画の最終段階を遂行できないでいるのです。どうか皆さんも、何が、安くて快適な住居を求める多くの学生・留学生の切実な願いの実現を妨げているか、を考えてみてください。 400人の定員を旧駒場寮建物に収容して建物を残せ、と主張する者がいますが、駒場全体のキャンパス計画を無視し、東京大学が社会に公約した計画を反古にしろと求める暴論です。そういうことを行う余地はもはや皆無だと言っておきます。
廃寮が完了していないことこそ、上に述べたキャンパスの将来計画にとって重大な障害なのです。これらの計画を実行して行く上で、廃寮問題の苦い経験を皆さんと一緒に乗り越えていくことがどうしても必要です。そのためにも、皆さんは学部に対して、どんどん意見を出してください。私たちは、できることできないことについては誤解のないよう説明しますが、都合の良い意見だけを採り、そうでないものには耳をふさぐようなことはしません。
廃寮措置の後にも、学部は学生自治会及び旧駒場寮自治会との話し合いを連日のように行いました。話し合いはその後も継続され、「手続問題」に関する意見の食い違いの調整や、学生が自由に寝泊りできる「合宿・集会所」の建設の可能性を議論し、話し合いでの解決を目指してきました。しかし、これらの団体からは、「妥協によって得るものはない。これまで通り廃寮反対でいく」という、答えしか返ってこなかったのです。その上違法な入寮勧誘と募集を継続してきました。
そこで97年10月に旧駒場寮の明渡しを求める裁判が申し立てられる結果となったのです。東京地方裁判所は、2000年3月に、不法に寮建物を占拠している者たちに明渡しを命じる判決を下しました。彼らはこの判決を不服として東京高等裁判所に控訴し、現在控訴審が行われていますが、その判決が近々下されるものと予想されます。明渡しが認められれば、教養学部は建物を速やかに取り壊し、駒場キャンパス将来計画の実現を推し進めていくつもりです。
なお教養学部は、一方的な主張を繰り返しながら旧寮建物に居座る人たちに対しても、特別委員会を通して話し合いの窓口を開きつづけています。
以上述べてきた点を踏まえ、廃寮問題と将来計画について皆さん一人一人が正しい認識を持ち、駒場の将来をともに考えてください。