駒場寮が存在する理由〜〜〜駒場寮の意義を考える シリーズビラ No.3
相互人格の成長に価値ある寮生活。
教養教育の実践の場としても、駒場寮は重要です。

●前回までのあらすじ
 駒場寮は、「教育の機会均等」を保障する学寮として、学生の負担にも耐え得る安価にて住環境を提供してきました。これは、東大が、東京という地価・物価の高い地域に在る以上は、苦学生が教育を受けるための経済面での障碍を低くする学寮が必要不可欠だからです。また駒場寮は、長期に渡って積み上げられてきた自治の慣行に基づく、完成度の高い寮自治を実践しています。国家の憲法に相当する寮規約を根幹とし、総代会(立法)・寮委員会(行政)・懲罰委員会(司法)の三権分立を制度化した駒場寮の寮自治は、寮生自身の手による寮の民主的運営を追求するものであり、真理探究の場としての大学に存在するのに相応しいものであると言えます。
 このように、教育の機会均等を保障し、自治=民主主義を実践する場としての駒場寮の意義は、非常に大きなものであることが分かります。一方で、教養学部当局が駒場寮の代替施設であると主張する三鷹宿舎では、生活に最低限必要である学生の金銭的負担が駒場寮の3倍以上にもなることや、民主主義の実践である自治が非常に限定されていることなど、駒場寮の意義を代替するものとはなり得ていません。

■相部屋制度が人格成長を助長する
 駒場寮では、殆んどの部屋が一部屋24畳の大部屋であり、現在のところ一部屋につき2人から3人で居住する相部屋制度をとっています。この相部屋制度は、駒場寮の意義を居住施設・福利厚生施設としてのものだけに留めず、他人との共同生活を行う中での相互人格の成長を促進する場ともしているという点で、大きな意味を持っています
 まず第一に、相部屋制度は、同年代の学生はもちろん、大学生活という点では大先輩にあたる大学院生や、日本・世界の各地から来た多くの学生との日常的な対話をも可能にします。このことは、駒場寮が多くの学生の居住する寮であることから、同室者だけではなく周りの寮生とも日常的に交流できること、さらに、一部屋が24畳もある大きな造りになっているため、大勢が集まることができるという点とも相俟って、駒場寮の意義をさらに高めるものとなっています。
 こうした日常的且つ、時間的・空間的に無制限な交流が、学生の本分である学問研究の助長に留まらず、自分自身の再発見や世の中の問題に対する意識の向上など、お互いの人格成長にとって非常に貴重なものとなることは疑う余地がありません。特に、高校を出たばかりの経験未熟な新入生にとっては、大学のみならず社会についての豊富な経験と知識に基づく鍛えられた見識を有する先輩と心ゆくまで話し込むことは、大学生活のみならず人生においても、間違いなく、とても得難い貴重な経験となることと思います。

■共に部屋を作り上げていくなかで
 また、そもそもどの部屋に入室するかを決める段階でもそうでまた、そもそもどの部屋に入室するかを決める段階でもそうですが、相部屋での生活を行っていく上では、部屋の間取りや使い方などについて同じ部屋の人と話し合って決めていく必要があり、このような過程に於いては多くの寮生との対話と協調が不可欠となります。このような過程を踏む中からこそより良い部屋作りのための議論が生まれるのであり、そこでの合理的解決を目指していく中で、各人の意見の論理的な表現力や他人の意見の理解力、協調性などといった、社会での生活に欠かせない能力が育まれていくのです
 その点で、事前に部屋の中にほとんど制約が設けられてその点で、事前に部屋の中にほとんど制約が設けられておらず、一部屋24畳のほぼ全てを同室者との話し合いによる部屋造りで決めていくことができる/いかなければならない駒場寮の部屋体制は、部屋造りに向けた対話と共同作業を行う中でも相互人格の成長を促しているという点からも、その意義を大いに発揮していると言うことができます。

■教養教育の一環としての寮生活
 このように、駒場寮は相互人格の成長の場として大きな意このように、駒場寮は相互人格の成長の場として大きな意義を持っていると言えます。しかし、そもそも駒場寮が設けられた訳を考えると、寮生活が人間的成長の促進に役立つというこの点こそが、駒場寮が存在する大きな要因の一つであったのではないかと思われます。これは、(当時と今とで高等教育を巡る状況が多少異なることを差し引いても)旧制一高時代に駒場寮での全寮制の寮生活が、教養教育の場としての一高の教育と切り離せないものであったことや、駒場寮がそもそも教養学部の寮であり、駒場寮の寮生活も教養教育の一環であると捉えられることからも窺うことができます。
 教養教育という点では、実際、最近の駒場キャンパス内の教養教育という点では、実際、最近の駒場キャンパス内の状況を見てみても、夜遅くまで議論に花を咲かせることのできる環境が寮以外には全く存在しないことに気付きます。教養という、世の中に対する目を養う教育を行う上で、夜が更けても心ゆくまで議論ができる場としての駒場寮の存在は、教養学部にとっても非常に貴重であることが分かります。
 寮生活を通じた教養教育の必要性については、昨今の日本寮生活を通じた教養教育の必要性については、昨今の日本の大学教育ではあまり重要視されていないようです(三鷹宿舎などでは顕著です)が、アメリカやヨーロッパでは多くの大学で学内寮が存在するなど、教育の場としての学寮の必要性は依然として十分に認識されています。このように、人格形成の場としてもまだまだ存在する必要の高い駒場寮の意義を、今後も皆さんに伝えていきたいと思います

1999.11.04
駒場寮委員会


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