駒場寮「廃寮」の不当性シリーズビラ(1)
合意ない「決定」とはなにか
現在駒場キャンパスにある大きな問題として、「駒場寮問題」が挙げられると思います。この「問題」は、多くの学生が住んでいる/使っている駒場寮を、教養学部当局が無理矢理「廃寮」にしようとしているという問題です。学生・寮生側は、これまで一度も、駒場寮の「廃寮」に合意したことはありません。なのにどうして、教養学部当局は駒場寮「廃寮」を押し進めるために、駒場寮の電気を止めたり、大量のガードマンを雇って寮施設を壊したり、学生を裁判に訴えたりしているのでしょうか。また、なぜそこまでされてまで、寮生は駒場寮に住み続けているのでしょうか。「駒場寮問題」について考えるとき、まず考えておかなければならないのは、どのようにしてこの「問題」が発生したか、という点であるかと思います。なぜなら、駒場寮問題は教養学部当局が学生・寮生に事前に全く相談することなしに/合意形成の努力さえしようとせずに、突然、駒場寮の「廃寮決定」を行い、それを押しつけてきたことに端を発しているからです。 駒場寮委員会では、駒場寮「廃寮」の不当性について皆さんにさらに深く理解してもらうため、ビラを全4回にシリーズ化して作成しました。シリーズ一回目である今回のビラでは、合意ない「廃寮決定」について、できるだけわかりやすく説明していこうと思います。 |
当事者不在の「廃寮」決定
駒場寮「廃寮」計画は、1988年に旧三鷹寮敷地が大蔵省から不効率利用国有地の指定を受けたため、敷地の「有効利用」を迫られた学部当局が、駒場寮の「廃寮」も含む「三鷹宿舎」建設計画を、学生に一切知らせずに進めた、ということから始まっている、と言うことができます。「有効利用」を迫られた教養学部当局は、90年3月に「国際学生寄宿舎」の概算要求頭出しを行いましたが、そう簡単には行かず、「それでは駒場寮も廃寮する」と、安易かつ無茶な条件を付け、91年「三鷹国際学生宿舎」の頭出しをしたところ、91年3月夏に急に予算化の可能性が浮上したため、91年10月9日、臨時教授会を開いてまさに電撃的に駒場寮「廃寮」を決定したのです。
決定以前に、学生側と相談する時間はいくらでもあったはずです。しかし、実際には何らの相談もされることはありませんでした。それどころか、学部当局はこの計画について、相談するどころか、意図的に隠蔽してきたのです。実際、91年7月の学生自治会の学部交渉では、「(寮の建て替えは、)具体的計画には至っていない」と、あたかも「廃寮」計画自体が存在しないかのような発言を行っています。遅くとも91年3月の「三鷹宿舎」概算要求の時点で、東大から文部省に駒場寮「廃寮」計画が示されているはずです。「具体的計画には至っていない」と言いながら、実は7月の学部交渉の時点では、すでに「廃寮」計画は秘密裏に進められていたのです。
|
合意なき「廃寮」決定は「寮生の意見を充分に把握・検討」するとした「84合意書」に明確に違反
駒場寮「廃寮」計画はこうして、事前の合意形成(の努力)どころか、一切の相談なく、学生に意図的に隠蔽したまま決定されました。この、いわば抜き打ち決定、当事者不在の決定という在り方の不当性は誰の目から見ても明らかですが、これは駒場寮自治会と学部当局との間で結ばれた、84年の「合意書」にも明確に違反するものです。「合意書」第三項には、こう書かれています。『寮生活に重大なかかわりを持つ問題について、大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会(現・学生委員会)は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する。』駒場寮「廃寮」計画が《寮生活に重大な関わりを持つ問題》であることについては、学部当局も認めています。事前に、とは本来、概算要求以前のはずです。なぜなら概算要求は東大として、文部省に対して行う《公的な意思表明》だからです。甘く解釈すれば、教授会決定前ということになりますが、これも学部当局は意図的に隠蔽し続けてきたのです。このことは、「廃寮」まず先にありき、という学部当局の態度を明確に表しているのです。臨時教授会後、学生側から反対の声があがる中、それらに耳を傾けることなく、教授会「決定」からわずか三ヶ月後に、学部当局は「廃寮」計画の強行を宣言します。「駒場寮問題」と、決定過程において重大な問題があった、不当な駒場寮「廃寮」を強行するための様々な形での学部当局の「不当」上塗りは、まさにここから始まっていくのです。大学の意志決定に於ける学生の立場とは何なのか、学生は大学当局の「決定」に従属することしかできないのか、このような問いを、駒場寮問題は我々に対して投げかけています。