1998年12月2日

駒場寮より学生の皆さんへ 〜駒場のより良い未来に向けて

東京大学駒場寮委員会

 12月1日付で皆さんに「学生の皆さんへ 98(2)」と題された文章が配布されたかと思います。この文書は「学生の皆さんに正しい認識を持ってもらうために」書かれたとされており、三鷹計画と駒場寮「廃寮」計画、そしてCCCL計画の学部当局側からの説明がなされています。しかし、「根拠のない」「手続き問題」を主張しているだけの「無理難題をいう人たち」をどうして何回もの全学投票に基づくストライキで学生は支持したのでしょうか。なぜ、自治団体は一致して「廃寮」に反対しているのでしょうか。そして学部当局の「廃寮」期限後2年半たっても、なぜ多くの新入生が入寮し、千筆単位の署名が集まり、代議員大会で「廃寮」反対の決議があがるのでしょうか。そして「予告済み」であれば電気・ガスを切っても良いというのは、何かおかしくありませんか。よく読めば分かるように、この文書では学部当局はかなり無茶な論理を使っています。頑張って無理して、何とか事実をすりかえ、暴力を正当化し、皆さんの支持を得ようとしています。しかし「正しい認識」は私達の主張を併せ読んでから、比較の上で持って頂きたいと思います。

1. 国からの圧力としての廃寮計画

 「1」では「廃寮」計画がそもそも「駒場キャンパスの将来構想の一環」であるとされ、「廃寮」の理由として駒場寮の利用率が年々低下してきたことが挙げられています。しかしこれは事実ではありません。例えば、学部が入寮を許可した最後の年である94年には入寮希望者が定員を超え、新入寮生の定員の上限である200人が入寮しました。駒場寮は学部当局の実力での「廃寮」攻撃までは400人近くの学生によってフル活用されてきたのです。(汚いのは、窓が割れても直さない補修サボタージュのためで、きちんと補修すれば1号館並には綺麗になります。)
 「廃寮」の本当の理由は、まず旧三鷹寮敷地の不効率利用国有地の指定にあります。土地を没収されないように頭をひねった結果出てきたのが、「自治寮・学内寮を潰す」という学寮政策を持つ文部省への手みやげとして「駒場寮」を差し出し、三鷹国際学生宿舎の予算をぶんどろうという計画でした(92年2月には教養学部長が「廃寮は予算獲得の道具であり、以前から決まっていた」と発言しています)。さらには計画発表の3ヶ月前、学生の「三鷹に新宿舎を立てる計画はあるか、それは駒場寮に影響を及ぼすか」という公開質問状に対し、学部当局は「そのような計画は全くない」と大嘘をついているのです。そして、現在まで当事者である寮生は一貫して「廃寮」反対を主張してきましたが、「廃寮は前提」としてことごとく無視されたのです。

2. 駒場寮「廃寮」計画強行の経緯

 「2」では、計画発表直後「三鷹は作れ、駒場は残せ」という要求が出されたため、アンケートを行いその結果を見て推進を宣言したと書かれています。また、その後のストライキをあっさり切って捨て、あとは「廃寮」だからの一点張りで停電攻撃、ガードマン導入へと突き進むことになります。
 まず、突然の計画発表時の学生の反応は当然ながら驚きでした。全く自分たちと話し合うことなく、すでに教授会で承認された、予算も付いた計画が「廃寮」とともにやってきたのです。直後の学部交渉では「学生の議論のために三鷹計画を1年間凍結せよ」と要求するものの「ここで取り下げると東大全体のメンツ・信頼を失う」として学部当局はこの決議を一蹴します。しかし意図的に隠しておいて、考える時間を与えないというのは、あまりに不誠実な態度です。旧三鷹寮が老朽化していたというのは事実でしたから、短時間での判断を迫られた学生は「三鷹に新寮を作れ」「駒場寮廃寮には反対」という決議を出さざるを得ませんでした。
 しかし、ここで学生は「三鷹国際学生宿舎建設計画」いわゆる「三鷹構想」そのものには「ノー」と言っているのです。だから、三鷹に建てることを要求しているのは駒場寮「廃寮」とリンクのない「新寮」であって、学部当局の提示する「国際学生宿舎」ではないのです。これは全く矛盾していません。駒場寮廃寮とのリンクをはずせないのであれば「三鷹」計画は撤回せよと学部交渉の場でも主張されています。
 91年度の予算請求の締切が迫りながらも、学内の反対が大きいと見るや、学部はアンケートを行います。論より証拠で見てみればわかるのですが、設問は新宿舎ができたら使いたいか、というように新宿舎の設問で埋め尽くされ、飾りのように駒場寮は「廃寮」となりますと書かれているのです。では、なぜここで「廃寮」自体の是非を問う設問を入れなかったのでしょうか。アンケートは一方の側の人間が作れば、いくらでも誘導的・恣意的になり得るものなのです。
 ストライキはアンケートと違い全学投票によって、批准されたものです。これを計画は進行し始めていたので「到底応じることのできない」として、切って捨てていますが、そもそも学生・寮生が署名やストで意志表示をしたのは、ストと同じ93年の交渉での「署名等、学内世論が盛り上がれば駒場寮は残る」との三鷹特別委員会委員長の言葉を受けてのことだったのです。こんな計画の強行をもって「国民の税金を責任を持って使用する立場にある」というのならば、望まれもしない計画を強行するために税金を使うこと、学生を排除するためにガードマンを雇うことは責任がある立場のすることと言えるでしょうか。
 電気・ガスの停止について、これがいかに卑劣な生活を破壊する暴力的行為であるかを理解していただきたいと思います。「予告済みだったから」全てが許されるわけがありません。在寮期限を過ぎた後も寮生が住み続け、粘り強い話し合いによって存続した京都大学吉田寮では、京都大学当局も「教育研究の府としての大学の性格上、在寮期限の到来をもって直ちに強制的な手段に訴えることは必ずしも適切な措置とは考えておりません」として、電気・ガスの供給を続け、話し合いも続けられました。裁判との関係で言えば、裁判に訴えた瞬間に法的にも占有が結審までの間認められるため、電気供給義務が生じるのです。前に止めていたかどうかは全く関係ありません。また、「盗電」との批判については、南ホールは寮施設ですし、プレハブ棟は自治団体協議会で承認を得ていました。現在のロッカールームに関しても管理団体の学生自治会の許可を得ています。
 さらに説得隊と称した教官による寮生の拘束、監禁、暴力やガードマンと重機を使った物理的な寮の破壊など、もはや「廃寮」以降はやりたい放題といえます。

3. CCCL計画と駒場のさらなる荒廃に向けて

 CCCL計画とはバブル時代に作られた目標額60億円という莫大な募金を財源とし、美術博物館や多目的ホール、スポーツスクエアなどの今まで駒場になかった施設を作ろうという計画でした。今ある施設を建て替えるのでさえ予算をとるのは大変なのですから、新しい建物は募金でやろうという発想なのでしょうが、しかし集まるわけもなく募金はめどさえ立たず開始もせずに頓挫。学生が望んだわけでもない、予算も付かない施設を建てる跡地計画をもって、駒場寮を潰すのはキャンパスが手狭になったからだといっても説得力はありません。
 駒場寮廃寮が進まないから、三鷹の残りが建たないかのように書かれていますが、本来毎年200人以上の学生が希望するはずであった駒場寮への入寮を妨げているのは、何か考えてみて下さい。なぜ、寮にも多様な選択肢があってはならないのでしょうか。
 駒場寮問題は現在裁判中です。私達は必死に学内での話し合いで解決すべきであると主張しているのに、訴えたほうが「残念です」などと言ってのけるのには怒りさえ覚えます。さらに裁判をする、話し合いをすると言いながら、「力づくで追い出す」ような停電攻撃などをなぜ続けるのでしょうか。とはいえ、私達は「廃寮は前提」と一方的な主張を繰り返し、交渉の席で罵倒を吐き、自分たちは安全な地点で相手の電気を止めるような学部当局に対しても、これからも粘り強く話し合っていきます。


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