「法的措置」撤回!
駒場寮存続!

4・22 報告集会プログラム

主催 駒場寮委員会・教養学部学生自治会

駒場キャンパス7号館742教室
開場18時
開会18時10分

18:10 │ 1.ビデオ上映『許すまじ「強制執行」』
18:30 │ 2.主催者挨拶【須藤(駒場寮委員長)・荒金(学生自治会委員長)】
18:35 │ 3.仮処分報告【須藤(駒場寮委員長)】
18:55 │ 4.弁護士からの報告【加藤弁護士・藤田弁護士・尾林弁護士】
19:10 │ 5.追い出された明寮生・サークルから【木村、網、坂口】
19:20 │ 6.寮問題の経緯背景・寮の意義【牧野(駒場寮委員)】
19:30 │ 7.自由発言
19:35 │ 8.まとめ・今後の見通し【須藤(駒場寮委員長)】
19:40 │ 9.閉会

お弁当を用意しました。受付にて実費でお分けしております。
別紙アンケートにご協力下さい。お帰りの際に受付にお出し下さい。
集会終了後、交流会を行います。是非ご参加下さい(参加費無料)。

※今回の集会は新入生の皆さんへの報告会的な性格上、行動提起、決議採択、シュプレヒコール、デモ等は行いません。ご了承下さい。



4・22報告集会プログラム 目次


0: 一連の「法的措置」での主な動きと「法的措置」突入の背景・・・・・・・・1
0−1: 一連の「法的措置」での主な動き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
0−2: 「法的措置」突入の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
1: 「法的措置」の不当性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
1−1: 「債務者」側の答弁は「必要的でない」!?・・・・・・・・・・・・・・3
1−2: 傍聴も認めない密室審理−非公開原則・・・・・・・・・・・・・・・・・3
1−3: 行政寄りの「司法」の実態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
1−4: 出るべくして出た不当決定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
2: 「法的措置」で暴かれた国・大学当局の不当性・・・・・・・・・・・・・・6
2−1: 何故この時期だったのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
2−2: 虚偽と欺瞞の申し立て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
2−2−1: 火災の危険・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
2−2−2: 定員750名・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
2−2−3: デタラメの「債務者」認定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
2−3: 一億円恫喝手紙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
2−4: 審尋での右往左往・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
2−5: 中北寮の取り下げ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
3: 不当づくめの「強制執行」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
3−1: 任意の明け渡しが「強制執行」に・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
3−2: 弁護士は「待てない」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
3−3: 「非債務者」まで叩き出す違法行為・・・・・・・・・・・・・・・・・11
3−4: 「荷物は安全な場所に保管」した結果がゴミ捨て場直行・・・・・・・・12
3−5: 不当極まりない第二次「強制執行」・・・・・・・・・・・・・・・・・12
3−5−1: 申立の存在すら知らされず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12
3−5−2: 本人が留守でも「強制執行」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12
3−5−3: 立会人拒否・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
3−5−4: 説明も拒否・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
3−5−5: マスコミの撮影も強制的に中止・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
4: 「法的措置」が投げかける問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
4−0: 教官は高見の見物(改めて自治論−主体性の問題)・・・・・・・・・・14
4−1: ガードマン経費(合意形成とコスト)・・・・・・・・・・・・・・・・14
4−2: 刑事介入(大学自治)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
4−3: 暴力を「積極防衛」として正当化・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
4−4: 「密行性」の問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18



0: 一連の「法的措置」での主な動きと「法的措置」突入の背景

0−1: 一連の「法的措置」での主な動き

1996年
6・20 6月教授会、「法的措置の学部長への一任」を「決定」
8・12 国(大学当局)側、「占有移転禁止」仮処分申立
9・ 3 東京地裁、「占有移転禁止」仮処分不当決定
9・10 「占有移転禁止」仮処分執行
9・20 「占有移転禁止」仮処分調書完成
10・31 寮側、東京地裁に「占有移転禁止」仮処分執行異議申立
11・25 国(大学当局)側、東京地裁に「意見書」提出
12・26 加藤弁護士、東京地裁に陳述書提出
12・27 加藤・藤田・尾林弁護士、東京地裁に反論書提出
1997年
1・28 東京地裁、「占有移転禁止」仮処分執行異議申立不当却下決定
2・ 5 国(大学当局)側、「明渡断行」仮処分申立
3・ 6 第一回審尋(於東京地裁)
3・18 第二回審尋(於東京地裁)
3・19 国(大学当局)側、北中寮の明渡申立取り下げ
3・25 東京地裁、明寮「明渡断行」仮処分不当決定
3・29 明寮「明渡断行」仮処分第一次「強制執行」
4・ 8 東京地裁、第二次「明渡断行」仮処分不当決定
4・10 明寮第二次「明渡断行」仮処分「強制執行」


0−2: 「法的措置」突入の背景

昨年前半の大学当局の「廃寮」強行路線は、一言で言えば「自力で廃寮を達成する」というものだった。それは、教職員を大量に動員した「プレハブ棟」建設強行に始まり、「説得調査班」の寮内立入、電気・ガスの供給停止、渡り廊下破壊、『学生の皆さんへ』シリーズプロパガンダ、電気ドラム盗み取りなどに端的に示される。この路線は、違法な自力救済を駆使して学内でカタをつけるというものだった。合意形成の全くなされていない駒場寮「廃寮」計画を「廃寮」方針を堅持したままで裁判所の力を借りずに「解決」しようとするならば、無理やり「廃寮」の既成事実を積み上げ、それをもって寮生に「廃寮」を呑ませるという方法しかなかった。彼らの言う「話し合いによる解決」の内実は、最終的に「話し合い」の場で寮生に「廃寮」を認めざるを得ない条件を作ることに他ならなかったのである。
しかし、我々は学部当局のこのような態度を見抜き、それに逐一反撃を加えてきた。学内でも学部当局の不当極まりないさまが露呈し、全学投票結果に明らかな通り多くの学生が学部当局のエセ話し合い路線に反対した。さらにこの「廃寮」攻撃が、単に東大駒場の個別的現象ではないことが広く認識され、廃寮反対の輪は広がっていった。こうして学部当局の「自力廃寮達成」路線は破綻した。
しかし学部当局は態度を改めないばかりか、なおも「廃寮」を強行するため、「法的措置」による「廃寮」強行の路線を選択した。6月20日、教授会では「法的措置の学部長への一任」が学部執行部から提起されたが、少なくともこの是非を問うために採決はとるべきとの意見を封殺しながら、教授会は「法的措置」を承認した。学生側は翌週行われた学生自治会代議員大会で「法的措置」撤回、教授会のファッショ的状況弾劾を決議したが、学部当局はこれを黙殺して、「法的措置」にひた走ることになった。
学部当局は我々に秘密裏に「占有移転禁止」仮処分申立を行い、東京地裁に決定を出させた。この間、我々は仮処分に一切関与出来なかったばかりでなく、そもそもその存在を知らされていなかった。
抜き打ち的にやってきた執行官から、初めてその存在が明らかにされたのである。学部当局は決定を寮生に対して事前通知しないよう、用意周到にも東京地裁に「上申書」を提出し、これを東京地裁が認めたためであった。
「占有移転禁止」仮処分の執行は秋休み初日に行われた。この時期を見計らって学部当局が「法的措置」に着手したのは、駒場祭の準備で駒場寮が寮外生に利用されるのを恐れて、寮利用禁止のための恫喝効果を狙ったからである。このことは「廃寮」が誰のためのものであるかを示して余りある。学部当局は駒場祭準備のための代替スペースを一切用意せずに、単に駒場寮の利用禁止を声高に叫んでいただけである。しかし、実際には多くの学生が駒場祭準備に寮を利用し、「法的措置」恫喝は全く相対化された。学生にとっての駒場寮の必要性を目の当たりにしながら、自らの都合のために「法的措置」路線を続けることは、学生への敵対行為以外の何物でもない。しかしなおも「廃寮」に固執する学部当局は三度目の電気ストップ(11月28日)などの自力救済も織り混ぜつつ、あくまで寮生を叩き出すために「明渡断行」仮処分に突入したのである。


1:「法的措置」の不当性


今回の「明渡断行」仮処分には、対話による解決を目指すべき駒場寮問題を「法的措置」に訴えたことの不当性に止まらず、仮処分特有の不当性、そして「法的措置」であるが故の不当性が存在する。
ここでは「法的措置」のプロセスから、後者の不当性を明らかにしていく。


1−1:「債務者」側の答弁は「必要的でない」!?

仮処分という「法的措置」は、緊急性のある場合に認められるいわば略式裁判である。法律用語上、普通の裁判での「被告」は「債務者」、「原告」は「債権者」と呼ばれる。仮処分が裁判と異なる点は、「債務者」側の答弁が「必要的でない」とされる点である。これは「債務者」側の答弁は仮処分決定(判決)のために必要とされないことを意味する。必要かどうかは裁判所の一存で決まる。そもそも「必要的でない」制度であるため、必要でない理由を裁判所が示す義務はない。つまり、「仮に」決定するということを隠蓑に、個々の申立理由を一々検証することなく、全て「債権者」の申立通りに決定することが可能なのである。要するに、「債権者」の申立に裁判所が「司法」のお墨付きをする制度が仮処分に他ならない。
「法的措置」と言えば、法律やその精神に照らして適当か否かが個々の主張について検討され、個々の証拠が厳しく検証され、そして決定に際してはそれらの検討を基に判断の根拠が示されることを想像しがちである。ところが、仮処分に於いてそれらは一切必要とされない。こんなふざけた「法的措置」があるだろうか。
今回の仮処分もご多分に漏れずふざけた「法的措置」であった。「廃寮」決定から既に5年以上が経過し、その中で様々な論点が提起され、今でも100人が居住する駒場寮の問題を、たったの一回の審尋で終わらせようとしたのは国(大学当局)であるが、それも仮処分だから可能な主張である。結局、さらに一回の審尋が行われたが、どのみち二回の審尋でカタがつく問題ではない。寮生の発言は当初認められておらず、発言枠要求の末にようやく認められたのは僅か10分間の陳述である。審尋は形式的な事情聴取の場に過ぎず、我々はその場をいかに本来あるべき論争の場に変えていくかを追求した。


1−2 傍聴も認めない密室審理−非公開原則

仮処分の不当性は「債務者」の主張が「必要的でない」ことに止まらない。事情聴取である審尋は非公開が原則とされており、傍聴が出来ない。これは衆目に晒すことをはばかられるようなことを行っているからに他ならない。法廷の中では「債務者」の主張が「必要的でない」審尋が一方的に進行している。その不当性を自認しているからこそ、非公開なのである。このようなプロセスを経た決定が、学部当局の言うような「公正中立の立場からの判断」である筈がない。
審尋当日は、駒場寮問題に関心を寄せる多くの学生・市民が法廷の外に待たされ続けた。今回の「法的措置」は、国民の税金を使って国が起こした訴訟である。国民に公開出来ない「法的措置」など、これっぽっちの正当性も有しない。


1−3: 行政寄りの「司法」の実態

「司法」の行政寄りの態度はいまさら言うまでもないが、今回の仮処分に於いてもそれは余すところなく示された。
審尋の内容は我々の訴訟代理人の奮闘で、事情聴取ではない論争により近づけられていた。しかし、裁判官は国側不利となる度に議論を中断し、それまでの議論内容と関係なく勝手に国側に都合よいようにまとめようとした。例えば、占有権原(権限)を巡る議論では、国側は国有財産に関する大学の管理権を楯に寮生の占有権原を否定しようとしたが、これに対して我々は寮生の占有権原が大学当局との合意の上での自治に基づくものであり、大学自治の議論抜きに判断することは出来ないと主張した。我々は書面でのきちんとした回答を求めたが、国側はこれを回避することに汲々としていた。すると裁判官は「要するに債務者側の主張する確認書・合意書は紳士協定のであって法的拘束力はない訳ですね」などと勝手にまとめ始めたりした。本来中立であるべき裁判官が、勝手に一方に与して助け舟を出すという、あるまじき態度を取ったのである。
議論を中断させるに止まらず、国側が答えるべき質問に対して裁判官が勝手に憶測で代弁するというトンデモナイことまで行われた。我々が国側に「何故大学自治の問題ではないと言えるのか」理由を問いただしていた時、国側を庇うかのように裁判官が勝手に自分の考えを述べ始めたのである。我々の訴訟代理人が抗議したところ、恥知らずにも逆に裁判官は怒り出し、自分が一方の側に立ってべらべら喋っていることが裁判官としていかに不適格であるか全く認識していないことが明らかになった。
三権分立とは言いながら、現在の「司法」の実態というのは以上のようにひたすら行政におもねるものである。


1−4: 出るべくして出た不当決定

東京地裁は、第二回審尋から僅か1週間後の3月25日に決定を出した。予想を遥かに上回る不当決定であり、「法的措置」の不当性がここに凝縮されている。
今回の「明渡断行」仮処分の争点は大きくは二点に絞られた。一点目は、「廃寮」決定の正当性である。この点について、地裁決定は「寮・学生の自治は慣行に過ぎず、それを認めるか否かは大学当局次第であり、「廃寮」決定を何ら拘束するものではない」との判断を下し、「廃寮」決定を正当化した。具体的には、地裁決定は「寮自治会の入退寮選考は法的には無意味であり、学部当局の入寮許可にこそ法的意味がある」として、入退寮選考権を単なる慣行であると勝手に決めつけ、学部当局が「廃寮」決定すれば、寮自治会の行う自治活動は全て無効になるとしている。一方的に「廃寮」決定したのも、「事前の意見聴取は望ましかったに過ぎない」などとして是認している。このように、学生自治を法的根拠のない単なる「慣行」として処理し、寮生には占有権原(権限)がないと結論付けたのが、この許し難い地裁決定である。
二点目は、寮を明け渡す必要性についてである。ここでは、全く許し難いことに国(大学当局)側の主張がほぼフリーパスで認められている。具体的には、キャンパスプラザは必要であり予算期限を「廃寮」の緊急性として認められる、管理不行き届きで寮が危険地帯と化している、寮生には居住の代替がある、等が理由とされている。このことは、裁判官が我々の陳述書を全く読みもせずに決定を下していることを露呈させたものに他ならない。キャンパスプラザがいかに酷いものになるのか、学生の間でも議論があるし、全学投票では反対が7割を越えている。寮が危険地帯ではないことは我々の陳述書に再三述べられているし、一度でも寮を訪れれば直ぐ分かることである。寮生が寮を出されれば実際に学生生活を送ることが出来ないということは、何人もの寮生が陳述書を提出した。これらの陳述書の一つたりとも検討対象として触れられていない。住処と学生自治を賭けて徹夜で書き上げられた数十もの陳述書は、東京地裁に抹殺された。
陳述書をロクに読みもしない東京地裁は明け渡しの必要性をこう締め括っている、「債務者らの占有を保護すべき必要性は小さい」。これが、「公正中立の立場からの判断を仰」いだ「法的措置」の実態である。
また、第二次「明渡断行」仮処分決定は全くお話しにもならない内容である。この決定は、「明け渡せ」という主文以外には何も書かれていない。明け渡しが認められる理由の一つも述べられていない決定など、これっぽっちも正当性はない。国(大学当局)側の明渡申立にただ判を付いただけの決定でも、裁判所の「判断」とされるのが「法的措置」に他ならない。


2:「法的措置」で暴かれた国・大学当局の不当性


仮処分の審理過程、そして「強制執行」という一連の「法的措置」から、国・大学当局の不当性は余すところなく暴露された。それらは全て「廃寮」決定の不当性に起因している。不当を強行しようとすれば、不当を上塗りしていく他はない。ここでは仮処分の審理過程で露呈した彼らの不当を具体的に検証していく。


2−1: 何故この時期だったのか

学部当局は、何故こんな切羽詰まった「明渡申立」を行ったのか。2月5日に申立を行い、急いで3月中に決定を出すことを求めるというのは、全く身勝手な要求である(裁判所は裁判所で、その身勝手を認めるという救い様のない腐敗振りだ)。この時期の問題は是非とも考えねばなるまい。
理由はいくつか考えられるが、一つには学部当局はわざと限定された短期間で、寮側の準備が充分整わない内に一気にカタをつけようとしたためである。年度末はちょうど都合のいい口実とすることが出来た。ここでは無理な申立でも結局は裁判所が認めるということが前提とされていた。そして裁判所は国の希望通りに3月中に決定を出したのである。
第二に、学生のいなくなる春休みを狙い撃ちする時期設定であった。学生側の運動が盛り上がるのを極力抑えつつ、学生がいない内にケリをつけようとしたのである。確かに、「法的措置」は春休み中に完了した。しかし我々の闘いはそのスケジュールを狂わせ、学生は学部当局の実力での計画強行の様を目の当たりにすることになったのである。学生は、自分たちの参加した全学投票で「誠実な交渉」の要求が7割以上で批准されたことを覚えている。自分たちの知らない間に、学部当局が自分たちを愚弄するようなマネをしていたことが新学期早々に暴露されたのである。
最後に、新入生が駒場寮に入れないようにするためである。そもそも駒場寮問題に対する態度は新入生が自分で判断して決めればよいことである。そのような自由を新入生から奪い、もう「廃寮」済みであるとするために、学部当局は3月中の決定を要求したのである。しかし、中北寮についての明渡申立を自ら取り下げたことで、この狙いは達成されなかった。
総じて言えることは、学生側に反対する余裕を与えないようにするということである。彼らが「公正中立の立場からの判断を仰ぐ」ために「法的措置」を執ったのではなく、あくまで「廃寮」の道具として利用したに過ぎないことが明らかである。
そしてこのような無理な要求を裁判所に突き付けることが可能であったのは、学部当局が国と結託した権力であるからに他ならない。


2−2: 虚偽と欺瞞の申し立て

学部当局は、「占有移転禁止」仮処分申立をさらに上回る虚偽と欺瞞を満載した疎明資料を提出してきた。我々は怒りを覚えずして読むことは出来ない。そもそも、「寮生が寮全体を共同占有している」という前提が虚偽である以上、全ての申立がその虚偽に合わせてデタラメとならざるを得ないのである。殆どが虚偽と欺瞞で埋められているので全て取り上げることは出来ないが、その中から分かり易くかつ重大なデタラメを幾つか紹介したい。


2−2−1: 火災の危険

右松教養学部学生課長名で提出された「陳述書1」の中で、管理不能状態によって引き起こされている最も重大な危険として挙げられているのが、「火災の危険」である。「火災の危険」の理由として、昨年4月の放火、「盗電」、石油ストーブやプロパンガスが挙げられている。
昨年4月の放火とは、寮施設数箇所への放火を指しているが、これは寮生の消火活動で消し止められた。同時に放火されたプレハブサークル棟は、寮生が出火を発見したが、焼失してしまった。その他、旧物理倉庫にも二か所の放火が確認された。学部当局がこの放火を「管理不能状態」によるものとするならば、他の施設への放火は一体どう説明するのか。放火はたまたま学部当局から「廃寮」宣言された4月以降に起きただけであり、これを「廃寮」後の「管理不能状態」とするのは全く根拠がない。「火災は寮問題とは関係ない」ことは昨年4月の交渉で学部当局も確認している。それを撤回するのならば、「陳述書」でも撤回の意志表明をするべきである。
「盗電」に関しては、我々は盗電など一切していないと断言する。現在、我々が電力供給源としている寮食堂は、そもそも寮自治会の管轄下であり、そこから電気を引くことは全く問題ない。また以前電力供給源としていたプレハブ棟は、学生自治団体合意の下に電気を引いたのであり、これも盗電とは呼べない。我々は電気代が必要なら支払うと公言しているにも関わらず、学部当局は金を受け取ることは出来ないと言い張っている。このような場合は窃盗行為に当たらない。学部当局は、これらの方法で電気を引くことに漏電の危険があると主張するが、電気コードが剥き出しになっている訳でもないのにどうして火災の危険があると言えるのか。別紙「陳述書」では過電流が指摘されているがそのような事実はない。また、陳述書では、一言「コードリールを回収した」と当然の如く述べられているが、これこそが自力救済であり全く違法な行為である。
石油ストーブ(正確には石油ファンヒーター)を使用することが即「火災の危険」であるならば、日本中は既に火の海になっているだろう。プロパンガスは屋内用を使用しており、問題ない。それでも「火災の危険」というならば、まず学部当局は学内に灰皿を整備すべきである。
結局「火災の危険」とは、無法地帯のイメージを捏造するための言い掛かりに過ぎない。


2−2−2 定員750名

永野三郎教養学部評議員名の「陳述書1」は、駒場寮の定員は750名に対して、約350名しか住んでいなかったと主張する。確かにそれはウソではないが、定員が750名とは一体どういうことか、考えねばならない。定員750名とは、一部屋当たり6人ということである。これを詰め込み過ぎではないと考える人がいるだろうか。また一部屋の電気容量は15Aである(84年までは何とたったの5Aだった)。ここに6人詰め込める筈がないことは学部当局も承知していたことである。
遥か昔の文部省に対する学寮定員を持ち出して、寮生が激減しているかのような欺瞞的な陳述をしているに過ぎないのが、この「陳述書」である。


2−2−3 デタラメの「債務者」認定

右松鉄人教養学部学生課長名の「陳述書2」は、誰が「債務者」かを同定した理由を述べている。その理由が如何にデタラメなものであるかを指摘したい。但し、ここでは「債務者」の実名を公表することは避ける。

a.S君の場合
「陳述書」では95年以降に「不法占拠」し始めたとされている。しかし、S君は91年に入学、入寮し、92年には寮委員長も務めている。95年3月で本郷進学と同時に退寮している。「陳述書」は無理やり彼を「債務者」認定するためのデッチ上げに過ぎない。

b.N君の場合
「陳述書」では95年に入学し、一旦入寮してから96年に三鷹宿舎に移り、三鷹に入居後も駒場寮に住み続けているとされている。しかし、N君は96年入学であるので、陳述内容は全てデタラメである。
以上の他にも、集会に参加していた、寮に出入りしていた、等を理由に「債務者」認定するという支離滅裂振りである。
この他にも、「建物内で宴会を張り、もはや傍若無人といった状態」「キャンパスプラザを4階建以上にするとサークルが停滞するから駒場寮を潰す」などの理由にならない理由を列挙する始末である。


2−3 : 一億円恫喝手紙

学部当局は第一回審尋を控えた2月25日付けで学生に対し、大森学部長名の恫喝の手紙を送り付けた。その内容は根拠のない莫大な執行費用をちらつかせて審尋前に寮生を追い出そうとするものであった。
1億円という執行費用の算出根拠がないこともさることながら、より問題であるのは、自ら「法的措置」に訴えておきながら、他方では裁判所の行う審尋の妨害をしているという点である。話し合いという学内解決の努力を放棄して「法的措置」に委ねたから、後は裁判所に全権委任するというのなら、彼らなりの整合性があるとも言えよう。しかし、裁判所を頼っておきながら裁判所の妨害をしているのでは話にならない。東京地裁さえ学部当局のこの策動を批判し、今後は行わないようにと注意せざるを得なかった。
このように図らずも東京大学の低水準が露呈した格好となった恫喝手紙事件であるが、実際、東京大学の低水準は目を覆うばかりである。電気・ガスの供給停止や電気ドラム盗み取りを社会的審判に委ねれば、学部当局の所業がいかに前近代的であるかが明らかになる。恫喝手紙事件は、これまでの学部当局の所業と何ら変わるところはなかったが、「法的措置」以後も相変わらず前近代性が抜け切れていないために、裁判所に「叱られる」という失態を演じる結果となったに過ぎない。
我々寮生の側からすれば、我々の裁判を受ける権利を脅かすものであり、決して許すことは出来ない(が、寮内に動揺はなかった)。裁判所の「お叱り」にも関わらず、今のところ学部当局からは謝罪一つもないが、この事件で改めて、自己目的化した「廃寮」を強行するために「法的措置」を利用しているに過ぎないことが暴露された。今後はこの事件の責任追及もせねばならなくなるだろう。


2−4 審尋での右往左往

国・大学当局は「廃寮」の緊急性の理由の一つに「火災の危険性」を挙げた。昨年4月には寮やサークル棟などで未明に火災が発生し、それが寮の不充分な管理によるものだと言うのである。しかし、この放火の件については、直後に行われた交渉で「寮問題と関係ない」ことが確認されていたのである。寮内では当初「寮生もろとも焼き払って廃寮しようとする者の仕業ではないか」との憶測も流れたが、そのような根拠のない憶測に歯止めを掛けるためにも交渉は役立っていたのである。実際、火災を発見したのも消火活動に参加したのも大部分は寮生だった。
この背信的な国・大学当局の主張に対して、我々の訴訟代理人が以上の経緯を説明した上で「今でもそう主張するつもりか」と問いただしたところ、大学当局の永野三郎評議員(当時)はとっさに「いや、違う」と言った。ところが、国側の訟務検事らは、「ちょっと待って下さい」と永野評議員の発言を遮り、勝手に発言するなと評議員にクギを刺した。その上で「提出した資料の通りです」として、結局、寮生がいる限り火災の危険性があるという立場を堅持したのである。
このことから、国と大学当局が必ずしも一致した見解を持っている訳ではないこと、さらに、見解が異なった場合、申し立てた大学側の意見ではなく、国側の意見が通るという信じ難いことが明らかになった。「法的措置」は大学自治を潰す。一度学外に委ねてしまえば、大学の問題であるものに大学が口を挟むことすら出来なくなる。大学当局ですら大学の当事者でなくなるのが「法的措置」であることを、彼らも思い知った筈である。


2−5: 中北寮の取り下げ

国・大学当局は第二回審尋の翌日、中寮・北寮についての明渡申立を突如取り下げた。理由は定かではないが、この申立取り下げからも、彼らの不当性が分かる。
中北寮について、「法的措置」を断念したのであれば話は別である。しかし彼らは「より確実に潰すために」申立を取り下げ、本訴を行おうとしている。では、これまで仮処分申立のために使われた費用はどうするのか。彼らは国民の税金をつぎ込んで仮処分の準備をした。「法的措置」方針を変えない一方で、取り下げたならば税金が無駄に使われたことになる。杜撰な仮処分に付き合わされた我々寮生の労力の問題もあり、普通ならば損害賠償問題となる。国・大学当局の責任追及は免れない。


3:不当づくめの「強制執行」


ここでは「強制執行」が如何に不当であったかについて検証する。それが今回きりのものではなく、そもそも不当な「廃寮」計画を強行する限り、不可避の事態であることが明らかになるだろう。


3−1 : 任意の明け渡しが「強制執行」に

3月25日に東京地裁から明寮の明渡決定が出され、寮側も対応を迫られた。結局、不当決定に抗議はするものの、基本的に地裁決定に従って明け渡すことを決めた。そして28日、執行官室と国側に対し、決定に基づいて任意に明け渡す旨を伝えた。寮内では執行の事前に明け渡しを済ませるように、「債務者」にお願いして廻った。このように、明け渡しは「強制執行」するまでもなく、行われる筈だった。
ところがその翌日、「債務者」が明け渡す前に、彼らは抜き打ち的に「強制執行」にやってきた。このことの問題点は以下の通りである。
まず、我々が任意の明け渡しの意志を示したにも関わらず、執行の期日を指定することなく、一方的にやってきたという点である。しかも地裁決定から僅か4日後、明け渡し意志表明の翌日であったことは、彼らが我々の意向などはじめから無視するつもりでいたことを表している。決定当初、国側の訟務検事が任意の明け渡しを我々に要請してきた。そうすれば「強制執行」をしなくて済むからお互いのためだ、というのである。結果として、それに応ずる明け渡し意志表明であったが、彼らはそんなつもりは毛頭なかったということが明らかになったのである。
次に、あらかじめ「強制執行」をするつもりでやってきたという点である。「債務者」だけでなく、明け渡し対象者ではない全ての人々を叩き出すための実力部隊としてガードマンや作業員らを動員した。彼らの狙いはむしろ地裁決定では不充分な部分を補填するための「強制執行」を行うことにあった。明寮から誰彼構わず全ての人と物を叩き出す。そこでは、地裁決定は明寮に踏み込むための単なる口実に過ぎない。だからこそ、抜き打ち的にやってきて、弁護士を待つことなく次々と叩き出しを強行していったのである。
最後に、全学生に対する恫喝効果を狙ったという点である。学部当局の計画に反対する者は裁判に掛けられる、行き着く先は「強制執行」だ、ということを学生に見せつける狙いである。29日には新入生オリエンテーションの準備で多くのサークルがキャンパスに来ており、この「強制執行」の様子を目撃した。学部当局はこれらの学生の存在も計算に入れつつ、恫喝効果を持たせるための「強制執行」という一方的な茶番を仕組んだのである。


3−2: 弁護士は「待てない」

我々は執行官に対して弁護士が到着するまで執行を待つように要請した。執行の妨害ではなく、より公正な執行をするために寮側の立会人がいてしかるべきだと主張したのである。ところが彼らは「弁護士は待てない」と言った。その理由は「待つ必要がない」からだと言う。その必要がない理由を聞いているのであって、全く理由になっていない。しまいには「執行妨害だ」などとわめく始末である。このような無意味なやり取りの間にも、彼らは「強制執行」を指令し続け、次々と叩き出しが行われていった。「非債務者」の叩き出しは違法だから止めるようにと要求すると、「債務者と見做すから違法ではない」と答えた。これが彼らのやり方である。
確かに弁護士が執行に必ず立ち会わねばならない訳ではない(弁護士をつけない場合もあり得る)。
しかし、人間が住んでいる所の強制的な明け渡しを行い、しかも関係のない人々までも根拠なく叩き出されるという異常事態の中で、それでも弁護士が必要ないというのは、正しくない。「法的措置」とは、このような不当を正当であると言いくるめる方便に過ぎない。
しかも醜悪であるのは、寮側の弁護士が到着すると、待っていたかのような丁重な態度に変わり、執行現場に立ち会わせたりしたのである。弁護士が遅刻したのではない。彼らが弁護士の到着を待たずに勝手に抜き打ち「強制執行」を強行しただけの話である。彼らの、そして「法的措置」の欺瞞性はもはや覆い隠すべくもない。


3−3: 「非債務者」まで叩き出す違法行為

今回の明渡申立は、全寮生を対象としていなかった。明け渡し非対象者である「非債務者」は当然叩き出すことは出来ない。従って、今回の明渡申立では明寮をカラにすることが出来ないことははじめから分かっていた。カラに出来ないにも関わらず、明け渡し対象者とされた「債務者」のみ叩き出す必然性があるのか。我々は法廷でこのような主張もしたが、結果的には東京地裁は明渡決定を出した。しかし、「非債務者」の問題は依然として残された。
今回の抜き打ち「強制執行」の最大の狙いは、この「非債務者」をドサクサに紛れて実力で叩き出すことにあった。我々がどんなに真っ当なことを主張しても「明渡執行中の全ての権限は執行官にある」「全て債務者と見做す」と言いながら「非債務者」の叩き出しを正当化していったのである。
真っ先に「強制執行」が行われた部屋である明寮0Bは「非債務者」の部屋だった。また、次に「強制執行」された明寮1Sも「非債務者」部屋だったが、あっという間に叩き出された後、「執行本部」と称して彼らの司令室とされた。法律もクソもない違法行為は「執行官権限」で全て正当化された。明寮一階では次に明寮1Bが「強制執行」されたが、ここも「非債務者」部屋である。このようにドサクサに紛れて「強制執行」された「非債務者」部屋は明寮全体の半分にも及ぶ。我々はこのような不当行為を絶対に許さない。
また、「債務者」と「非債務者」が相部屋になっていたケースもある。このケースでも、不当な叩き出しが行われたが、特に「非債務者」に対するありとあらゆる恫喝が掛けられたことを指摘せねばならない。甚だしきに至っては、寮生の親を東京まで呼び付けて、親に脅しを掛け、肉親の情を利用して寮生を屈服させるということまで行われた。弾圧の手法は労働組合潰しと変わるところがない。これが三鷹特別委員会の主張する「説得」だが、法を逸脱した行為であることは言うまでもない。
しかし、我々の弁護士の奮闘で、当日時点で「非債務者」の占有する4部屋の「強制執行」を阻止することが出来た。彼らの「誰彼構わず叩き出して完全にカラにする」目論みは破綻し、明渡申立のデタラメさ加減が白日の下に晒されたのである。
学部当局の許されざる不当性と並んで問題にせねばならないのは、そもそも「法的措置」が現場でのこのような違法行為を許容するように仕組まれた制度であるということである。当日、教養学部の法学担当の教官は「非債務者」の叩き出しを法的に正当化することは出来なかった。逆に開き直って「違法だと言うならば裁判で争え」という始末である。この教官の主体性の問題はおくとして、法的正当性を有しない行為でも「法的措置」は許容するのである。法律自体が矛盾している。これは、法律が、一体誰のためのものなのか、そもそも何なのかを考えざるを得ない問題である。


3−4: 「荷物は安全な場所に保管」した結果がゴミ捨て場直行

「強制執行」当日も「債務者」は任意に明け渡す旨を執行官に伝え、自分で荷物を運び出した。しかし荷造りから搬出まで一日で出来る筈がない。彼らの連れてきた作業員が手伝うことになった。
しかし、その過程で多くの物品が紛失した。腕時計などの金目のものから、今回の仮処分の疎明資料などの重要書類が行方不明になっている。さらに許し難いことに、「強制執行」で持ち出された荷物は学部当局が責任をもって安全な場所に保管するとしておきながら、一部の荷物が学館前のゴミ集積所で発見されたのである。
これについて学部当局を追及したところ、「保管場所まで持ってくるのは執行官の責任下であり、学部が責任を負うのは保管場所に持ってこられた荷物の保管のみ」として責任逃れに終始した。仮に保管場所に持っていくのが執行官の責任であっても、そもそも「法的措置」に訴えて学生の荷物を運び出したのだから、当然、学部当局の責任は免れない。「廃寮」さえ出来れば他はどうでもいいという彼らの見え透いた腹の内がここでもこのような事態を引き起こしている。


3−5: 不当極まりない第二次「強制執行」

「非債務者」の一部の明け渡し阻止が出来たことは既に述べた。明寮に占有権を認められたこれら寮生について、新たな「法的措置」を講ずる以外に学部当局が叩き出す方法はなかった。そこでいつ、その手続きが始まるのか、誰もが警戒していた。
完全明け渡しが阻止されると、学部当局は占有権を認められたこれら寮生との交渉を行った。任意明け渡しの説得工作であったが、その場では新たな「法的措置」については一度も触れられなかった。
我々はしかし、いずれは同様の仮処分が掛けられ、その通知が来るだろうと考えていた。
ところが4月10日、寮生・学生がサークルオリエンテーションで忙しい中、突如として彼らはやってきた。仮処分の存在すら知らされないまま、文字通り抜き打ちの第二次「強制執行」に出てきたのである。第二次「明渡断行」仮処分決定は4月8日、秘密裏に出されていた。


3−5−1: 申立の存在すら知らされず

通常の仮処分であれば、申立があれば裁判所に提出された資料が「債務者」本人にも郵送され、申立の存在を知ることが出来る。また、裁判所が審尋を設定するので、法廷で反論することも出来る。しかし、第二次「強制執行」ではこれらは一切行われなかった。明け渡しを申し立てられた寮生本人が、その存在を知らず、知らないところで、反論の機会が全く与えられないまま、一方的に決定がなされたのである。密室審理以下のこんなデタラメが正当である筈がない。


3−5−2: 本人が留守でも「強制執行」

当日、「債務者」の寮生本人が留守だったにも関わらず、「強制執行」が行われた。つまり、寮に帰ってきたら勝手に部屋が開けられ、自分の荷物が持ち出されていたという訳である。学会に出席していたある寮生の場合、寮に帰ってみたら「強制執行」が全て完了しており、立ち入りすら出来なかった。寮生本人すら立ち会わせられないような不当行為を彼らは行ったのである。


3−5−3 : 立会人拒否

突如やってきた執行官らに対し、我々は不当な執行が行われないために寮生側の立会人が同伴することを要求した。しかし不当にも彼らは「認めない」として何らの根拠も示すことなく立会人を拒否した。寮生本人もおらず、寮側立会人もいない明寮の中で、彼らは誰に咎められることもなく、やりたい放題に暴れ回ったのである。


3−5−4: 説明も拒否

彼らは立会人を拒否するに止まらず、ロクな説明もしなかった。我々は最低限、今回の仮処分の経緯、第二次「強制執行」の根拠(地裁決定や令状)、これらが明らかにならなければ、寮生・学生は納得出来ないと主張した。また、座り込みを行うのも、それらが全く明らかにされないままに「強制執行」されるのは認められないからだと主張した。しかし、執行官は「お前たちに説明する必要はない」として作業続行を指令し、ガードマンに守られながら明寮の中に消えた。執行官は説明をしないばかりか、我々に対して宣戦布告していったのである。
実際、立会人も説明も拒否したのは理由があった。「強制執行」後に明らかにされた決定書によれば、明寮に残っていた全ての人が「債務者」ではなかったことが分かる。つまり、第二次「強制執行」時にも「非債務者」がいたのである。そして「非債務者」を実力で叩き出すためには、ガードマンや作業員を使って、明寮を彼らがやりたい放題の無法地帯に仕立て上げなければならなかった訳である。
事実、彼らは我々の手の届かないところで、「非債務者」に襲いかかり、手足を掴んで寮外に摘まみ出すという暴挙を働いた。我々は彼らの暴挙を絶対に許さない。


3−5−5: マスコミの撮影も強制的に中止

執行官は、寮外から撮影していたマスコミ(TBS)に対して強制的に撮影を中止させた。寮内であれば、「執行官権限」という言い訳もあり得るが、寮外からの撮影は法的に何ら問題ではない。国民の税金で食べている執行官が、国民の前にその執行を公開出来ないとは一体どういうことなのか。彼らには正当性のかけらもないことを自己暴露している。


4.「法的措置」が投げかける問題点


ここまで、仮処分の審理過程や「強制執行」にまつわる国・大学当局・裁判所の不当性を検証してきた。ここでは、自治という問題やより社会的一般的な観点から「法的措置」の孕む問題について考えてみたい。そこから、今回の「法的措置」が大学自治を根底から覆すものであることは勿論、社会的にも通用しないものであることが明らかにされる筈である。


4−0: 教官は高見の見物(改めて自治論−主体性の問題)

「強制執行」現場にはガードマン、作業員の他、多くの教官が動員された。しかし、彼らは寮生の引きずり出しや荷物持ち出しのような手汚い仕事は一切せず、記録をしたり、単にうろついたり、あるいは寮生を侮辱したりしているだけだった。
そもそも駒場寮「廃寮」は、教授会が寮生・学生との相談抜きに一方的に決定した計画である。従って、この計画を決定した教授会に属する全ての教官が、全面的にその主体性を問われねばならない。寮生の住居を奪うという決定を下した一人として、全ての教官はその計画に責任を負わねばならない。
「廃寮」決定以後も、寮生の反対を見て計画を変更することが出来る立場にいたにも関わらず、計画が進行するのを黙認し、寮生の反対を黙殺してきた全ての教官は、「強制執行」という計画遂行の手段に対しても責任を負わねばならない。「廃寮」にまつわる不当性について、それに反対しない全ての教官は全面的にその責任を負わねばならないのである。
にも関わらず、「強制執行」当日の現場で彼らがやっていたことは何か。一言で言えば、叩き出される寮生たちを高見の見物に来ていただけである。全ての手汚い仕事は税金をつぎ込んでガードマンにやらせていたのである。遊びに来るのが責任の果たし方なのか。これが権力でなくて何なのか。
大学自治に於ける学生自治の関与が限定されたものであるという主張が、特に昨年は大々的に学部当局によってなされた。それ自体、我々は容認出来ないが、百歩譲って学部当局がそう主張するのを認めたとしても、教官の態度は認められるものではない。学部当局のそのような主張に照らしても、責任を全うしたと言えるのは三鷹特別委員会の僅かに一人か二人であろう。そのような無責任者集団である教授会に属する教官が、学生自治を云々し、「廃寮」の「やむを得ない」ことを語ったところで、一体どれ程の意味があるのか。それ程の薄い「自治」のために、現に学生が住処を追われているのだということを、果たして彼らは理解しているのだろうか。
自治は、自らの責任に於いて行動すること抜きに成立しない。これらの醜悪な教官の態度は、自治を自ら放棄するものに他ならない。大学にもはや自治はないとしたり顔で言うならば、その状況に拍車を掛けるこれらの教官の行動にどのような評価を下すのか、自らの立場を表明した上で必ず明らかにせねばならない。何故ならば、駒場寮の「廃寮」は、他ならぬ大学自治の名の下に決定されたものだからである。


4−1 : ガードマン経費(合意形成とコスト)

駒場寮「廃寮」は、学生と大学当局という関係の中ではどのレヴェルに於いても何らの合意もない計画である。当然、対立状況になることは必至であり、学部当局があくまで「廃寮」を強行しようとするならば、大きな衝突を生じざるを得ない。それを「解決」するために学部当局は「法的措置」に突入した。
しかし、その「法的措置」を遂行するためには、完全な明渡申立が不可欠である。それが不可能であれば、当然、違法合法を取り混ぜた実力行使が必要となってくる。学部当局はその実力行使の必要性を知りながら、「法的措置」に突入した。
しかし、それでは一体誰がその違法合法を取り混ぜた実力行使を行うのか。上述した通り、自らの責任すら全う出来ない醜悪な教官集団はその主体となり得ないことは予め分かっていたことであるし、実際、その主体とはなり得なかった。そこで、学部当局は巨費をつぎ込んでガードマンを利用したのである。
このガードマン経費はどこから出ているのか。今のところ学部当局は「全学の拠出金で賄っている」などの曖昧な回答をして明言を避けている。しかし明らかなのは、「キャンパスプラザ」建設のために概算要求した予算からの出費ではないということである。それは学部当局の発言からも分かるし、そもそもガードマン経費が予め建設予算に組み込まれる筈がない。ガードマン費用の出所は、昨年の「プレハブ棟」と同様、積算校費等の収入で東大各学部がプールしている資金だと考えてよい。
この積算校費とは、基本的に教官数と学生数によって国立大学に一律に割り振られる文教予算である(教官については大学院の有無などでグレード分けされる)。その使途は各国立大学に任されており、大学当局が学内で自由に分配出来る。注意すべき点は、この積算校費が学生数も計算に入れたものであるという点である。つまり学生のために使うことも念頭に置いた予算である。このような資金源からガードマン経費は捻出されている。
では、ガードマン経費はどれくらいの額になるのだろうか。アルバイトのガードマンは日当15000円であることが分かっている。社員はさらに多く貰う。警備会社にはその倍の金が支払われる。全てのガードマンがアルバイトとして、一日一人当たり30000円を学部当局が支払うことになる。
また、これまでに動員されたガードマンの延べ人数は定かではないが(普段でも100人以上?フェンス強制設置の12日には総勢600人)、一日200人とすれば、学部当局が警備会社に支払う金は一日で600万円、そのような状況が3月29日から続いたから、半月で9000万円の出費となる訳である。
この数字は、これまで学部当局が駒場寮の一年間の維持費に割いた額の10倍以上にも達する。たった半月のガードマン経費だけで駒場寮が10年もつだけの金を投じたのである。これだけの巨費を投じるのであれば、それを回避してより有効に利用するためにも、寮生・学生との合意形成が必要であることが分かる。
問題は額の大きさに止まらない。この経費の出所が学生数も計算されたものである以上、学生にとってより有益な利用法でなければならない筈である。にも関わらず、学部当局は寮生・学生を弾圧し、学生にとって有意義な駒場寮を潰すためにそれを利用している。これを我々は黙認することは出来ない。
さらに、そもそもこの積算校費は国民の税金によって賄われるものである。学部当局が自らの不当な計画を無理に押し通すために、勝手に国民の税金をつぎ込んでよいのか。積算校費は、あくまで教育・研究機関としての大学に割り振られた予算であり、割り振られたから好き勝手に使ってよいというものではない。ガードマン経費という使途は明らかにその目的から逸脱している。1億円近い税金をこのように流用した学部当局執行部の責任は極めて重大である。
ガードマンの大量投入という事態は、学部当局が合意形成を真剣に考えなかった結果であり、学部当局は全面的に責任を取らねばならない。「社会に開かれた」大学を云々する前に、最低限、社会に対して税金の無駄遣いを謝罪し、二度と繰り返さないことを約束せねばなるまい。
コストの問題で補足的に述べると、仮処分決定が下される時、「債権者」(原告)は保証金を担保として用意せねばならない。一連の「占有移転禁止」「明渡断行」仮処分で彼らの支払った保証金は2500万円にも達する。この他にも様々な経費があるだろう。それら全てが、不当な「廃寮」計画のために国民の税金を湯水の如く使って支払われている。


4−2 : 刑事介入(大学自治)

一連の「強制執行」で、機動隊は導入されなかった。制服警官も見当たらず、ガードマンだけで実力行使を行い、警察力導入はなかったかに見える。しかし、事実はそれとは異なる。「強制執行」に乗じて刑事が介入していたのである。
我々が刑事と断定出来るのは少なくとも二人、その他、言動から刑事又は公安関係者と推測されるのが二人である。
刑事と断定出来る二人の内の一方は、「占有移転禁止」仮処分執行時も寮内に入って来ていた人間である。この人物は、前回は執行補助者を名乗っていた。今回は「作業員の親方」を名乗り、第一次、第二次の「強制執行」に来ていた。この人物は、以前学内での盗難事件の際に目黒署から来た刑事と同一人物である。この人物は現場で「逮捕するぞ!」と叫んだことも確認されている。
もう一方は、少なくとも第二次「強制執行」時にはいた人物である。この人物は寮内サークルのメンバーがある用事で目黒署に行った時、そこで応対した刑事と同一人物である。
刑事又は公安関係者と推測される二人の内、一人はやはり「作業員の親方」を装って「さくら総業」と書かれた白い作業服を来ていたが、「塀の中に入ったら覚えてろ」という捨てセリフを吐いた。本物の作業員がこんな言葉を吐く筈がない。
もう一方は、黒のスーツを着ており、作業員でも何でもない。しかし現場にいるからには立場を明らかにしろという我々の追及に対して、何ら答えずに「何でそんなことを聞きたいのか、偉い人だと思ったのか」などとはぐらかそうとした。途中から、刑事と目される白作業服が割って入り、「こいつは俺の部下だ。文句あるか」などとわめき出した。
これらの立場を明らかにしない連中について、学部当局に追及したところ「作業員の親方だと言っていた」「国側の立会人ではないのか」などと相変わらず言明を避けている。これらの連中が警察関係者であることは疑う余地がない。
これらの連中を学部当局が呼び入れたかどうかは、議論の余地がある。執行官が要請してやって来たとも考えられる。しかし「東大確認書」を援用するまでもなく、学部長の許可なくして学内に警察が介入することは原則的に出来ない。少なくとも教授会で警察介入についての議論がなされていない以上、その責任は全面的に学部長にある。この点について我々は徹底的に追及するつもりである。
当然、学部長が許可するまでもなく、勝手に警察が介入してきたのであったとしても、到底許すことは出来ない。しかし、問題は、警察の介入を抑えることが学部当局としても出来なくなるような「法的措置」に着手した学部当局の責任である。「法的措置」は、学部当局のコントロールすら離れるいわば劇薬である。それを使用した者の責任は当然追及せねばならない。「法的措置」を執ったということは、警察の介入を認めたのと同罪である。
このように「法的措置」は、名実共に大学自治を掘り崩していく道である。刑事介入という事態を経験しながら、なおも「法的措置」に頼って「廃寮」を強行しようとするのか。そしてそれを「法的措置の学部長への一任」という形で教授会が容認するのか。大学自治を売り払うのか否か、厳しく問われているのである。


4−3 : 暴力を「積極防衛」として正当化

「強制執行」の現場では、ガードマンや作業員が殴る・蹴る、髪を引きちぎる、首を絞めるといった暴行を寮生・学生に対して行った。甚だしくは、様子を見ていた一般学生が倒されてアスファルトに頭を打ちつけ、のびてしまった。
我々はこれら数々の暴力について執行官に説明を求めた。これらの暴力は全て「強制執行」下で行われたものであり、その全ての権限は執行官にあるとされたからである。「強制執行」が半ば終わった頃、執行官は渋々と明寮建物から姿を現した。
ところが執行官は暴力について謝罪するどころか、「執行妨害への積極防衛」であるとして、一方で暴力の存在を認めておきながら逆に開き直ったのである。「強制執行」のためなら殺す以外何でもアリ、というのが執行官の説明だった。怒り詰め寄る寮生・学生に対して執行官は「議論するつもりはない」と吐き捨てて明寮建物の中に逃げ込んだ。そして「これ以上妨害するとケーサツを呼ぶ」と恫喝を掛けてきたのである。
積極防衛とは、座り込みなどに対して実力排除することを指す。執行官は勝手に用語を歪曲して、暴行を働いても構わないと言ったのである。現行法では殴る・蹴るといった暴行はどんな場合でも認められていない。ケーサツの取り調べですら、建前上は認められていない。理由が何であれ、暴力行為は違法である。
法律をこのように歪曲する執行官が「強制執行」を行った。「非債務者」の叩き出しや荷物ゴミ捨て場直行という異常事態も当然といえば当然である。
これらの暴行について学部当局も責任を負わねばならない。自らが訴えた「法的措置」である以上、「全て執行官権限だ」などと言い逃れすることは許されない。
また本囲い建設強行の際には、殴る・蹴るの他にもメガネを壊す、靴を奪うといった事態が生じたが、これは執行官とは関係ない。全て学部当局の指令に基づいて行われたものであるが、学部当局は「それくらいの覚悟でやったのだろう」などと開き直っている。これらの件については学部当局が全面的に責任を負っている。


4−4 : 「密行性」の問題

第二次「強制執行」は、申立の通知なし、抜き打ち執行、立会人拒否、説明拒否という不当極まりないものだった。そして、「強制執行」が終了してから、彼らがそれらの不当を正当化するために言い出したのが、「密行性」である。
曰く、今回の「強制執行」は「密行性」が高いので、抜き打ちでやる必要があり、また立会人は置くことが出来ない、と。つまり、秘密裏に処理すべき事件であるから、大っぴらにしないでコソコソとやるべきだ、という訳である。
しかし、「密行性」は単に彼らの方便に過ぎないことは明らかである。
まず、そもそも当の寮生が留守中に「強制執行」を行うとは何事か。寮生がいないスキに荷物を持ち出し、部屋を封鎖し、そこに何らの監視も働かないというのが異常でない筈がない。
第二に、第一次「強制執行」が「密行性」がなくて第二次「強制執行」が「密行性」があるというのは全く理解に苦しむ。何故、3月29日に出来たものを4月10日には出来ないのか、その説明を彼らはすることが出来ない。
最後に、「密行性」の裏で、今回も「非債務者」が法的根拠もないままに摘まみ出された。
要するに、彼らのやりたい放題を保障するための口実として「密行性」なる言葉を利用しているに過ぎない。その「密行性」を保障するのは、法的説明ではなく、ガードマンによる実力行使であったことがそれを雄弁に物語っている。このような不当を認める「法的措置」は社会的にも有害である。是非とも改善されねばならない。


まとめ


「法的措置」は以上のような違法合法を取り混ぜた強行策を、裁判所の決定を楯に全て「合法」であるように見せかけつつ、学部当局が責任の所在を裁判所や執行官にすり替えながら責任逃れをしつつ、不当な「廃寮」計画を強行するための道具に過ぎないのである。しかし、その代償は余りに大きい。学部当局が今後もあくまで「法的措置」を選択するならば、さらに膨れ上がる代償を彼らは覚悟せねばならなくなるだろう。

文責:山内

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