駒場寮を支える三つの力
小川 晴久(教養学部教官 東洋思想史専攻)

 学部当局が廃寮を宣言し、ガス・電気の供給をストップしてから一年がたとうとしている。入寮募集停止を学部当局が宣告してから二年がたつ。今年の新入生にも昨年と同様に入寮はできない旨の、加えて入寮しません式の誓約?を学部当局が宣伝したり、要求したりするだろう。昨年九月十日学部当局は法的措置に訴え、20名の寮生の名が裁判所に提出された。実際はその数倍入寮していたというのに人身御供(ひとみごくう)的に20名が特定されたのである。この二年の間に、親元に学部長名で手紙が行き、親から説得させたり、奨学金の推薦書は書かない、研究指導や卒論指導はしないと指導教官からおどしをかけたり、およそ大学にあるまじき手段までとって、寮生の退寮・三鷹国際学生宿舎への移住を大学当局は強いてきた。今は、「キャンパスプラザ(サークル棟)建設が危ない」と学生たちにアッピールしている。
 それにも拘わらず、上級生を中心に数十名以上の寮生たちが、駒場寮と寮自治を守り、生活し続けている。非は学部当局にありとして闘い続けている。この寮生たちと彼らを支持する学内外の力によって駒場寮は健在である。
 東京大学の決定であるという、圧倒的に不利な状況下にも拘らず、なぜに駒場寮と寮自治は生きているか。ここのところを新入生たちにもよく理解してほしいと思い、筆をとっている。詳しくは寮委員会の文書と分析にゆだねるが、紙幅の許す範囲で次の三点だけは記したい。
 第一は60年以上の歴史をもつ駒場寮の廃寮が寮生や寮自治会の与(あずか)り知らぬところで決定されたことである。69年につくられた東大確認書(全構成員参加の自治)をも、84年の寮の水光熱費や施設改善に関する確認書をも、真っ向から踏みにじった非である。大学当局は寮委員会と四百回以上話し合いを続けてきたというが、教授会自治だけで決定した廃寮決定の見直しは頑としてしていない。この決定を受け入れさせ、理解を求めるという姿勢だけである。これでも何百回話し合いを持とうが、上記第一の非は解消されないままである。
 第二点はキャンパス内にあり、寮生の自治で運営されてきた自治寮(相部屋ほか)は、団地のような三鷹国際学生宿舎(個室ほか)で代替されるようなものではなく、駒場寮の消滅は駒場の学生自治やサークル活動、ひいては駒場のリベラルアーツ(自由な雰囲気)の致命傷となるという点である。学生は便利な施設と教育だけ提供されればいいというお客さんではない筈だ。教授会の決定だけで消滅してしまうようなものは自治でもなんでもない。寮生たちは寮自治を誇りと矜持をもって堂々と行使し、実践している。全国の寮生たちの支援を受けながら。夜中にも生活の灯のともっているあったかい駒場の自治空間の大切さを思いやってほしい。寮生だけの寮ではない。サークルや自治活動にも駒場寮はなくてはならぬものであったのだ。巨象のような、母のような建物としての駒場寮。
 第三点は、寮の囲りの豊かな自然の存在である。駒場寮と囲りの自然とは一つのものだ。それを大学当局は、CCCL計画なるもので寮撤去のあと、いくつもの建物を建て、千百本もの樹木の半分以上を伐ろうとしている。自然保護の点からいっても廃寮は大変な問題である。
 おわかりであろうか。駒場寮生たちの頑張りの意味とその力が。
 私は今年に入り、宇沢弘文氏(「駒場寮問題を憂う」の筆者)」の「社会的共通資本の理論」の存在を知った。詳しくは私の立て看板を見てほしい。この理論をも適用して、駒場寮問題を大学にふさわしく、正しく解決しなければならない。
 新入生諸君、寮を訪れ、先輩の寮生たちと対話してほしい。少しずつ大学当局の呪縛(告示ほか)から自らを解き放ち、真理そのものを探求していってほしい。昨年の四月から五月十日までの闘いの記録「四月の駒場からの挨拶(メッセージ)−駒場寮廃寮反対の日々」を読んでくれるとうれしい。