駒場寮が明日に伝えるもの


 駒寮が僕たちに伝えるもの…。
  駒寮は巨大な、そして寛大な器である。僕たちが笑ったり泣いたり怒ったり、どんなことがあろうと彼はいつも優しく見守ってくれてきた。いまこの文を書いているこの部屋でもいろんなドラマがあった。近くの部屋の友人と騒いだり、停電の中同室の先輩と将来を語り合ったり、寮問題の行く末を議論したり、説得隊とやりあったり、人に不満を覚えたり、尊敬したり、好きになったり…。
そんな中で実際僕がここで学び、また70年近く以前にこの寮が建てられてから今に到るまでその住民が変わらず学んできたことがある。

ひととの対話
 それはまず「人と話をする」ことに集約されると思う。駒寮では自分たちの面倒は自分たちで見る、すなわち“自治”の意識によって支えられている。このことはこの冊子の中でも詳しく語られているだろうし、もしあなたが駒寮に入ったら自然と実感する事だろうが、この時に必ず必要となるのが「人と話す」ことなのである。寮には実に多様な人々が住んでいるが、寮のすべての方針は議論を経なければいけない。当然意見が分かれることもある。そういう時自分の主張に執着するのではなく、相手の意見もじっくり聞き、理解した上でまた議論ということが繰り返される。そして寮の仕事に関わっていない人にも「対話」は不可欠である。今まで全く違った所で違った人生を歩んできた人と同じ屋根の下で暮らすのだから。親や兄弟と暮らすのとはまったく違う難しさがある。しかしそれにも増して楽しさがある。自分の価値観が真っ向から否定されて議論する事もあれば、相手の人生観に感銘し大きく影響を受ける事もある。 あらゆる問題は話し合いで解決しなければならない、ということを駒寮は僕たちに教えてくれる。

大学について考える
 大学の中に住む、ということは、大学のいろいろな問題を僕たちに提起してくれる。寮として大学側と交渉したり教官と話したりする機会も多く、大学の運営や意思決定がどのようにして行われているのかが見えてくる。寮の数十年前の資料など読んでも昔から寮が大学の一組織として権限を有してきて、尊重されてきたことが窺がわれる。しかし特に最近は「廃寮」問題を通じて、学部長周辺の自分たちの都合ばかりで強引に事を進めるやりかたや、大学の教授と呼ばれる人々が実は専門バカばっかりだったり、諸問題に対して楽観視し過ぎもしくはちゃんと考えてすらいないことまでも見えてきてしまうのがつらい所だ。 大学について考えることは、ひいては大学の外の社会について考える足がかりにもなる。寮内でも社会問題に付いて考える文科系サークルも多いし、寮生や弁護士(寮出身)による勉強会もときどき開催されている。
 ところで駒寮をつぶそうとする意図の一つに、以前の学生運動の拠点になったことが上げられている。これも学内に住んでいると大学の汚れた面もよく見えるし、考えたり議論する時間と場所があるから当然といえば当然の話でもある。決して学生運動の好きな学生が集まってきているわけではない。

経済上の支援
 最近の学費の値上げは、「貧乏人は大学に来るな」とでも言わんばかりだ。ヨーロッパでは学費がタダの国も多いと聞くが、日本では今問題の「国立大学の独法化」ともあいまって時代の流れに逆行している。東京の住居費の高さもひどいものである。大学生の親の収入で比べると最近東大生が一番高くなったと聞くがこれは異常事態だ。学びたい人が経済上の理由で大学に来られないということを出来るだけ避けることにも駒寮は支援してきた。駒寮は田舎出身の貧乏人を大歓迎する。

学び舎としての駒寮
 駒寮は旧制一高の教育機関の一つとして建てられたという。当時のエリート養成のためという意識はもう当然薄れてはいるが、やはりここは学び舎だということを時に感ずる。今も昔も寮生は西側(大学校舎)では得られないものを伝え合ってきた。それは同室の寮生からであったり、寮委員会での議論からであったり、もっと日常的なことであったり、一人屋上で空を見上げ思索することからであったり…。つまり生きていく上でのあらゆることがここでは起こりうるし、その仲間がいる。不条理な規制をするものは何もない。もともと個性的な寮生がますます個性を増していくのもそのせいだろう。

自治…伝統と改革
 駒寮にいると多くのメリットがある。本誌にみんなが寄稿しているエピソードは真実だし、とても魅力的だ。だからこそ僕たちが守ってきたもの…伝えていかねばならないものがやはり「自治」だ。難しいことではない。自分たちの管理に任されている以上やらねばいけないことも当然あるというだけのことだ。60年以上にもわたってここに住んだ寮生たちの手によって方式を変えつつ受け継がれてきた。そこにも多大な議論とドラマがあったことだろう。寮のOBなどに会うとみな当時の寮はどうだったかということを生き生きと話す。その気持ちはとてもよくわかる。しかし同時に同じくらい強く昔と今は違うんだという反発も覚える。自治とは当事者が真剣になって築き上げていくものである。ずいぶん昔に書かれた寮規約にこう記されている。「寮自治は与えられるものではなく、寮生の団結の力で勝ち取っていくものであり、寮自治を守り発展させていくのは寮生自身である。」この言葉は今読んでも実感を伴う。数年後、僕が「僕が寮生だったときはね…」といったとき、その言葉は聞き流されても、あの寮規約の言葉は色褪せていないだろう。なぜならその時の自治の主役はあなただから。(S)


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