実名は伏せられています。改行位置は変更されています(編者)。



平成九年(ヨ)第六〇一号

債 権 者    国            
債 務 者    東京大学駒場寄宿寮自治会
外四八名

  一九九七年三月六日

             右債務者ら(  名)訴訟代理人
               弁 護 士   加   藤   健   次
               同        尾   林   芳   匡
               同        藤   田   正   人
                                   外

東京地方裁判所民事第九部 御中

           準備書面(一)

第一 合意にもとづく債務者らの本件建物の使用権限

一 駒場寮における寮自治の歴史的経過

  1. 自治寮として建設された駒場寮

 駒場寮は、もともと昭和九年に旧制第一高等学校の学寮として建設されたものであるが、建設当初から学生の自治寮として寮の管理運営は全面的に寮生に委ねられてきた。
 これは、戦前の社会のもとでも、真理の追究のためには学生の自治を認めることが必要であると承認されていたからであった。また、当時の第一高等学校は全寮制であったことから、寮という集団生活における学生の自治は教育上も高い位置づけを与えられていたのである。

  1. 大学の自治の重要な要素としての寮自治
    1. 戦後の学制改革を経て、駒場寮は旧制第一高等学校から東京大学教養学部の学寮となったが、自治寮としての寮生の管理委運営権はそのまま引き継がれた。
       この際、旧制第一高等学校と違って全寮制ではなくなったこと、入寮希望者の需要にすべて応えるだけの部屋が確保できなかったことから、入寮選考を行うことが必要となったが、入寮選考は当初から寮生の団体である駒場寮自治会が行い、大学当局が入寮選考に口を挟むことはなかった。
    2. 大学の自治は、戦前の日本においても、真理の追究のために必要不可欠な制度とされていたが、「天皇機関説」事件や京大滝川事件にみられるように、天皇制権力によってしばしば侵害を受けてきた。
       日本国憲法は、戦前の社会のあり方に対する反省から、国民主権を明記するとともに広範な国民の基本的人権を保障したが、憲法第二三条で「学問の自由」が保障され、大学自治はこの学問の自由を保障するための必要不可欠な制度的保障として憲法上位置づけられるようになった。また、憲法第二六条では、「教育を受ける権利」が保障され、大学教育を受けることは特権的あるいは恩恵的なものではなく、国民に等しく保障される権利であることが確認されるとともに、学生の立場も一方的に学問を教授される受動的なものにとどまらず、学問研究の一翼を担う主体的なものであるとされたのである。
       このような憲法上の大学自治における駒場寮における学生の自治は、学生も大学自治の構成員として「学問の自由」を享受することが大学の自治を発展させていくうえできわめて重要であることを体現するものであった。
  2. 東大「確認書」と学生自治
    1. 右に述べたように、憲法のもとでは、大学の学生も「学問の自由」の主体であり大学自治の担い手として固有の自治権が認められるべきである。
       しかし、大学当局の中には、建設以来の駒場寮の完全な自治権を認めながら、他方で大学の自治を享受する主体は教授会にかぎられるとの考え方が根強く残っていた。いわゆる東大ポポロ事件の最高裁判決の多数意見が「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探究し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。」と判示したのも(最高裁大法廷昭和三八年五月二二日判決)、こうした旧来の誤った大学自治の考え方にもとづくものといわざるをえない。
    2. これに対し、一九六〇年代末から全国の大学で発生したいわゆる「大学紛争」は、旧来の「教授会自治」のあり方を問い、大学自治の固有の担い手としての学生自治の承認を求めるところにその本質があった。
       東京大学でも、一九六八年の医学部における学生処分に端を発して、「東大闘争」がたたかわれた。そして、一九六九年一月一〇日のいわゆる七学部集会において、学生と大学当局との間で、二六項目の「確認書」が結ばれた。
       この「確認書」の中では、「大学の管理運営の改革について」、「大学当局は、大学の自治が教授会の自治であるという従来の考え方が現時点において誤りであることを認め、学生・院生・職員もそれぞれ固有の権利をもって大学の自治を形成していることを確認する。」ことが明言されている。この内容は、東京大学評議会決定でも再度確認されるとともに、大学と学生を拘束するものと明確に位置づけられている(乙一)。
       大学自治における学生の固有の自治は、学生が「学問研究の自由」と「真理教育を受ける権利」を共有する主体であることから導き出されるものである。そして、学生の固有の自治を認めるということは、学生が「組織体としての大学の運営に対して、一定の発言権・参加権を有する」ことを認めることにほかならない(小林直樹・『憲法判断の原理』上巻・一七七〜一七八頁)。
    3. このような大学自治をめぐる問題提起と紛争を経て、裁判例においても学生の自治に関する新しい判断がなされるようになった。
       たとえば、大学紛争中の行為を事由としてなされた学生懲戒処分の効力が争われた東京教育大学事件では、結論として原告(学生)の請求は棄却されたが、裁判所は理由中において次のとおり判示している(東京地裁昭和四六年六月二九日判決・判例時報六三三号二三頁)。「これまで、大学構成員としての学生が学生の自治の位置づけが不明確又は不適切であったことが・・・今時大学紛争の主要な原因のひとつとなり、大学制度の改革を押し進めるにあたり、学生の参加の問題が優先的にとりあげられている公知の事実に徴すれば、大学の自治における学生の参加の問題は、現下の事態を予測しないで制定された前記諸法令の文理解釈のみによって容易に片づけられるものではなく、大学改革の進展と大学のおかれている社会的諸条件の改善に応じ、学生自らの努力と、これに対する大学当局の謙虚な態度に支えられて、新しい大学の自治の中に築き上げられてゆくべきものというべきである。」
       また、大学長等を監禁したとして学生らが起訴された芝浦工業大学事件では、裁判所は以下のように述べて無罪を言い渡している(東京地裁昭和四七年五月三〇日判決・判例タイムズ二七九号三〇四頁)。「ところで、大学は教育機関であると同時に研究機関でもあることは自明のことであるが、そこにおいては教育は研究と一体不可分の関係においておこなわれるものであって、学生は単に教育を受ける対象という受動的な地位にとどまるものではなく、そこに学びかつ研究し、学問研究の一翼を担う者として存在し、このためには自由かつ自主的な精神と、批判的態度をもって研究にあたり、学問に取り組み、真理探究の方途を体得することが要求されているものといわなければならない。従って、学生に対しても、教授会の自治に照応し、相当の範囲内においてその自治が認められるべきである。
       このように、学生にも大学自治の主体として固有の自治を認めることは、「そうした経過を経た今日の『常識』を示すもの」といえるのである(前記小林・一七八頁)。
       重要なことは、東京大学においては、「学生の固有の自治」が「確認書」という形で学生と大学との間の明確な合意とされたことである。
    4. 寮自治の再確認

駒場寮を含む東京大学の学寮については、「確認書」を受けて、それまで実際に認められてきた寮自治が大学の管理運営に対する学生の権利として再確認された。

  1. まず、駒場寮について、一九六九年三月一日付け確認書では、教養学部長と駒場寮自治会との間で以下の内容が確認されている。
    「一 学寮が厚生施設としての役割を果して来たことを認め、その役割を発展させる立場に立って寮生の経済的負担を軽減するよう努力する。
    一 寮問題の重要性を認識し、寮生の要求の実現のため真剣に努力する。
    一 教養学部長は、駒場寮自治会を学生自治団体として認め、駒場寮自治会から要求があった場合には、誠意をもって、交渉に応ずる。」
  2. また、一九六九年六月二八日、東京大学の学寮の自治会の連合体である東大寮連と大学の学寮委員会との間で「確認書」が取り交わされた(乙二)。右確認書では、「入寮選考は寮生が行う」こと、「大学側は寮生による入寮選考委員の決定と入寮選考の結果については干渉しないこと」および「大学当局は寮生の正当な自治活動に対する規制ならびに処分は行わない」ことなどがあらためて確認された。右確認書によって、駒場寮の建設以来認められてきた寮生(寮自治会)による駒場寮の自主管理権が明確な文書による合意となったのである。その後の駒場寮の管理は、実際に右確認書の内容にもとづいて行われ、寮自治会選考して入寮を許可した学生はそのまま使用権限を認められ、大学当局が口を挟むことはいっさいなかった。寮自治会が当局に提出する寮生の入寮に関する文書の表題が「許可願」ではなく「異動届」となっているのもこのためである。
  3. 一九八四年には、駒場寮の光熱費の負担をめぐって駒場寮自治会と教養学部(第八委員会)との間で交渉が行われ、同年五月二四日に「確認事項」が合意された(乙三)。
     右確認事項では、まず、第一項で「第八委員会は従来からの大学自治の原則を今後も基本方針として堅持し、駒場寮における寮自治の慣行を尊重する。」とされ、前述した合意にもとづく駒場寮自治会の管理権を再確認している。
     さらに、第三項では「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する。」ものとされ、駒場寮に関する大学の意思決定に学生が参画すべきことを認めている。
     そして、一九八四年以降も、駒場寮については、寮生の自治にもとづく駒場寮自治会の管理運営が行われてきたのである。

二 大学との合意にもとづく寮自治会の管理運営権

  1. 寮生の使用権限の根拠

 以上述べたことから、債務者駒場寮自治会が、大学との合意にもとづいて、駒場寮の入寮者の選考=入寮許可の権限などの管理運営権限を有していることは明らかである。すなわち、個々の寮生の使用権限は、大学の個別の「使用許可」によって生じるのではなく、大学か管理権を与えられた駒場寮自治会の選考=入寮許可によるものにほかならないのである。
 したがって、債務者らに対して教養学部長が「許可」をしていないというだけの理由で使用権限を否定する債権者の主張は失当である。

  1. 駒場寮自治会の権限を一方的に奪うことはできない

 右に述べた駒場寮自治会と大学との合意は、寮生の居住および学生自治活動の保障を目的とするものであり、憲法の保障する学問の自由や教育を受ける権利を具体化したものといえる。
 したがって、右合意にもとづく債務者駒場寮自治会の管理権を大学の一方的な行為によって剥奪するとは許されないのである。

  1. 廃寮決定の違法性
     債権者らは、東京大学学長が駒場寮の「廃寮」を決定し、さらに「用途廃止」をしたことをもって、債務者らの使用権限が失われたと主張する。しかし、東京大学学長が行った右決定は、著しく不合理であえるうえ、駒場寮自治会との間で必要とされる最低限の手続きすらも経ていないものであって違法である。
  2. 学生との合意形成の努力すら怠った「廃寮」決定
     本件紛争は、大学が三鷹国際学寮の建設に際して、駒場寮の廃寮という重大な情報を学生に全く示さないまま、駒場寮の廃寮を含む建設計画を決定したところに根本原因がある。
     債務者駒場寮自治会が大学との合意にもとづいて駒場寮の管理運営権を有していることはすでに述べたとおりである。この寮自治に関する大学と駒場寮自治会との合意は、駒場寮に関する大学の意思決定に駒場寮自治会が参画することを認めたものである。とくに、駒場寮を廃止するか否かというその存立に係わる事項について大学の意思決定に債務者駒場寮自治会が参画する権利を有していることは自明の理である。前述した一九八四年の「確認事項」において、「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意思表明があるとき、第八委員会は、寮生の意見を充分に把握・検討して、事前に大学の諸機関に反映させるよう努力する。」ことが確約されているのはまさにこの趣旨からである。
     ところが、大学は「予算獲得上の技術」の一言でもって、いっさい事前に学生の合意を得る努力を行わないまま駒場寮廃寮を含む三鷹国際学寮の建設計画を決定し、予算請求を行った。そして、この三鷹国際学寮の建設=駒場寮の廃寮という決定は予算の獲得によって既成事実化されることになった。債権者は教養学部当局があたかも学生と頻繁に交渉を行ったかのように述べているが、「交渉」はこの「既成事実」を前提にしてしかなされず、大学は「三鷹の予算を取るときに約束した以上駒場寮の存続はありえない」という態度に終始したのである。
     駒場寮は、単なる居住スペースではなく、学内における学生の自治活動の場として使用されてきた建物である。また、寮が学内にあることによって、経済的に困窮した学生も交通費等の出費を要することなく生活ができる。こうした駒場寮の存在意義は、三鷹新寮やキャンパスプラザの建設によって全面的に代替できるものではない。まして、学生との事前の交渉を抜きに「廃寮」を決定してしまうということはおよそ許されないことである。
  3.  寮生の自治権を真っ向から否定
     さらに重大なことは、大学の「廃寮」決定が、旧制高校以来認められ再確認されてきた寮生による自治を真っ向から否定するものとなっていることである。
    大学は、三鷹国際学寮の建設に際しては、それまで認められてきた入寮選考を含む寮自治会の権限を認めようとせず、かえって寮生による自治を真っ向から否定する言動を繰り返していた。すなわち、寮自治という点では、三鷹国際学寮の建設はこれに変わるものではなく、むしろ、新寮の建設を機に長年にわたって寮自治会が有していた権限を根こそぎ剥奪してしまおうという意図さえ伺えるのである。
  4.  「公定力」という主張の不合理性
     債権者は、大学の行った「用途廃止」には、「公定力」が認められるから、明渡しの前提問題として争うことは許されないと主張する。
     しかし、債務者らの使用権限が大学との合意にもとづく駒場寮自治会の管理権に根拠を持っている以上、「用途廃止」だけで当然に使用権限がなくなることはありえない。この場合に、「公定力」が問題とならないのは疑う余地のないところである。
     ところで、債権者は、「用途廃止」が一般に取消訴訟の対象となる「公権力の主体たる国または公共団体が行う行為のうち、その行為によって、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められている」行為には該当しない「事実行為」であると認めたうえで、行政の行った事実行為に対しても取消訴訟が認められるべき場合があり、本件「用途廃止」がそれにあたるとして「公定力」が認められるとしている。
     そもそも行政の行為について「公定力」が認められる場合には、その効力を争う行政訴訟(取消訴訟)が認められなければならないというのは、「公定力」を認める限りは当然のことである。しかし、取消訴訟の対象となる行政の行為について常に「公定力」が認められるとは限らない。なぜなら、取消訴訟は、行政の行為によって実際に権利侵害を受ける国民を救済するための手続きであるから、厳密な意味での「行政行為」とはいえなくても、その効力を一般の民事訴訟等で争うことが不可能あるいは困難な場合には、その対象を広げることによって国民の権利の保障を図る必要があるからである(原田尚彦『行政法要論・全訂第三版』三二七〜三二八頁)。
     本件について言えば、債務者らが「用途廃止」の効力を争った場合には、法的手続きとしては当然に明渡訴訟が次に提起されることが予定されている。したがって、手続き的にも明渡訴訟という民事訴訟の中でその理由があるかどうかということを争えば足りる。また、明渡しという事柄の性質上、「用途廃止」がなされたら後比較的長期にわたる交渉が行われることは珍しくないのだから、「用途廃止」がなされたらそれを争う占有者は必ず取消訴訟を提起しなければならないとするのは紛争の実情にそぐわないし、そこまでして「用途廃止」の「公定力」を認めなければならない必要性もない。
     したがって、本件においては、大学の「廃寮」決定および駒場寮の「用途廃止」の違法性についても当然審理の対象となるのである。

第二 保全の必要性の不存在

  1. 本件紛争の本質=仮処分によって解決すべき事案ではない

 本件は、大学が一方的になした学寮の廃寮決定に対し、寮自治会がこれを認めず、寮の存続を争い、大学が寮生等を債務者として明渡の仮処分を申し立てた事案である。そして、債権者も指摘するように、かかる事案は従来も希に存在していた。
 しかし、本件が従来の事案と決定的に異なるのは、駒場寮の寮生がいわゆる一般学生であり、その寮生の数が約一〇〇名にも及び、かつ、寮生で構成される権利能力なき社団たる寮自治会が債務者の一人として明渡を求められているという点である。この点、従来の事案においては、寮生の殆どはいわゆる過激派セクトの構成員であり、あるいは寮生数は二〇名前後以下に減少していたりして、一般学生の支持を全く失っており、また、寮自治会は仮に存在していても有名無実化しており、寮自治会を相手として明渡を求める必要性すら認められないものであった。
 かかる意味において、本件はまさに学生自治のあり方が問われている事案であり、本来、このような保全手続きによって解決が図られるべき事案では全くない。
 債務者らとしては、まず、この点において本件申立の却下を求める。

  1. 何ら根拠のない「明渡期限」

 債権者は、本件明渡仮処分の必要性に関し、その具体的な明渡期限として、本年三月までに明け渡しを完了しなければ、新入生に混乱が生じる旨、あるいは、本年七月までにキャンパスプラザ建設に着工できなければ、キャンパスプラザ予算を返上しなければならない旨主張する。
 しかし、以下の点を考慮するならば、右「明渡期限」の主張には何ら根拠がないことは明らかである。

  1. 明渡完了の可能性がないこと

 債権者は、新入生の関係では本年三月中に駒場寮の明渡を完了する必要があること、あるいは予算の関係では本年七月までに駒場寮の明渡を完了する必要があることを主張する。右債権者の主張は、自ら明言はしていないが、要するに右各期限までに駒場寮から寮生全員を追い出し、駒場寮を空にする必要があるということに他ならない。
 ところで、本件申立は法人格なき社団三名及び自然人四六名を債務者としてなされているが、右自然人のうち現実に駒場寮の部屋に居住し、あるいはサークル室として使用してこれを占有している者は約三〇名に過ぎない。他方、現在、駒場寮の一室に居住し、またはサークル室として使用してこれを占有している者の合計は一二一名である。かかる多数の学生が駒場寮を占有している事実は、仮処分執行調書(甲一八)に添付された各部屋の占有調査の結果表の記載上も明らかである。(右表の記載は、中寮については占有者数を明記しているが、北寮及び明寮については占有者の有無の記載のみで、占有者の人数は明記していない。そこで、占有者は存在するが人数が不明の部屋について、占有者を少なく見積もって一名として、占有者数を算出すると、中寮五三名、北寮四一名、明寮三名の合計九七名となる。)
 従って、仮に本件申立において債権者が明渡決定を得て、これを本件各債務者に対して執行したとしても、駒場寮にはなお約九〇名の占有者が残ることになる。そして、これら約九〇名もの多数の占有者に対し、債権者が改めて明渡の決定を得てこれを執行することは、本年三月中はもちろん、本年七月までにも不可能であることは明らかである。

  1. 予算計上の可能性

 また、債権者が、本年七月までに明渡を完了しなければならない「理由」として、キャンパスプラザ予算を返上すれば、もはやキャンパスプラザ予算が再度計上される可能性は事実上ないかのような主張をしている。
 しかし、国家予算は、その性質上、仮に一旦返上になったとしても、これが真に必要なものであれば当然再度計上されるものであることは公知の事実である。仮に債権者の主張が事実であるとすれば、それは即ちキャンパスプラザ予算は真に必要なものではないことを自白しているに等しい。
 したがって、予算の関係上、本件明渡の期限が本年七月までであるとする債権者の主張は、何ら根拠のないものである。

三 早期明渡の必要性の不存在

  1. 本件建物は平穏に管理されている

 債権者は、本件建物の早期の明渡が必要である理由として、本件建物が安全に管理されていないかのような主張をなしている。
 しかしながら、本件建物は建築当初である一九二六年頃から旧制第一高等学校の学生自治会によって管理運営されてきた自治寮であり、一九五〇年頃、新制東京大学教養学部に制度変更されてからは債務者寮自治会によって一貫して管理運営されてきた自治寮である。この間、右管理運営形態に全く変化はなく、債務者寮自治会の管理運営権の下、駒場寮生は平穏に生活し学習研究に従事してきたのである。
 東京大学当局によって「廃寮」が決定されて以降も、債務者寮自治会の管理運営形態には何らの変化がないことは言うまでもなく、それが故に債務者寮自治会は「廃寮」決定にも関わらず整然と存在し続けているのである。
 明渡断行の仮処分が認められるには、債務者らが占有を続けることによって回復しがたい重大な危険が現に生じていることが最低限必要である。しかし、本件においてそのような具体的危険はいっさい存在しないのである。
 したがって、本件建物管理運営上、本件建物について早期の明渡が認められるべき理由は全く存在しない。

  1. 新入生も交えて大学自治の中で解決すべき問題

 債権者は、新入生が駒場寮をめぐる混乱に巻き込まれる可能性があることを、早期の明渡が必要である理由の一つとして主張している。
 しかしながら、右述べたとおり、本件建物は債務者寮自治会が整然と管理運営しており、仮に新入生が入寮したとしても、あくまでも債務者寮自治会の管理運営権限の下、従来の駒場寮生と同様、平穏に居住し、退寮していくに過ぎないから、新入生が混乱に巻き込まれる可能性はない。
 教養学部当局、東京大学当局と債務者寮自治会との本件紛争を根本的に解決するためには、新入生、新入寮生も交えて、徹底的に議論していくことこそが相応しいものといえる。
 したがって、この点からも、本件建物の早期明渡を認めるべき理由はない。

  1. 大学側の理不尽な態度が紛争の解決を妨げている

債権者は、あたかも債務者らが不法かつ暴力的に駒場寮を支配している化のように主張する。しかし、そのような事実はいっさいなく、債務者らが平穏に駒場寮を占有使用していることはすでに述べたとおりである。
 この点で指摘しておかなければならないのは、大学が債務者駒場寮自治会との「交渉」において、当初から「駒場寮廃寮」を既成事実として寮の存続の可能性を一切否定してきたこと、そして、「廃寮」直後に突然駒場寮への電気ガスの供給を停止するという、通常の明渡事件ではめったにみられない違法な自力救済を行ってまで債務者らを駒場寮から追い出そうとしたことである。
すなわち、本件について混乱を持ち込み、紛争の解決を妨げてきたのは、大学のこのような不当な態度にこそ原因があるのである。

  1. キャンパスプラザ建築のための駒場寮取壊の必要性の不存在

 債権者が、本件において保全の必要性を認めるべきであるとする最大の根拠は、キャンパスプラザ建設工事に早期に着工する必要があるとする点である。
 ところで、債権者の主張からは必ずしも明確ではないが、疎明資料によれば、キャンパスプラザ(三棟)の床面積はわずか二八五〇平米であり、駒場寮の中寮及び北寮が各三五七〇平米であり、明寮が一八七五平米であるのに比較して、非常に小規模な建物であることは明らかである(甲三四)。従って、キャンパスプラザを建築するために、駒場寮の建物三棟を全て取り壊す必要性は認められないと推測される。
 さらに、このキャンパスプラザが駒場キャンパスのどの部分に建設されることが計画されているのかも、債権者の主張からは明らかではない。しかし、これに関する疎明資料(甲四三)をみれば、キャンパスプラザの敷地はおそらく駒場寮三棟のうち、明寮の敷地の一部に重なるに過ぎないものと推測される。
 すなわち、かりに百歩譲ってキャンパスプラザを建設する必要性があるとしても、そのためには駒場寮三棟全てを取り壊す必要などなく、明寮のみを取り壊せば足りるものと推測されるのである。しかしながら、債権者は、一方でキャンパスプラザ建設工事に着工する必要性が存することを主張しながら、キャンパスプラザ建設工事計画の詳細を敢えて隠蔽し、右建設工事を実施するための駒場寮取り壊しの必要性を何ら具体的に主張疎明していないのである。
 従って、キャンパスプラザ建設工事のために、本件建物を取り壊す必要性は認められない。つまり、債権者の主張する保全の必要性の最大の根拠に理由がないのであるから、本件申立は却下されるほかないのである。