疎甲第55号証

陳述書2

東京大学総合文化研究科長・教養学部長

教授 市村宗武(印)

一  私は、昭和四四年三月に東京大学助教授に採用されて以降、東京大学教養学部に勤務しており、昭和六二年二月に教授に就任し、平成七年二月より総合文化研究科長・教養学部長の職にあります。
 教養学部長は、国有財産法、文部省所管国有財産取扱規程及び東京大学所属国有財産取扱規程に基づき、教養学部所管の国有財産の管理について、東京大学長の補助執行者に指定されており、旧駒場学寮を含む教養学部の所管する国有財産の管理を行っております。したがって、私は、現職に就任以来、旧駒場学寮の廃寮に関する事務のうち教養学部内で処理すべき事項について、教養学部職員を指揮監督してまいりました。

  1. 1東京大学総合文化研究科・教養学部は、一、二年生の教育を担当する前期課程、三、四年生の教育を担当する後期課程と大学院教育を担当する大学院から構成される、特色ある研究教育組織であり、現在では九○○○人余りの学生と五五○人を越す教官・職員を擁する大組織となっています。ところが、この人員の規模に比して、研究棟や福利厚生施設等の施設や設備が極めて貧弱であることがかねてより指摘されておりました。殊に、駒場キャンパスのみならず本郷キャンパス等の他のキャンパスで学ぶ学生らも参加するサークル活動等の場として利用される福利厚生施設の整備は、教養学部にとって急を要する課題であると認識されてきました。サークル数は年々増加の傾向にあるにもかかわらず、既存の施設では十分な活動を保証することができない状況にあり、ましてや、一、二年生の学生生活の基礎単位であるクラスが活動を行う場はほとんどない状況だったのです。
     2 そこで、教養学部では、旧駒場学寮の廃寮を含む三鷹国際学生宿舎建設計画の一環として、キャンパスプラザ(当初は「大学会館」、ついで「サークル棟」と呼ばれていました。)の建設を計画してきました。この計画については、永野三郎三鷹国際学生宿舎特別委員会(以下、「特別委員会」といいます。))委員長(当時)が、何度も教授会で説明し、教授会の了承を得てきております。なお三鷹国際学生宿舎建設計画や特別委員会の活動については本陳述書の三及び永野三郎評議員作成の陳述書(疎甲第四五号証、以下「永野陳述書」といいます。)をご参照ください。
     教養学部が学生のサークル活動やクラス活動等を積極的に応援しようとするのは、第一には、入学前の受験期において新入生は孤立しがちであり、その意味で青年期におけるはじめての他者との出会いの場であるクラスやサークルの意義は大きく、学生たちが広範囲に交流しあえる場の創設と充実が不可欠と考えるからです。また、第二に、近年の国際化の潮流のなかで留学生の数が増加し、留学生と日本人学生や地域社会との交流にも十分な配慮をする必要性が生じており、日本人学生及び留学性の自主的文化交流活動を支援する必要性が高まってきたからです。私は、教授会が「サークル棟」の建設計画を常に支持してきたのは、このような意義を重視してきたからだと考えています。
     3 学生や留学生のための福利厚生施設を充実させたいとの教養学部や教授会の願いは、キャンパス・プラザ構想となり、独り教養学部教授会だけではなく、東京大学本部や文部省、大蔵省でも高く評価されて、平成八年度予算に盛り込まれ、大学に示達されました。したがって、現在では、旧駒場学寮として使われた建物を取り壊しさえすれば、直ちに右予算を執行し、キャンパスプラザを建設することのできる状態にあります。なお、逆に、本予算が執行できない場合には、キャンパスプラザ構想の実現が大幅に遅れることについては、上國料伸一東京大学経理部主計課長作成の報告書(疎甲第四七号証)を御参照下さい。
  2. 1 旧駒場学寮の廃寮は、平成三年一○月九日、教養学部臨時教授会において、三鷹学寮(当時)敷地に千人規模の国際学生宿舎を建設し、同宿舎の整備進行に合わせて三鷹学寮および駒場学寮を順次廃寮とする計画が決定されたことに端を発します。この経緯の詳細は、永野陳述書及び右松鉄人教養学部学生課長作成の陳述書(疎甲第四四号証、以下「右松陳述書」といいます。)に譲ります。右臨時教授会には、私自身も出席していましたが、この計画に対しては特に異論はなく、出席者の満場一致によって了承されました。右臨時教授会では、あわせて学生対応の窓口として、特別委員会の設置も決定されました。以後、八月を除いて毎月一回開かれる教授会では、原則として、平成七年三月までは永野三郎特別委員会委員長(現評議員)が、それ以降は小林寛道特別委員会委員長または永野三郎評議員が、学生との話し合いの経緯や内容を中心とする特別委員会の活動を報告し、教授会の理解を得てきました。私も、教授会で特別委員会報告を聞くたびに、特別委員会のご苦労に頭が下がる思いでおりました(特別委員会のご苦労の程は、その活動に関する年表(疎甲第九号証)をご覧いただければご理解いただけると思います。)。
     2 また、私は、学部長就任後、特別委員会や教養学部等学生課職員等から本件の推移について、随時報告を受け、必要に応じて、適宜指示を行ってきました。平成八年三月三一日の旧駒場学寮廃寮の後は、総合文化研究科及び数理科学研究科所属の教官にお願いして、建物内の居住状況の調査をするとともに、居残っていた学生らに退去を求めました。引越しの手配がつかない等の種々の事情で、四月一日以降も相当数の学生が居残っていたのですが、その大多数は、説得に応じて退去しました。しかし、廃寮前に旧駒場学寮生によって構成されていた団体である駒場寮自治会またはその執行機関である駒場寮委員会を名乗る三○名程の学生は、強く退去を拒否し、のみならず、駒場学寮廃寮は無効であると主張して新規入寮生の勧誘を続けています。これに対して、学部側は、前記の教官らにお願いして、学生の説得を続けましたが、彼らは、われわれの説得に対し、まったく聞く耳をもたない姿勢でした。詳しくは、右松陳述書をご参照下さい。
    3 現在、旧駒場学寮を占拠している学生らの行動によって、総合文化研究科・数理科学研究科所属の教官や事務官が自由に建物内に立入ることができないために、建物内部の様子はほとんど分からない状況です。私は、占拠学生らが学外者を泊まり込ませたり、大学施設からの盗電を行ったりしており、また、旧駒場学寮建物については、いつ火災等の事故が発生してもおかしくない状態であるという報告を受けています(右松陳述書、および、とくにこの点を詳しく説明した右松学生課長の別の陳述書(疎甲第五○号証)をご覧下さい)。
     私は、建物管理補助執行者たる教養学部長として、旧駒場学寮の建物の管理を責任をもって行い、建物内で何か事故があった場合には第一次的な責任を負うべき立場にあるのですが、前述したように現在旧駒場学寮建物はほとんど管理不能の状況にあります。これは極めて憂慮すべき事態であり、到底放置できる状況ではありません。
    4 平成八年四月以降の教授会では、永野三郎評議員や小林寛道委員長から詳細な経緯が説明報告されてきており、教授会構成員の大多数も私と同様の状況認識を共有しているものと確信しております。私も、「大学の自治」を担う以上、学部内における問題は話し合いによって解決するのが基本であると考えております。しかし、残念ながら、占拠学生は、学外者の応援を得てまで旧駒場学寮廃寮無効の主張を貫こうとし、話し合いによって解決することをますます困難にしております。平成八年六月一四日に、占拠学生が学外者とともに学部長室のある建物に押し掛け、それに対応した永野三郎評議員が倒れて、救急車で病院に運ばれたことについては、永野陳述書をご覧下さい。このような占拠学生の頑なな態度に照らせば、話し合いによる説得だけでは限界があることも厳然たる事実であると考えざるをえません。
     教養学部は、これまで占拠学生を含む学生らと十分に理を尽くして話し合いを行ってきたと自負しております(疎甲第九号証の年表を御参照下さい。)。私自身も昨年来からすでに延べ一○数時間の話し合いを行ってきています。また私は、平成八年四月以降、教養学部および総合文化研究科所属の教官及び職員に債務者らの立ち退きを説得することをお願いしましたが、教官及び職員の大多数の方々は、旧駒場学寮明け渡しの意味を理解して、この役割を快く引き受けて活動してくれました。この説得活動に参加した教官は、四月一日から七月一六日までで実に延べ約一八○○名に達しています(別表として付した動員表をご参照下さい)。最善の努力を重ねてきたと信ずるものですが、このように話し合いを尽くしても、どうしても解決の糸口が見い出せないことから、「法的措置も止むなし」との苦渋の決断をし、今回、御庁に仮処分の申立てを行うに至ったものです。平成八年六月二○日の教養学部定例教授会において、私自身が、法的措置をとること及びその具体的方法と時期についての判断を学部長に一任してほしい旨の提案を行って教授会の許可を得、この方針についてはその後七月九日に開かれた東京大学評議会においても了承されております。この一連の決定によって、教養学部長の判断で、状況に応じて、明渡断行の仮処分申立てを含めて、占拠学生を立ち退かせるための民事的措置を発動することができるようになっています。
     大学として、学生を相手取った法的措置というような手段は軽々に選択すべきではありませんが、以上に述べた次第で、本件については、教養学部の教官と職員が一丸となって旧駒場学寮建物の明渡しを求めて説得しても埒があかず、仮処分の申立てという強い手段をとらざるを得なくなったものです。事情ご賢察下されば幸いです。

                                    以上

平成九年一月三一日
東京地方裁判所 御中

添付資料
4月1日以降の教官動員記録