疎甲第四五号証

平成九年一月三一日

陳述書1

東京地方裁判所 御中

東京大学教養学部評議員 教授 永野三郎(印)

 以下の通り、陳述させていただきます。

 一 陳述者の地位、略歴
 私は、昭和四六年に東京大学助教授に採用されて以降、東京大学教養学部に勤務し、昭和五八年四月に教授に就任し、平成七年四月より評議員の職にあります。
 また平成三年一○月より平成七年四月に評議員に就任するまでの間、教養学部内に設置された三鷹国際学生宿舎特別委員会(以下「特別委員会」)の委員長をつとめ、評議員就任後も、旧駒場寮廃寮問題を担当してきました。特別委員会は、三鷹国際学生宿舎の建設、旧三鷹寮の廃寮、旧駒場寮の廃寮を実施するために、学生との折衝のために設けられた委員会であります(甲四。これは、東京大学教養学部総務課が作成し、学部長・評議員のチェックを経ている文書です)。
 従いまして、小職は、旧駒場寮廃寮に至る過程では、一貫して教官の中心的な立場で、旧駒場寮廃寮に関わる問題に携わってきました。この間、多くの教官・事務官が多大な時間、労力を裂くことを余儀なくされ、小職自身、平成八年六月一四日には、数時間に及ぶ学生の対応中に倒れ、救急車で緊急入院することもありました(甲三一)。

 二 キャンパス・プラザの意義
 1 東京大学大学院総合文化研究科・数理科学研究科及び教養学部が所在します駒場キャンパスは、面積二五五、三二五平方メートルに及びます(キャンパス全体の地図を末尾に添付いたしました。ご参照ください。)。しかし、旧制第一高等学校から引き継いだ建物は老朽化し、また、戦後になって構築された建物は狭隘であるばかりか、当時の劣悪な施工条件等のために劣化しております。そこで、昭和五○年代後半から駒場キャンパスの再開発が緊喫の課題と認識されるようになりました。
 このキャンパス再開発計画においては、キャンパスを、(1)研究教育のためのアカデミックゾーン、(2)身体活動のためのスポーツゾーン、(3)学生及び教職員の文化・芸術・スポーツ活動のための福利厚生・風致ゾーンに三区分して、再開発をすすめていますが、この「(3)福利厚生・風致ゾーン」の整備を実施するために、教養学部は次のような方針を立てました。すなわち、(1)約三○、○○○平方メートルの敷地に、平成三年当時、わざか一○○人程度の学生が入居していたにすぎず、効率的な利用が図られていなかった三鷹学寮を廃して、新たに三鷹国際学生宿舎を建設する。(2)三鷹学寮と駒場学寮の寄宿舎機能を三鷹国際学生宿舎に統合し、駒場学寮を廃寮とする。(3)駒場学寮跡地付近を中心とする駒場キャンパス東部地区を学生・教職員のための福利厚生ゾーンとして再開発する。以上のものです。
 平成五年五月三一日、教養学部は、各学生自治団体(教養学部学生自治会、駒場寮自治会、三鷹寮自治会、学友会、学生会館委員会、駒場祭委員会、オリエンテイション委員会などを学生自治団体とよんで、学部は定期的に話し合いの機会をもっています。)に、駒場キャンパスのゾーニング案を提示するとともに、駒場キャンパス東部地区の福利厚生・風致ゾーンの再開発計画を「CCCL(Center for Creative Campus Life)駒場」計画を説明、さらに、平成六年七月、教養学部は、その構想をパンフレットとして学生に配付しました(甲三二。CCCL駒場の詳細については、これをご覧下さい)。この構想には多数の施設が含まれていますが、設置の緊急度の高いものから順次実現を図ることとし、平成八年六月には新「柏蔭舎」が開館しました(写真1)。これは伝統文化活動のための施設とする和風の建物で、すでに多くのサークルの活動場所ともなっています(具体的には、茶道部(裏千家、表千家)、書道研究会、能狂言研究会(狂言、宝生会)、百人一首同好会、尺八部、観世会、華道部)。また、本陳述書の主題である「キャンパス・プラザ」は平成八年度に予算措置が講じられ、平成九年度からの利用供与を目指しています。

 2 旧駒場学寮は、たしかに学生の宿舎としての機能を果たしていました。しかし、建物の老朽化や近年の学生の個室指向によって、旧駒場学寮の定員七五○名に対して、約三五○名の学生しか居住しておりませんでした。他方、サークル数は年々増加の傾向にあり、従来の施設では十分な活動ができない状況にあり、また一、二年生の基礎単位であるクラスについては、活動を行う施設はほとんどない状況でした。入学前の受験期において各人は孤立しがちであり、青年期のはじめての他者との出会いの場としてのクラスやサークルの意義は大きく、学生たちが広範囲に交流しあえる場の創設と充実が不可欠であるにもかかわらず、です。
 そこで何とかサークルやクラスの活動を支援したいと考えて、前記の「CCCL駒場」計画が立案されたのでした。つまり、旧駒場学寮が果たしていた宿舎機能を三鷹国際学生宿舎に統合し、学生の自治活動や課外活動等の支援を目的とする新施設をつくる、ということです。これは、近年の国際化の潮流のなかで留学生が増加し、留学生と日本人学生や地域社会との交流にも配慮する必要性が高まってきている、その必要性にも合致したものでした。
 いわゆる緊縮財政の中で、キャンパス・プラザ整備計画予算が、平成八年度予算に盛り込まれ、大学に示達されたのは、右のようなキャンパス・プラザ整備計画の重要性が、文部省や大蔵省でも高く評価されたからです。しかし、この予算は、旧駒場学寮建物の取り壊し予算を含み、その執行にあたっては、旧駒場寮建物の取り壊し後のキャンパス・プラザ建設が条件となっています。つまり、旧駒場寮建物を壊しさえすれば、ただちに予算を執行し、キャンパス・プラザを建設できるのです(詳しくは、東京大学経理部主計課長・上國料伸氏の報告書(甲四七)をご参照ください)。なお、本予算が執行できない場合には、キャンパス・プラザの構想の実現が大幅におくれ、前述の多岐にわたる目的の実現が大幅に阻害されることについては、東京大学経理部主計課長・上國料伸氏の報告書(甲四七)、および、東京大学教養学部等学生課長右松鉄人氏の陳述書(甲四四)、を参照して下さい。

 三 駒場学寮及び駒場再開発の進め方
 1 駒場学寮廃寮を含む駒場キャンパス計画は、東京大学が決定したものですが、学生の理解を得、また彼らの意見のうち採用すべき点は採用するために、次のようなことを行ってきました。
 具体的には、教養学部教授会は、駒場キャンパス計画の福利厚生施設充実の第一歩となる三鷹国際学生宿舎建設計画が実現性をもつと判断して、旧三鷹学寮敷地に千人規模の国際学生宿舎を建設し、同宿舎の整備進行に合わせて三鷹学寮および駒場学寮を順次廃寮とすることを、平成三年一○月九日に決定したわけですが、それと同時に、三鷹国際学生宿舎の建設とそれに関わる諸問題について学生と話し合う学部側の窓口として、三鷹国際学生宿舎特別委員会を設置し(甲四)、委員長に小職が就任しました。
 2 また、教養学部は、右の教授会決定後直ちに平成三年一○月一七日に「二一世紀の学生宿舎を目指して」という文書(甲一○)を作成して学生に配付し、同月二一日は同内容を東京大学学内広報(甲一一)に掲載しました。さらに、特別委員会は、同年一○月二四日に公開説明会を開いて基本方針を学生に周知させるべく説明しました(甲九)。これは説明会といっても学生から質問を受け、また要望を聞くという形式で行いましたから、実質的には、この公開説明会から学生への説明と彼らの意見聴取は始まったいうことができます。その後一一月には、特別委員会と学生自治団体が二度にわたって話し合いをもちました。
 同年一二月にも、教養学部は、一般学生の意見を広く聴取するために、約一、○○○名の教養学部及び総合文化研究科学生を無作為に選んでアンケート調査を実施しました(甲一一−二、一一−三、九)。
 3 ここで教養学部、とくに特別委員会の対応の具体的内容について述べておくべきだと思います。
 教養学部及び特別委員会は、学生に対して、三鷹国際学生宿舎の建設構想だけを説明したのではありません。三鷹国際学生宿舎の建設が、三鷹学寮及び駒場学寮の廃寮を前提としたものであり、駒場学寮廃寮を含む駒場キャンパス再開発の一環として、駒場寮跡地は福利厚生施設および風致地区となり、「大学会館」や「運動会館」を建てる構想であることを説明しました。すでに述べました「二一世紀の学生宿舎を目指して」という文書でも、このことは明確にされていますし、平成三年一○月二四日に開催された公開説明会でも、駒場学寮跡地は、福利厚生ゾーンとして利用する構想であることを繰り返し説明しています(この「大学会館」は現在のキャンパスプラザの起源となる構想です)。
 また、この点は、アンケート(甲一一−二)でも繰り返し説明し、そのうえで回答を求めました。その結果は、有効回答数五二・五パーセントで「計画に賛成」七二・四パーセント、「反対」四・三パーセント、「どちらでもない」一九・五パーセント、「わからない」三・九パーセントでした(甲一一−三)。そして、教養学部は、このアンケート結果によって、圧倒的多数が学部の基本構想に賛成していると判断し、平成四年一月一三日に「三鷹国際学生宿舎建設について」を発表(甲一一−三)、三鷹国際学生宿舎の建設の具体化作業に入ったのでした。
 4 このときにも、同時に、学生諸君との話し合いの結果を、できるかぎりその作業の中に反映させてゆくという方針を、再び示しました。そして実際、この文書を発表して以降、特別委員会は、三鷹寮自治会、教養学部学生自治会、駒場寮委員会と度重なる話し合いをもってきました(甲九。特別委員会との話し合いは年表記載の主なものだけでも計一四回に及んでおり、さらに学部長が話し合ったことも四回あります。各学生団体との個別的な話し合いを含めると、計三五○回近くに及んでいます)。
 この話し合いの中でも、特別委員会は次のことを繰り返し説明しました。すなわち、三鷹国際学生宿舎の建設と駒場学寮の廃寮は一組であり、三鷹国際学生宿舎を建設し、かつ、駒場学寮を残すという選択肢はない、ということです。そして、その理由として、一「新宿舎(三鷹国際学生宿舎のこと)の収容人員は現在の寮生数の五割増となり、大都市に所在する大学としては、他大学と比較しても在寮生の比率がきわめて高くなり、駒場寮の寄宿舎機能まで存続させることは困難である」、二「現在の駒場・三鷹寮の老朽化は周知の通りであり、あと数年で耐用年限に達してしまう」、三「新宿舎が完成すれば、その維持費用が当然必要であり、そのうえに駒場寮の維持費まで負担することは、教養学部にとって到底不可能である」、四「学生増によるキャンパスの狭隘化を解決するためには、駒場寮敷地の再開発が絶対に必要である」(甲一一−三)ということを挙げ、繰り返し説明しました。
 駒場寮自治会側から、平成四年二月一四日付けで、右の理由につき、より詳しい趣旨をただす質問が教養学部に出され、教養学部はさきの理由を敷衍して、同年二月二二日付けで回答(甲一一−五)を出しました。この中でつけ加えたことは、(1)駒場寮が「旧寮」のためにそれに対する予算措置が認められていないこと(「旧寮」とは、「国立学校における授業料その他の費用に関する省令(文部省令第九号昭和三六年四月一日)」一一条二項(末尾添付)による寄宿舎の分類で、「木造の寄宿舎及び昭和三十四年三月三一日以前に建築された寄宿舎」を言います。これらについて、文部省は、新しい学寮に立て替えることを奨励して、古いものには維持のための予算も付けないという方針をとっています。)、(2)教養学部としては、一○○○人規模の宿舎の実現に向けて最大限の努力をしていること、です。
 4 その後も、従来に増して、教養学部自治会や駒場寮自治会をはじめ、学生と話し合いをもち(甲九)、学生の要求で合理的なものはできるだけ採り入れ、そのことによって、駒場学寮廃寮を円滑に進めるととともに、学生の福利構成の増進を図る、とくに駒場寮自治会や教養学部学生自治会が言及する、困窮学生問題やサークル・クラスの自主的活動の保障に配慮しようとの態度を一貫してとってきました。
 三鷹国際学生宿舎に入居することによって、学生には、駒場学寮に居住する場合と比べて、月々六○○○円程度の経済的負担が増えます。駒場学寮が旧寮であるために国庫に収める宿舎費が低いこと(国立学校における授業料その他の費用に関する省令(文部省令第九号昭和三六年四月一日)」一一条一項、二項参照(末尾添付))、および、相部屋であるために水光熱費が低いことによって以上の差額が生ずるのですが、それでも宿舎費に水光熱費、通学費を加えた三鷹国際学生宿舎の一ヵ月の必要経費が一万一○○○円程度(三鷹国際学生宿舎は一人一室の個室制をとっていますが、この金額は一人についての平均額です)ですから、一般社会からみれば甚だしく低廉な費用しか掛かりません。しかし、駒場寮自治会は、それでも困る人が出ると言いますから、経済的負担増が生活を著しく圧迫する特別な場合には、奨学金を交付することにいたしました。教養学部教官からの拠出を仰いで「駒場国際交流奨学金」を設け、駒場学寮への入寮が停止された平成七年度の三鷹国際学生宿舎入寮生から月一○、○○○円の貸与学生を募集しました(甲三九−一、三九−二)。実際に、平成七年度入寮生からは三名、また平成八年度入寮生からは二名が貸与を受けています。また駒場学寮を利用して実施されてきたサークル活動やクラス活動の保障については、二で述べました「キャンパス・プラザ」を駒場寮を上回る機能をもつものとして構想しました。
 しかし、教養学部の最大限の誠意と努力にもかかわらず、教養学部学生自治会や駒場寮自治会は、駒場寮廃寮反対を主張し、平成五年一一月十九日には廃寮反対ストライキを行いました。また、平成六年一一月に教養学部が平成七年度からの新規入寮募集の停止を通知しますと、駒場寮自治会は、入寮募集停止の決定を無視して、平成七年度も新規入寮を継続すると決定し、教養学部学生自治会は平成六年一二月二日にストを実施するなど、反対姿勢を強めました(甲九)、しかし、これらの「スト」にはほとんどの学生が参加せず、授業は平穏に実施されたのです。
 5 彼らは、教養学部教授会において、駒場学寮廃寮を含む基本構想が決定された平成三年一○月九日以前に、当時の寮生・学生に相談しなかったことの問題性を主張するにとどまっています。
 しかし、国有財産の用途の決定は大学管理機関の権限に委ねられており、しかも平成三年一○月以降、学生諸団体と繰り返し話し合い、理解を求めつつ、かつ学生の意見を聴取して、必要な点は取り入れてきた学部の対応に照らせば、学生諸団体の主張はまったく利己的で、わがままなものとしか評し得ません。また、すでに述べましたように平成三年度のアンケート調査で学生の圧倒的多数が基本構想に賛成したわけですし、平成五年一一月一九日や平成六年一二月二日の「スト」にはほとんどの学生が参加せず、授業が平穏に実施されたということに鑑みれば、一部の学生団体が多くの学生の真意に反して動いていると言ってもよい状況だと思います。

 四 まとめ

 駒場寮自治会の行動はその後も変わらず、教養学部は、特別委員会、ときには学部長自身が出て、説得を行いましたが、駒場寮廃寮反対の主張は変えず、平成八年三月三一日をもって東京大学が廃寮を行った後も、債務者らはいぜんとして住み続け、また新規入寮募集まで行っています(甲四一、四一−一、四一−二)。それに対して、教養学部は、一般教官・事務官を動員してたびたび旧駒場学寮から退去しない学生を説得するため、旧学寮建物を訪問し、退去するように話しました(この状況については、末尾に添付した一覧表を参照してください)。また退去する場合には、三鷹国際学生宿舎に優先入居させる旨も何度も通知しています(甲三六)。その結果、相当数の学生は退去しました。小職から見ますと、教養学部として、できることは既にやっており、あとは裁判所に委ねるしかないという状況と思料いたします。

                               以上

添付資料
写真1 柏蔭舎
駒場キャンパス地図
「国立学校における授業料その他の費用に関する省令」