法的措置が駒場を滅ぼす

こんなデタラメを皆さんは許すのか

1997年2月25日 小川晴久

1月28日、東京地裁は決定通知書なるものを出して、寮生側の異議申し立てを却下し、占有移転禁止仮処分を確定した。
 2月4日、国(法務省)は、自らを債権者とし、寮生側46名と3組織を債務者として、駒場寮の明渡しを求める仮処分の申請を、東京地裁に提出した。提訴人(債権者指定代理人)は、東京法務局の役人4人、東京大学教養学部教職員10人の計14人。後者の内訳は、2人の教員、永野三郎氏、小林寛道氏、あとは職員である。来る2月28日から審理が始まるという。
 右の事実に基づき、私は以下の諸点を教授会メンバーに指摘したい。

  1. 学部当局は今まで教授会の説明で、9・10仮処分のことについては既に大学の手を離れているので(第三者機関に委ねたので)、それについても云々する立場にないとしてコメントを拒否してきた。1月28日の「決定書」についても、永野評議員は、それを見てもいないし、全く関知していないと、2月20日の私の質問に答えた。しかるに、2月22日に送られてきた申立て書(訴状)をみると、提訴人の中に、永野氏をはじめ、教養学部の職員が、役職に基づき多数参加しているではないか。東大の手を離れたというのは、まっかな偽りであり、1月28日の決定書を関知していないという永野氏の発言も、まっかな偽りとみざるをえない。法的手段(明渡し断行仮処分)は国(法務省)と東大当局の合作であり、そのすべての過程に深く東大当局が深く関与していることは、これで明白となった。市村教養学部長、永野評議員の偽りの発言の責任は重大である。
  2. 1月28日に異議申し立てが却下され、9・10仮処分が確定したとして、国と東京大学教養学部当局は、2月4日の明渡し断行の仮処分を求める段階に入ったのであるが、今回の申立て書で訴えられている債務者は「前回の20名プラス1組織プラス氏名不詳数名」から46名プラス3組織に拡大している。9・10占有移転禁止仮処分が不正確であったとしてやり直しをし、それを今回の数に確定し直すならともかく、前者を無修正のまま確定しておきながら、次の段階の明渡し断行仮処分を申請する段階で、債務者の2倍以上に拡大するのはあまりにもデタラメが過ぎる。
    占有移転禁止の仮処分(A)とは、誰がどこを占有しているかを認定する仮処分であって、それが確定してから、次の明渡しの仮処分を受ける対象になるのは前記(A)で認定されたもののみに限られる。そのように限定されないなら、前段階の仮処分を行う意味はない。明け渡しを求める以上、対象となる人物を特定するのが順序である。しかるに今回の明け渡し断行の仮処分申請では、対象者が20名から46名に拡大・変化している。これは(B)の要件を満たしていないのに、それを国と大学当局は犯し、東京地裁はそれを受理して、46名+3組織に審理のための呼び出しをかけてきた。
    このようなデタラメな法的措置を国(法務局)、東大当局と東京地裁は結託してとってきた。この三者はグルとしかいいようがない。教養学部当局は法的措置に移行するに当たって、「第三者の公正な判断に委ねる」と言ったが、その実態はとんでもない代物であることを自ら暴露した。こんなひどい訴訟指揮になるのも東京地裁(民事第21部)の「決定書」なるものが、次のようなひどい誤りを犯しているからである。
  3. 寮生側の異議申立ては@20名は寮全体を占有しているのではなく、寮委員会から使用を許された特定の部屋を占有していること、A寮を管理占有しているのは寮自治会であって、寮委員会という認定は誤りであること、Bその他「氏名不詳者数名」という認定は極めて不正確で、全部で121名もの寮生が占有していることを指摘し、9・10の仮処分の杜撰さを厳しく指摘したものであった。1・28決定書はAについては自らの寮自治に関する無知を一片の反省もなく押し通し、Bについては一言の言及もなく、@について、次のような重大な事実認定を行った。
    「(債務者らは)寮自治と称して、独自に、本件建物への新規入寮者の募集、入寮の可否等の決定、在寮者らの使用できる部屋の変更(部屋替え)を行い(A─引用者)、さらに、人垣や障害物などによって管理者職員による本件建物内部への立ち入り調査等を阻止していること(B)等が認められる。このような状況からすれば、本件建物に係る本件債務者らの占有形態は、もはや、ここの居室を生活の本拠等として使用するという通常の場合とは本質的に異なったものであり、(C)、本件債務者らは、共同して、各自の居室等の部分のみならず、本件建物を占拠し、もって、共同占有しているものと見るのが適当である。したがって、この点に関する執行官の占有認定に誤りは認められない。」
    右の認定のうち、Aの部分は寮自治そのものへの実践であり、それを「寮自治と称して」と記したところに、認定者(加島滋人裁判官)の寮自治への無理解とその立場が示されている。Bの部分は実態に合わない不正確なものである。特に重大なのは、Cの認定である。寮生たちは、この間「通常の寮生活」を続けている。寮が汚いといわれる中で懸命に掃除をし、前記Aで認定されているような寮自治を、限られた人数ながらけなげにも、またの伸び伸びと果たしている。その生きた姿は本日付で出た97年度『入寮募集要項』に収められた寮生たちの文章に溢れている。それをCのように認定することが、いかに寮生たちの生活とかけ離れたひどい設定であるか、私は1・28決定書の最大の誤りはここにあると考える。また駒場寮問題の最大の焦点もここにあるのだ。
    寮生たちは市村前学部長が言うように勝手放題にあの空間にあの空間を使っているのではない。総代会で選ばれた寮委員会の下で「廃寮決定」以前と変わらぬ寮生活を送っている。市村氏が「陳述書2」(97・1・31)でいう「孤立しがち」な「新入生」が求めている「青年期におけるはじめての他者との出会いの場」の貴重な一つとして駒場寮があり、その寮生活を彼らは実践しているのだ。その駒場寮を廃絶してしまってよいのか否かが駒場寮問題の核心である。この核心部について東京地裁1・28決定書が右のような驚くべき認定をしているとしたら、学外の「第三者の公正な判断に委ねる」ということの実態は恐ろしくひどいものとなり、判決は既に見えている。法務局や裁判所は寮自治の存否の是認については判断せず、物理的な建物の居住権だけを裁くのだ。その実態は右に見た通りだ。

 駒場の全教職員に訴える。右のようなひどい法的措置の進行を皆さんは容認されるのか。寮自治の存廃に関わる、学内で解決しなければならぬ問題を裁判所のひどい判断に委ねてよろしいのか。
 寮生たちの大義ある主張と寮自治の実践、60年余の歴史をもつ駒場寮を、それと比べれば「わずかな」キャンパス・プラザ予算とひきかえに葬ってしまってよいのか。今年の7月が、この予算のリミットであるとして、何がなんでもそれまでに、駒場寮を閉鎖する、このような無理を犯そうとしているところから、以上のような、天下にさらした恥ずかしくなるようなひどい措置をとることになる。東京大学の名誉のためにも、皆さん、声をあげるべきである。